1978年、ヤクルトスワローズが叶えた奇跡の日本一。“冷徹な監督”は優勝未経験の弱小球団をどう変えたのか。数年にわたる取材で名将・広岡達朗の過去と現在に迫った書籍『正しすぎた人 広岡達朗がスワローズで見た夢』が好評を博している。のちに西武でも日本一に輝いた広岡は、自身のヤクルト監督時代をどんな言葉で振り返ったのか。そしてヤクルト初優勝のウラにあった、中日・星野仙一の思惑とは……。同書より一部を抜粋して紹介する。(全2回の1回目/後編へ)
「あの頃は本当に楽しかった」幸せだったヤクルト時代
継続的に話を聞いてきた広岡達朗へのインタビューも、いよいよ大詰めを迎えていた。時代もテーマもあちこちに飛んだものの、それでも彼の言葉の断片を拾い集めていくと、「1978年のヤクルトスワローズ」が、少しずつ浮かび上がってくる。
取材のたびに自己紹介をして、そのたびに「スワローズ時代について伺いたい」と告げてきた。すると広岡は、しばしばこんなことを口にした。
「私はヤクルトにお世話になった。いい選手に恵まれて、あの頃は本当に楽しかった。何もやり残したことがない。私は幸せですよ」
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第10章で詳述するが、スワローズ時代の広岡は幸せなエンディングを迎えていない。いや、愛娘である祥子さんの言葉を借りれば、「父は円満退社のできない人」である。現役時代の読売ジャイアンツでは川上哲治監督と、スワローズ退任後の西武ライオンズ監督時代も、GM職を務めた千葉ロッテマリーンズ時代も、フロントと衝突してチームを離れている。
だからこそ、スワローズに対しても、その栄光とは裏腹によく思っていないのではないか?
勝手にそんな推測をしていたのだけれど、広岡はしばしばこの時期について、「楽しかった」「幸せだった」と口にした。特に1978年ペナントレース終盤についての話題となると、その口調は滑らかになった。
――「優勝できそうだ」という手応えはいつ頃、感じたのですか?
「手応え? そんなものは最後までなかったよ。あくまでもあの頃のヤクルトは挑戦者だったから。ただ、ジャイアンツが首位に立ち、何とか食らいついていた頃、“まだまだ巨人を叩くチャンスはあるぞ”と信じていた。長嶋(茂雄)の投手起用はめちゃくちゃだったから、絶対にそのしわ寄せがくる。そんな思いを強く持っていた。だから、“絶対にチャンスはあるぞ”とは考えていたけど、“これで優勝できそうだ”と思ったことはない」
もはや、取材をする上で「心のスイッチ」を気にする必要はなかった。

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