【読売ジャイアンツ】長嶋茂雄「ベンチなんか見てんじゃねーよ」 中畑清、プロ野球人生のターニングポイント 篠塚和典✕中畑清・特別対談④
[音楽] あの、メジャーの繋がりでちょっと古い話なんですけれども、 1978 年あの巨人とメジャの新ナティ入れの試合があったと思うんですけれどもうん。うん。ま、 [音楽] この試合で中畑さんがあの試合決める逆転ホームランを打たれてるんですけどうん。うん。 うん。 うん。 うん。話しさ。 いいや。ほ、喋ってください。 このホームランっていうのは中田さんもまだあの一軍で巨人の一軍で活躍がま、まだっていう時期だったと思うんですけども、このホームランっていうのはやっぱり 狙ってたんですか? 狙うとか狙わないの問題じゃない。出るか出ないかっていう問題だから。 あ、試合に 試合にもうで出る予定なんかほとんどない機械選手だから。うん。流れていく言うとその高さんの守備要員で入ってでたまたまそのチャンスに回ってきちゃったって。 [音楽] で、俺は大体使われるんじゃないから、柳 さんとか先輩が残ってたからな。いい バッターが残ってたから。 ベンチ見たらミスさんが出てきて、お前自分で行く気ないのかこらつってこっちこそベンチなんか見てんじゃねえ俺をお前が行くんだってバーンとケツ戦れで使ってくれたってのがその時の打席だからそれでよしと思って俺しか打てないバタだったからで相手ビチャーはわかんないんだな。 さがっすぐにってるのできなりまっすぐ放ってマリオ外つったかな。そ、外のボールね。外側のボールだけどそれを [音楽] [笑い] 123 で振ったら逆転方までうん。それで唯一買った試合になったんだけどでもあの一撃がなかったらあのワンプレイがなかったら俺は終わってんだよね。おそらく。 うん。で、最後の最後までチャンスを与え てくれたって、この日米野球に選んでくれ たメンバーに選んでくれただけでも長嶋 さんは最後まで俺にチャンスをくれたんだ よね。で、またそういうところで代打送ん ないで俺を使ってくれたっていうね、 ゲームの流れから言っても絶対大事なとこ だったからさんが1点差のうん。ヒトって それで俺の打席だから間違いなく大なんだ 。 普通だったらそれが結してくれてさうん。使ってくれたってのはやっぱり本当に俺なんの何倍もチャンス回ってるよな。 [音楽] うん。 本当に。 うん。ですよ。 ですよ。 恵まれてるよな。うん。ですよ。うん。そういうあのあれはうん。 [笑い] 俺のジャイアンツってよりプロ野球で生き残れたラストチャンスだな。 ターニングポイント。 ターニングポイントになる試合だったね。好きだったね。 当時のその時のレッズってピートローズがいたり 素晴らしかったですよ。 トムシーバーとか トムシーバーベンチ ま数のスター選手がいてジ ジベンチがいてあジベンチじゃねえ。ジョニー ジベンチは俺だよな。 お前戻ろう。 はい。ま、 僕も一応ホームラン打ってますからね。メジャーからね。 だからそういう時に強調するんのやめなさい。 うん。 そういうとこで強調すんだよ。これ本当負けすぎとこあるよ。 あ、こういったスター選手間近で見られていてどうでしたかプレイとかっていうのは。 いやいやスター軍団だもん本当の。うん。レッドマシーンとか言われてさ。 それでピッチャーも結構いいピッチャーがシーバから始まって、え、スタートロールだったんだよね。あの球団だ。勝てるわけないって言った試合で 1 試合目で勝った。うん。だからインパクトあったんだよ。それホムはあれも打ってるってけど俺はちゃんとして 打って結果で逆転勝ち勝利の要因というか決勝法も打ってるっていう。 分かりました。分かりました。分かりました。わかりました。 価値観っていうのかな?そこはだいぶ違うよ。 [笑い] もう人知っていいから。うん。 いや、やっぱりメジャっていうなるとね、やっぱりジャイアンツの教訓じゃないけどさ、やっぱりアメリカ野球に追いつく追い越せっつうのはね、やっぱり戦ってね、 実感しましたよ。 うん。 すごかったよな。あの、あの、 4番打ったな。なんとかフイズ。うん。 う、上外だもんね。コラ県の上外。 鉄塔のライトの鉄塔の看板にぶつけてたもんね。堀内さんから売ったから。 マレ 違う。マレじゃない。北人の レッズの レッズの4番 常司ホスター。 ホスター。 あ、常ジホスター。 ああ、ホスター。 これも常じゃない。 うん。うん。な んでそんな前がい 本当にやっぱりボールなんかもね、やっぱり全然違うっていうのもあったしやっぱり我であれ打ったもやっぱり飛ばねえなっていうのもあったし うん。 やっぱその辺の差っていうのはすごい感じましたよね。やっぱりメジャーのボールは重いっていうね。ピッチャー投げたボールが 今こんなにきあのメジャーとの差っていうのかな。 うん。 あ、なくなってきたけど、俺の時はやっぱりある程度メジャーリーガーっていう存在感は別な別世界みたいなうん。捉え方はしてたよね。 もう舐められてましたよね。やっぱりね、メジャーからはね、日本の野球つのはさ、 うん。本当に旅行気分でしてるわけがさ。 そう。もうそれでも勝てないわけだからやっぱりね。 その後から本気戻ってたからな。 うん。 初詮負けたおかげであと全部負けた。全敗したんじゃない。 あの、ピートローズといえば、あの、ヘッドスライディングしたりとか、割とハセルペレーっていうのも大名刺だったと思うんですけれども、 [音楽] 中さんの目にはどう映ってます? いや、あの、見せ方だよね。ヒートなんか得意そうなんだけど、あの、寒い中でさ、半袖で それでスライディングしてくるじゃん。ヘッドスライディング半袖だよ。普通ヘッドスライディングして長袖できてなきゃダメなんだよ。そういうことを全然感じなさせない。 あの、迫力とかさ、怪我とかなんとかとか いうものをど返しして こういうプレイで見せつけるんだっていう スター性のかな。うん。それをずっとやり 続けてきた人間なんだなってのがね。あ、 俺1つやっぱ勉強になったもんね。見せ方 のかな。演出の仕方のかな。うん。それ やっぱ 影響を受けた部分があります。ある。多分 ある。それから結構俺 ヘッドストライディングもやってるけどな 。Aにヘッドストライディングかかったね 。我々のね、80年代の最初の頃はあー 我々みたいなもんですよ。 うん。 こうはライオンみたいにゴーンって来るようなね。もう大げさんに言うたらそのくらいの迫力はピートロとか 感じましたね。 うん。かっこよかったやっぱり。 うん。 あの、篠塚さんが影響を受けたっていうか、そのメジャーの選手であげるとすればっていうのはいらっしゃいます。 いや、ま、そんなうん。 そこまでこういう感じだから全く影響受けるとかはなかったね。そりはね、 メジャー目指そうとも思わないし。 あ、それはもうそうだ。メジャー目指すとは思わなかったね。 日米野球って結構俺の人生に関わりはあるんだけど、そこでこの人みたいに何さんはメジャリーが憧れてたらしいけどね。 若い時から俺はね、そういう感覚がなかったな。 全くないっすね。 それよりも日本でなんとか生き残りたいっていうかさ、そっちの方の気持ちの方が強かったな。うん。 ちょっとこのお2 人のにまつわるエピソードの最後のご質問なんですけれども、ま、中田 旗さんにとっての塚さん、 篠塚さんにとっての中畑さんでどういう存在なのかっていうのをちょっと難しい でも年下なんだけどどっか教えられて教えられてるとこがあるんでうん。 まあ、 ライバル意識は持ったことないんだけど、 なんかライバルっぽいところがあるなって いう感じがするね。腹もそうなんだけど、 腹とは全く違う意味で俺にとっては大事な 存在だったな。あの、ここまで生きてきて もうん。死のとうん。出会ってなかったら こうはなってないだろうしね。うん。 やっぱ大きな俺にとっては存在感のある うん。後輩ですよ。 あんまり怖いと思ったことないのかな?俺名前てるからな。 まあ、中さん先輩なんですけど [笑い] 先輩だと思ったことありません。 いやいやいやいやでもやっぱり 1 番最初ね、そういうドラフトの中で色々ありながらやっぱりこう 1番最初であった時なんかもやっぱりこう うん。元気発落らずっていうか、そういう やっぱりこみんなは引っ張っていく そういう存在になっていくんだろうなって いうのがあったし、ま、それでやってる間 にね、隣同士でお守りをなってきてうん。 色々火も色々したり、ま、こっちも偉そうにも元はあっちあっち行けとかとかっていうもうここまで出なくていいよとかっていうね。そういう、 ま、それはもうそういう出会いもあってうん。そういう形で できるかね。そういう言葉言っても、ま、 大丈夫だろうっていう、こう先輩の中でね 、こうやれてこれたっていうのは、ま、 先ほど言いましたけど、ま、ある程度もう チームの中ではやっぱり打率とか色々考え た時にはやっぱりこう作ってなきゃいけ ないんで、自分の中でね、もうあの選手 よりはもう上に行くぞっていうような、 その中にもさもいるし、そういう中での こうライバル意識っては僕はあのチーム の中ではありましたよね。うん。で、そうやりながらもやっぱり我々のチームになってからもうチームこう引っ張っていく うん。 そういう存在だしさの言うことは絶対だっていうそういう思いでうん。やってましたからね。 [笑い] ま、謝ってかなきゃいけないのは、いうか、俺、俺言って欲しいことなんだけど、バッティング練習の時間帯に [音楽] BGM で演下でバッティングをさしたというね。うん。 あれで随分本人からリズムがとか来いねをね受けたことがあっても兄弟だったんですよ。波の谷間に命のさが来た。 [笑い] 俺にとっては最高に向かうのバ抜バグレジなんだけど死ぬわ。 東京ドームであ、当者コ羅ゲでようかかってましたね。 俺の練習時間帯のそのBGM だから同じとこで打ってるから同じ同じ時間で ま、先輩がね、迷惑をかけたかなというね、そういう風なあれもあるけど、あの難しいリズムで打てたから修者が取れたんだぞっていう風に俺の中では感謝してもらいます。 [笑い] テーマは今でした。 [音楽] [拍手] [音楽]
対談3>>https://www.youtube.com/watch?v=KJ4vOkEAGs8
中畑清(なかはた・きよし)
1954年1月6日生まれ、福島県出身。駒澤大学を卒業後、1975年のドラフト3位で巨人に入団し4年目から一軍に定着した。通算打率.290の打撃、ファーストでゴールデングラブ賞を7回獲得した守備で勝利に貢献。長嶋監督から調子を聞かれ、試合に出るために「絶好調!」と答えて「絶好調男」としても人気を集めた。1989年に現役を引退。2012年から4年間、DeNAの監督を務めた。また、2004年のアテネ五輪ではヘッドコーチを務めていたが、チームを率いていた長嶋茂雄氏が脳梗塞を患って入院したあとに監督を引き継ぎ、チームを銅メダルに導いた。
篠塚和典(しのづか・かずのり)
1957年7月16日、東京都豊島区生まれ、千葉県銚子市育ち。1975年のドラフト1位で巨人に入団し、3番などさまざまな打順で活躍。1984年、87年に首位打者を獲得するなど、主力選手としてチームの6度のリーグ優勝、3度の日本一に貢献した。1994年に現役を引退して以降は、巨人で1995年~2003年、2006年~2010年と一軍打撃コーチ、一軍守備・走塁コーチ、総合コーチを歴任。2009年WBCでは打撃コーチとして、日本代表の2連覇に貢献した。
インタビュアー 浜田哲男
撮影編集 市川陽介
ディレクター 池田タツ

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