プロ野球の公式戦開幕が3月27日に迫った。一軍各チームに注目が集まる中、2026年は二軍にも大きな動きがある。昨年までの2リーグ(イースタン・ウエスタン)が、1リーグ3グループ(東・中・西)に再編されたのだ。二軍にも80年近い歴史があるが、一軍とは違って選手の生涯記録などが未解明の部分も多い。プロ野球「二軍」の魅力と楽しみ方を、『二軍史』を著した野球史家の松井正さん(46)に聞いた。(デジタル編集部・室靖治)

二軍選手の歴史をたどれる資料がない!「埋もれていた二軍の歴史を調べるのは楽しい」と語る野球史家の松井正さん「埋もれていた二軍の歴史を調べるのは楽しい」と語る野球史家の松井正さん

 松井さんがプロ野球の二軍に興味を持ったきっかけは、小学生の頃、自宅で購読していたスポーツ紙だった。一軍はもちろん、二軍の試合結果も載っていて、よく目を通していた。

 ところが調べていくと、二軍選手の生涯記録のような、歴史をたどれる資料が乏しいことに気づいた。日本野球機構のサイトも、生涯記録や達成記録は一軍選手だけ。一軍選手の年度別成績をおさめた『ベースボール・レコード・ブック』を読み、二軍の同じような情報があればと感じた。

 知人を介して日本野球機構に問い合わせたが、きちんとした形ではまとめられていないという。

 「アメリカでは、マイナーリーグの記録も詳しく公開されていて、メジャーで活躍する前の戦績も知ることができる。それなら日本版を自分で探そうと思い立ったのです」

大阪(現・阪神)タイガースの二軍「阪神ジャガーズ」の猛烈なスライディング練習(甲子園球場で)=1954年2月大阪(現・阪神)タイガースの二軍「阪神ジャガーズ」の猛烈なスライディング練習(甲子園球場で)=1954年2月「世界の王」は出場1試合、“鉄腕”と“鉄人”の対決もプロ野球二軍略史(松井正さん作成)プロ野球二軍略史(松井正さん作成)

 プロ野球の二軍は、1948年から51年にかけて相次ぎ結成された。関西ファームリーグ、セ・リーグによる「新日本リーグ」などを経て、地域ごとにイースタン・ウエスタンの2リーグ体制になって昨シーズンに至る。

 松井さんが二軍情報の本格的な収集を始めたのは、2010年頃。会社勤めの合間を縫って探すのは、簡単ではなかった。仕事が休みの日になると、国立国会図書館や野球殿堂博物館の図書室へ通い詰めた。前者では一般紙や地方紙のマイクロフィルムを、後者では昔のスポーツ紙をそれぞれ閲覧。二軍の試合結果が載っているとコピーしていく。こうして1950~79年に行われた計7761試合のうち、7756試合の新聞記事を収集することができた。

 二軍の試合を丹念に追うと、スター選手の二軍時代のが見つかることがある。入団後のブレイク前だったり、けがや衰えのための二軍調整中だったり。

新日本リーグ前期戦に優勝し、表彰されるジュニア・ジャイアンツ(名古屋中日球場で)=1954年8月3日朝刊新日本リーグ前期戦に優勝し、表彰されるジュニア・ジャイアンツ(名古屋中日球場で)=1954年8月3日朝刊

 59年にプロ入りした巨人・王貞治選手も、たった1試合だが、二軍の試合に出場している。同年5月29日、巨人軍多摩川グラウンドで行われた対大映戦(非公式戦の練習試合)だ。入団直後の春季キャンプ中に投手から野手に転向。オープン戦で5本塁打を放って開幕一軍を勝ち取ったが、不振が続いた。「少しでもきっかけをつかんでくれれば」との首脳陣の配慮で調整出場したのだ。3打数1安打が二軍の通算成績である。

 65年4月20日、広島市民球場で行われたウエスタン・リーグの広島対西鉄戦では、“鉄腕”と“鉄人”の対決があった。西鉄の先発は、けがで調整中の稲尾和久投手。広島の七番打者は、後に2215試合連続出場を果たすルーキー・衣笠祥雄選手だった。衣笠選手が3点二塁打を放っている。

「初打席満塁本塁打」の伏線ジュニア・ジャイアンツ対中日ダイアモンズ。二回表、中日は一死一塁から二盗を試みるもアウト(横浜平和球場で)=1954年4月11日朝刊ジュニア・ジャイアンツ対中日ダイアモンズ。二回表、中日は一死一塁から二盗を試みるもアウト(横浜平和球場で)=1954年4月11日朝刊

 一軍では花開かなかったものの、二軍のスター選手だったのが巨人・馬場正平投手。後のプロレスラー、ジャイアント馬場である。

 馬場投手は55年にプロ入りし、翌56年6月28日、福島・会津若松市営若松球場で行われた二軍戦の対国鉄戦に2番手として登板。“プロ初勝利”を挙げた。

 「その後の調査で、58年には二軍で10勝、59年までに通算17勝していることがわかりました。打者としても結構、安打を残しており、打力も兼ね備えていたかもしれません」

 また、一軍試合記録の背景や伏線が、二軍試合から読み取れることもあるという。

 例えば、巨人・駒田徳広選手は83年4月10日、後楽園球場で行われた対大洋2回戦で、右田一彦投手から史上初の「プロ初打席満塁本塁打」を記録している。実は駒田選手、右田投手とは相性が良く、前年にイースタン・リーグで3本塁打を放っているのだ。

二軍選手の「旅日記」に遭遇松井さんが刊行した『二軍史』松井さんが刊行した『二軍史』

 松井さんはこれらの成果を基に、2017年に『二軍史』(啓文社書房)を刊行した。その後も情報収集を続けている。発刊時点で不明だった5試合の詳細も地方紙の記事で確認できた。その結果、1979年までに行われた二軍戦のすべての新聞記事を収集するとともに、調査範囲を拡大し、89年までの新聞記事の収集も完了した。さらに、61年以降の二軍選手の全記録を調べあげた。これらを整理し、2冊目の本を出したいと考えている。

「巨人第二軍旅日記」(読売スポーツ週刊ニュース1949年10月22日)「巨人第二軍旅日記」(読売スポーツ週刊ニュース1949年10月22日)「巨人第二軍の精進記」(読売スポーツ・ニュース1950年4月1日)「巨人第二軍の精進記」(読売スポーツ・ニュース1950年4月1日)

 野球誌などを丹念にあたっていくと、思いがけない“宝物”に遭遇することも。最近の成果に挙げるのは、「読売スポーツ週刊ニュース」紙(50年3月に「読売スポーツ・ニュース」紙に改称)に掲載された「巨人第二軍旅日記」と「巨人第二軍の精進記」だ。

 「巨人第二軍旅日記」(49年10月22日・11月5日)は、九州遠征に参加した寺本
哲(てつ)治(じ)
選手(49~54年に巨人在籍、一軍通算34試合出場)が、試合の模様や選手同士のやり取りを日記風にまとめたもの。「巨人第二軍の精進記」(50年4月1日)は、3月に茨城県で行われた巨人対阪神の二軍初試合の、記者によるルポだ。「旅日記」の初回はこのように始まる。

十月七日(金曜)晴
午後七時、全員東京駅に集合。一ケ月の北海道遠征の疲れを休める暇のない九州遠征だ。今までの十一人にテストで合格した六名が加わったので大変
賑(にぎ)
やかになる。東京駅には二世新人宮本君のお母さんと弟が送りに来ていた。廿三(二十三)歳の宮本君にたいし、小学生を旅行に出すときのようにいろいろ注意を与えていた。親もとを遠く離れている私は羨ましかった。(以下略。なお、旧仮名遣いは現代仮名遣いに改めるなどした。カッコ内は引用者)

 「これらを読んで『おぉ~~』となりました。当時の二軍の環境について、現役選手自身が記した手記は非常に珍しい。 集合写真や活動記録も資料的価値が非常に高い。こうした二軍草創期の実像を伝える資料は、探せばまだまだある気がします」

二軍の1リーグ構想、70年たって実現※太字は旧イースタン・リーグ所属チーム※太字は旧イースタン・リーグ所属チーム

 3月14日に公式戦が開幕した二軍は今季から、計14チームを東、中、西の各グループに5、5、4チームずつ振り分けた。

東=日本ハム、楽天、ロッテ、ヤクルト、オイシックス

中=西武、巨人、DeNA、中日、ハヤテ

西=オリックス、阪神、広島、ソフトバンク

 「構想によると、1チームあたり現行の年間約140試合を維持した上で、グループごとではなく全14チームで順位をつけ、上位チームによるプレーオフで優勝を争う。全体の30~35%を交流戦として開催する」(2025年7月15日読売新聞)

 松井さんが楽しみにしているのは、これまでイースタン・ウエスタンに分かれていたチーム同士の対戦だ。

 「二軍ができた当初には1リーグ構想があったが、長距離移動にかかる費用負担の問題があって実現しなかった。70年たって実現したとも言えますね」

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