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東日本大震災の犠牲者を悼み黙とうする(右から)井上監督、嶋ヘッドコーチら=バンテリンドームナゴヤで(大橋脩人撮影)
◇渋谷真コラム・龍の背に乗って
◇11日 オープン戦 中日3―1ヤクルト(バンテリンドーム)
バンテリンドームでの試合前の黙とうで嶋ヘッドコーチが思いをはせたのは、命を奪われた1万5901人のことであり、今なお見つからぬ2519人のことだった。「何年たとうが背筋が伸びるんです」という3月11日。楽天の選手として戦っていた兵庫県明石市でのオープン戦は打ち切り。仙台が甚大な被害を受けているとわかり、家族や知人の安否確認を優先するためだった。
開幕は延期。東京電力、東北電力管内では計画停電が実施され、ナイター開催が自粛された。「野球なんかやってる場合か」。そういう声は、確かにあった。そんな4月2日にあのスピーチが行われた。「見せましょう、野球の底力を…」。翌3日との計12試合を「東日本大震災復興支援試合」として実施。当然、最も注目を集めたのが札幌ドームでの日本ハム―楽天戦だった。「今だと珍しくないですが、当時はあんな若い選手会長はいなかったんです」と振り返る。日本中が26歳の青年を見つめていた。
「NPBから元になる原稿はいただいていましたが、球団の方とも相談して自分たちの思いを入れていこうと。底力という言葉は最初からありましたが、ニュアンスは変えましたね」
東北全域をフランチャイズとする球団として、渡された原稿をそのまま読むのではなく、表現を精査。選手が主語の「見せます」とあったのを、ファンとの一体感を強調する「見せましょう」に書き換えた。
楽天がようやく仙台に戻れたのは、この試合のさらに5日後だった。1泊2日の強行軍。自宅を片付ける間もなく、各グループに分かれて避難所を慰問した。宮城県東松島市に向かった嶋は、初めて見る被災地の惨状に息をのんだ。
「他の競技のチームはすでに行っていたので『遅い』とお叱りを受けることも覚悟していたんですが、皆さん『待ってたよ』って…。やらなきゃ、頑張らなきゃって思えたことを覚えています」
開幕カードは千葉。バスで6時間かけてたどり着いた。主催試合を甲子園や神戸で行い、仙台で戦えたのは4月29日だった。あれから15年。嶋ヘッドコーチは77番を背負う。あの年から楽天を率い、2年後に東北に日本一をもたらした星野仙一と同じ番号である。


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