「次、外に真っすぐが来るな」。杉本商事バファローズスタジアム舞洲のバックネット裏にあるスコアラー室で依田栄二スコアラーがつぶやく。カウントは2ボール2ストライク。相手投手から繰り出されたのは外角高めのストレート。同時に乾いたミット音が響く。ストライク。悔しさをにじませながら依田は手元のチャートに記録していく。
 スコアラー歴41年。見届けてきた試合は6000を超える。試合中は、配球、打者の反応、投手のしぐさ。目の前で起きる全てを手がかりに、次の一球を読み続ける。「野球の真髄は駆け引き。その一球ごとの勘どころを若い選手たちにも掴んでほしい」。そう話すと、依田はまた次の一球へと視線を戻す。


写真:青濤館の事務所で試合のデータをチェックする依田

◆250冊の分析ノート

 依田は山梨県出身。甲府商業高校から1980年にドラフト4位指名を受け、近鉄バファローズに入団した。84年に現役を引退し、一軍スコアラーに転身。2020年からは二軍スコアラーとして、若手選手たちの成長を支えている。

 二軍のホームゲームの日は、朝から選手寮「青濤館」の事務所で仕事を始める。相手チームの試合を見直し、その日の対策を整理しながら、打撃コーチへ渡す資料を準備する。
 机の脇には、分析ノートが並ぶ。そこには相手投手の傾向や試合から感じたことが細かく書き込まれている。特に「勝つことが全て」とされる一軍スコアラー時代は、目の前の一勝に直結する分析が求められたという。
 「大体1か月で1冊、1年で7冊ぐらいかな。もう250冊ぐらいは書いたね」。これらの積み重ねが、依田の仕事の土台となっている。


写真:スコアラー室で笑顔を見せる依田

◆「一生忘れん」初登板

 二軍の主な役割は、次代を担う若手選手の育成と強化にある。試合中は、その日登板のない藤川敦也投手や森陽樹投手らがスコアラー室に座り、チャートをつけながら戦況を追う。
 「なんで今、フォークを投げたと思う?」。依田の問いに、選手が答える。「バッター有利のカウントだったからストレートは投げにくかったんですかね」

 カウント、ランナーの有無、打者の反応、そして直前の一球。状況に応じて一球一球の意味は変化していく。積み重なるほど、バッテリーと打者の読み合いは深みを増していく。
 「選手たちには一球ごとの意図を考える癖をつけてほしい。力だけじゃなくて、頭も使ってプレーする。たとえ試合に負けたとしてもそれは次につながる」。依田は強調する。

 もっとも、依田自身も現役時代から冷静に駆け引きを見られていたわけではない。
 唯一の一軍登板となった1981年9月29日の西武戦。「一生忘れん」と振り返るそのマウンドでは、緊張で頭が真っ白だったという。2回を無失点に抑えたものの「もう必死よ」。配球を考える余裕などなかったという。
 「投手って静止したところから、自ら動いてゲームを始めなきゃいけない。当たり前だけどこれってとんでもなくプレッシャーがかかること。経験も度胸も必要なんだ」


写真:試合前のバッティング練習をカメラに収める依田

◆一対一の意地がぶつかる勝負

 長年、バッテリーと打者の駆け引きを見続けてきた依田だが、一方でこうも感じている。
 「野球って、データや理屈だけでは収まりきらないところがある。それがまた面白い」

 30年以上前のことだ。球界屈指の強打者との対戦を前にした当時の近鉄のエースに、依田はスコアラーとしてこう助言した。「フォークを投げたらいい。打ち取れる」
 だが、その投手は首を振った。「真っすぐでいきます。あの人に変化球で勝っても意味がないから」。力と力の真っ向勝負を望んでいた。

 「それもいいな、と思ったんだよ」
 配球のセオリーからは外れている。だが、投手と打者、一対一の意地がぶつかる勝負もあっていいはずだ。
 「こんなこと言うとスコアラーらしくないかもしれないけど、それもまた野球の醍醐味だと思うよ」
 いたずらっぽく笑って、こう続けた。
 「だって、その対決、俺も見たいと思ったしね」


写真:スコアラーの仕事が「天職」と語る依田

◆選手目線で考える仕事

 球団にはスコアラーグループのほかに、高機能カメラなどを用いてボールの回転数や打球速度まで分析する戦略データグループもある。その重要性は日に日に高まっているという。
 「これはすごいな、面白いなっていうデータをたくさん出してくるよ」
 依田も日々、そのデータを活用している。その上で、かつてユニフォームを着ていたスコアラーにしかできない役割があると考えている。
 「俺らは、もっと選手目線で考えるんだと思う。心理的な部分とか、培ってきた経験とか、勘どころとかね。それを選手やチームにどう伝えていくか。そこがスコアラーの腕の見せ所じゃないかな」

 屈託なく笑ってこう続けた。「天職よ。引退してからもこんなにたくさん野球を観られて、若い選手と一緒に仕事できてな」

 今日もバックネット裏のスコアラー室で、依田は一球一球を追う。
 フルカウントからのラストボール。相手投手の直球を狙いすましてとらえた鋭い打球は、一、二塁間を破った。依田はうなずき、手元のチャートに投打の結果を記録した。(西田光)

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