日本ハム3位・大塚瑠晏 練習場まで片道2時間超…人気食堂を営む両親は小4息子の「自分で通える」を信じた【25年ドラフト選手の“家庭の事情”】

日本ハム3位指名の東海大・大塚瑠晏(C)共同通信社

【25年ドラフト選手の“家庭の事情”】#8

 大塚瑠晏(東海大・内野手・22歳)

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 栃木駅から北西へ車を走らせ30分。山あいの旧道沿いに「峠の味どころ 大越路」が見えてくる。

 1970年代、トラック運転手だった大塚の祖父が峠のドライブインとして開業。いまでは鹿沼産の蕎麦が名物となり、その味を確かめようと平日でも行列ができることも珍しくない。オープン当時からメニューは100を超えるが、2代目店主で大塚の父・友英さん(54)は、「蕎麦以外のなかなか注文されない料理でも、作り方を忘れるなんてことはありません」と、キッパリ。

 祖父母も健在で、大塚の母・初美さん(52)、パート従業員らとともに店を切り盛りしている。

 友英さんは葛生高(栃木=現・青藍泰斗)の野球部で二塁手として活躍。3年春・夏の県大会はいずれもベスト4に進出した。初美さんとは会社員時代に出会い、26歳で結婚。勤めていた会社を辞め、婿養子として初美さんの実家の家業を継いだ。

 1年ほど市場で働き、食材の卸値や相場を勉強。地元の有名割烹で1年間修業を積み、「大越路」へ。ほとんどの料理はすぐに作れるようになったが、店の看板である蕎麦だけは勝手が違った。友英さんの心に火がついた。

「若い頃ならではの変なプライドもあって、素直に『教えてください』なんて言えませんでした(笑)。義母の技術を見て盗む。スポーツと同じです。努力している姿を見られるのが嫌で、店に誰もいない早朝や深夜に一人で試行錯誤を繰り返しました。自分の打った蕎麦を店に出せるようになるまで、何年もかかりました」(友英さん)

 結婚からほどなくして長男を授かり、3年後に次男として大塚が誕生。息子たちに野球をさせる気はなかったが、ひょんなことから長男が野球に出合ったことで、大塚ものめり込んでいった。

 大塚の上達は驚くほど早かった。それもそのはず、物心ついた時から筋金入りの負けず嫌いだったからだ。片鱗を見せたのは小学1年時、地元・鹿沼市の陸上大会だった。

「1年生は参加者がほとんどおらず、2年生の部に出場。予選を勝ち上がって決勝で2位に。小学生は1学年の差が大きいですから、私たちは大健闘だと思っていたのですが……。本人は終わってからも、帰りの車の中でも大号泣(笑)。よっぽど悔しかったんでしょうね」(初美さん)

 野球人生の転機は小学4年時。地元少年団のチーム合併を機に、兄が所属していた強豪・小山ボーイズへ移籍した。店の近所の自宅から当時の練習場まではバスで約40分、電車を2駅、そこから自転車で30分。乗り換え時間を加えると片道2時間を超える。大人でも音を上げる道のりだ。

15分のノックのために往復1時間

「大変かどうかを決めるのは親ではなく本人です。息子は入団する1年前から『自分で通える』と言い続けていましたし、親が子供の可能性の芽を摘むことはあってはならない。だったらやらせてみようと。どれだけキツくても、自分が望んで選んだ環境で野球をやりたいなら我慢するしかありません。その我慢も彼らを成長させたのだと思います。電車で寝過ごして終点の群馬・桐生まで行ってしまい、泣きながら電話をかけてきたこともあった。でも、あえて迎えには行かず、『落ち着いて駅員さんに聞きなさい』と。何でも手を差し伸べるのが子育てじゃない。それも社会勉強です」(友英さん)

 約1年間の遠距離通いを経て、大塚が小学5年生になる頃、長男の高校進学の都合で一家は練習場にも通いやすい栃木市内へ引っ越した。

 友英さんは息子たちの試合をほとんど見ることができなかった。

「私は小学生の頃に父を亡くし、母子家庭で育ちました。高校まで野球をやらせてもらいましたが、どうしても金銭的負担を気にしてしまい、最後の夏はチームが甲子園を目指す中で複雑な感情を抱えたままプレーしてしまった。息子たちには絶対にそんな思いをさせたくない。土日祝は客足が増える。必死に仕事に打ち込みました。それが私の役目ですから」(友英さん)

 平日のサポートは惜しまなかった。子供たちが学校から帰る時間を見計らい、店から車で片道30分かけて帰宅。練習へ向かう前のほんのわずかな時間でも、家の前の砂利道でノックを打った。送り出すとすぐに店へとんぼ返り。滞在時間は15分に満たないこともザラだったが、できる限りのサポートをしたかった。仕事を終えると、練習から帰ってきた大塚に付き添い、自宅横の納屋でティー打撃、ゴロ捕の練習を見守った。そんな日々を「苦労とはまったく思わなかった」と振り返る。

 大塚は東海大相模高(神奈川)へ進学し、3年春にセンバツで優勝。東海大では主軸として活躍、4年時に大学日本代表入りした。今秋ドラフトで日本ハムから3位指名。家族の献身と、幼い頃から育まれた自主性がプロへの扉をこじ開けた。

「日本ハムで安定して活躍し始めたら、その時は店にユニホームを飾りたい」とは、友英さんだ。

▽大塚瑠晏(おおつか・るあん) 2003年10月26日、栃木県鹿沼市生まれ。鹿沼市立永野小(あわのスポーツ)から、栃木市立南小、栃木南中(小山ボーイズ)を経て東海大相模へ進学。3年夏の成績次第でプロ志望届を提出予定だったが、部内の集団コロナ感染により、県8強で不戦敗。東海大の4年夏に大学日本代表。右投げ左打ち。身長170センチ、体重74キロ。

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 日刊ゲンダイで毎年好評の当企画「ドラフト選手の家庭の事情」。関連記事には過去の日本ハム回をピックアップした。伊藤大海や達孝太はどのようにして育ったのか。

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