【一場靖弘】球界を揺るがした“事件”の代償…メンタル崩壊でもがいた8年/恩師・野村克也/職を転々とした引退のその後|一場靖弘のプロ野球人生(東北楽天ゴールデンイーグルス〜東京ヤクルトスワローズ)
事件のあれが強すぎてメンタルがもうやら れてたっていうのも正直あるんですよ。な ので自分の心の中で後悔と当時のこう言わ れたことが気持ちの中残ってしまって るっていうとこがありますね。 ユニフォームを脱いだ後、プロ野球選手は どのような人生を歩んでいるのか。彼らの プロ野球人生とセカンドキャリアに迫り ます。 プロ野球セカンド。 今回の主人公は プロ野球セカンドではチャンネルをご支援 いただけるスポンサー様を募集しています 。 詳しくは概要欄をご覧の上お問い合わせください。 おはようございます。 はい、よろしくお願いします。 よろしくお願いします。 セカンドと申します。 はい。1 番安い色です。え、 2004 年のドラフトで東北楽天ゴールディングスで、その後 2009 年に東京ヤクルトスソアローズに移籍しまして 2012 年まではい、プレイをしておりました。 今回市葉さんのこのゆかりの場所で撮影させていただいてるんですけども、 こちらは今 こう練習上みたいな形ですけど、これはなん何て施設なんですか? えっとね、当社が、えっと、運営している野球スクールですね。元プロ野球選手がえっとしている野球スクールということで 指導もしてますし、今代表という形でやらしてもらってます。はい。あの、一応グループ会社当社があの、ホールディングスになってますので、そこのグループ会社であの野球スクールを運営しておりまして、そこの代表をやってます。 野球スクールのそのお仕事の他にも今年から新たに そうですね、あのもう、え、立ち上げ 3年なるんですけども実質えっと今年 1年えっと山梨のファイアウンズ BCリーグの方明してから1 年終わりまして、え、そこのコーチとしても やらせてもらってます。はい。 会社経営をされながらプライのコーチ はい。2 速の同じでされてるということ。 そうです。実質はあの保険営業もしてるんで 3速なります。 あ、3速もされてか いやすごいですね。 はい。そもそも千葉さんのご出身ってどちらですか? 群馬県ですね。群馬県妻っていうとこちどいですね。コンビニも近くに 1件あるかないかっていう ご兄弟とかって 兄が3つ上の兄がいます。 お2人でこう一緒に野球しながら したことないっす。 あ、鬼さん 兄はスポーツがあんまり得意ではないです。 いくつぐらいの時から野球始めたんですか? そうです。チームに入り始めたのが小学校 3年生なんですよ。 はい。 ただ、えっと、庭の方で父親とキャッチボールをしていて、元々父が野球が好きだったので はい。 えっと、体を浮かすのが好きなら野球チーム入ったらどうっていうのが小学校 3年生の時です。 ああ、なるほど。 はい。 ま、プラ野球選手の夢っていうのは結構早くから意識されたんですか? 小6からです。 あ、じゃ結構早めに。 はい。 ただあの幼少期は巨人戦しかテレビで映らなくてですね。 確か、えっと、目標小学プロになりたいっていうのが小学 6 年生で、その後桑田さんがこう怪我をしてっていうとこがあったと思うんですけど、 その辺ぐらいからあの、また復活劇も生えてプロになりたいと、あの、こういう風に影響を与える人になりたいとていうのがあって、チームでどう風にてなかったです。そういうチームじゃなかったです、正直。はい。はい。 そこからの歩みっていうのはやっぱりプロに入るための選択っていうのを取られていったわけですか? そうです。 そのプログラムを正直自分自身が作ってったっていうわけでなく、例えば高校もそうですけども、特体という、ま、桐大部校の特という中で選ばれて行かしてもらったっていうのが 1 番土台になるんじゃないですかね。大きかったなっていう。ま、原点は桐第一高校に行って公園出場上優勝できたっていうとこが自分の中では非常に大きかったなっていうとこですかね。 石葉さんの中では高卒プロイルみたいなところも結構考えてたわけですか? それが大抽選でした。 うん。うん。 はい。 ただですね、あと私のところにあのその話が入ってくるわけでなく、監督が窓口ですので監督で全て終わってしまったっていう。 なるほど。 はい。ま、監督の方が行けるなら上位へ行った方がいいんじゃないかっていう思いがあったみたいで、それよりも先に明治大学からこうお誘いがあって無ろ大学だしもうあの行きなさいとで話が終わりです。そうですね。 え、まず思いを思いをこうあの頭で巡らし ていくとまずえっとセレクションを受けて ま々決まってたっていうとかあるんです けどセレクションやってみんな仲間がこう でき始めて先に入料した人からあの怖すぎ て外から出れていうのがあって上下関係が ずすごかったんですよ。ああなのでそっ からスタートですね。怖いところから スタートする。なるほど。はい。 ちょっとでも多分それ一昔前の そうです 時代のお話ですもんね。 プロをみんな目指してっていう心志しの高い選手がみんな戦出場とかあったと思うんで集まるっていうとわけでなくただま性が怖くて廊下から出れあ部屋から出れないっていうの話を先もらってからのスタートだったんで どんな大学だというところから始まりました。 実際にどうでしたか、それ? いや、怖いですよ。はい。だからもう今多分みんなどこのあの周りの方も OB も言ってますけど、ま、当然規関係なしきがあったり、集合があったり、 外出禁止があったり様々で いろんなこういうリストがあって、これを火級生は使っちゃいけないとか、使っていいとかのリストがあったりとか。 ああ、なるほど。ざ体育会計の はい。そう、そうです。そうです。 私はすぐ入学して春からもうあの 2 戦目で投げてましたんではい。ま、そこまで扱いというのはあの火級性らしい級性扱いじゃなかったですけど、ま、やっぱ 4年生ですよね。あとは 印象残っての2年生の秋に初めてあの、 2年生の秋か150km 出したっていうところか、そっから 150km出るになったと。で、4 年の春に、ま、チームで優勝して、え、そっから、えっと、大学選手権出て完全試合し うん。 で、えっと、ま、シーズンでも 107個っていう三振を取って歴代の 2位というところもあったり、 その点では自分の中でキャリアが 1番良かったかなっていうとこも 1つですね。ただ悔が残るとしたら4 年の春やっぱり自分の初問題であの、出場できなくてチームが 4位終わってしまったと うん。 っていうとこ増やしたと自分のその個人的なあの、えっと、脱三振記録とか勝率もあの届かなかったというところがあったので、それはちょっと悔しい。やっぱ江川さんの記録っていうのを第 1 にあげてたので、ま、そこは、ま、抜け、抜けてた。はるみたいな活躍をすれば抜けてたかなっていうとこだったので。 はい。 プロ入りっていうのはかなり自分の中では近づいた瞬間だったんじゃないです。 そうですね。もう2 年生の時からもう私今以今で言うとほぼ確信しました。 ああ。怪我えしなければっていう あの1 番事件自体はちょっと触れても大丈夫ですか? 多少は?はい。 当時のドラフトっていうのはどういう形でこう接触があって進んでたんですか? そうですね、先輩方もその毎回毎回グランドとか球場あのグランドも含め軍もスカウトが来てるような状況でえっとま、プロ行く選手、ま、高校の時もそうですけどプロに注目される選手は必ずスカウトがこうついてっていうのが元々見てる景色ではあったので、ま、注目されればプロからも、ま、例えば新聞に書か たり、雑誌に書かれたりっていうのが、ま、当たり前だなっていうのがあったり、ま、ある一方でご飯連れてってもらえるよとかって話を聞いてはいたので なので、ま、それぐらいの感じ感覚でしょうね。 はい。ま、後から私がこう大問題になりまして、何年かした後に、ま、いろんな選手がもらってたとかっていう習慣者見たりとかしてますけど、当時は誰も言ってこなかった話で、その現場も見てるわけじゃないんですよ。 そうですよ。 はい。なので、あの、実際にそういう風に あったっていう情は私が事実なので、そこ は何も否定はしないですけどなのでね、逆 に言うと自分の中でこう天狗じゃないです けどプロリ 選手に関してはそういうのがあ、あるのか なっていう風に勝手な思いましたね。 そうです。当時ライブドアさんと、えっと 、楽天で9回にこう参入するかどうかって いう話がちょうどあった時に、ま、近鉄 とオリックスの合併ですね。ていうとこの とこのタイミングでで、えっと、ま、タオ さんが監督になって1番に市場取り行こう という話をいいたので、私はもうすぐ様は 挑戦するとはい。思いで行きました。 事件の問題もあって一番さんの中でもうもしかしたらプロ野球に行けないかもしれないみたいな不安も抱いてたんですか? ありました。日本がなかったらもう目ジャー行ってました。それはもう団何球団か来てたっていう話は聞いてるのでそっちの世界しかなかったですね。 ま、そこの中でじゃあその楽天からの声がけっていうのは一場さんの中でその時はどういう心境だったんですか? そうです。国内でやる球団 1 つしかないのでもうありがたかったですよね。本当に。はい。 えっと、楽天の初年度、 初年度です のドラフト はい。 で入団されたってことですよ。 はい。そうです。 実際どうでしょうか?その楽天の少年の そうですね。ま、チームも正直できたばっかりっていうのもあって、あのオリックスから例えばあの分配されてくる選手方多かった。 ま、ベテランが多かったっていうイメージ があったのでなんでと、ま、仲良くさせて いたのが岩くさんでよく面倒見てもらった のが岩くマさんていうところだったんで、 ただ正直自分の中では学ぶっていう意識 よりもその入団の前の事件のあれが強すぎ てメンタルがもうやられてたっていうのも 正直るんですよ。うん。 なので今までその大学も気持ちいいで何も怖いもん知らずに行っていたのがもう怖くてしょうがなくなってしまってだから野球やる環境は正直なかったっていう今振り返れば思いますね。はい。 それはやっぱり当時のそのちょっと報道が加熱しすぎて バッシングどこから行っても目をま、見られているっていう怖さがあったり、ま、ファンから球行けばファンが大勢いるわけなんで、あの人間不審みたいな形でだからファンって言っても結局文句言うんでしょっていう思いがあったりとか、ま、いろんな事があったりとかっていうとこで正直対戦さプのっていうこ一流の選手を対戦できるっていうあれではなかったですね。 当時まだSNSとかはないんです。 うん。あんまなかったすね。 ですよね。 今だったら多分やばかったと思いますよ。 何かで見ましたけど生地から何かでご家族の方も あ、そうです。 えっと、実家の方貼り付け、張り込まれて、 えっと、田舎なんですけど、ま、木があったり、畑があったり、あの、人の、ま、目の前の家の影を撮ったり、あと木の影からビデオ回されたりとかっていう、ま、親も外に出づらくなったりとかで、例えば車でどっか行こうものはついてこられるとか あ、 ていうのがあったり、匿名フックスが送られてくるとか はい。っていうのがあったりしましたんで、ちょっと怖かったですね。 自分自身はやっぱ各いろんな試合で遠征っ たりとかやっぱ試合を必ずやんなくちゃ いけないのでその時にあのま、1軍でも2 軍でもそうですけどいろんなこうねあの あることないことを言われたりとかはし ますしだから自分でもう行動ができなかっ たですよね。 これってご自身の中でプレイに影響したなっていうのは思いますか? いや、もうあの正直言いますと、あのプール入ってる間ずっとす。 あ、え、引退されるまでですか? はい。 あ、そうですか。 今はもう何にもノープレッシャーなんでないですけど、ブルは今全部そうですよ。やっぱりそのことがやっぱり記憶から消えないなので自分の心の中で後悔とあの当時のこう言われたことが気持ちの中残ってしまってるっていうとこがありますね。 ま、振り返ってもその明治学時代の投級スタイルとプロに入ってからってのはガラっと変わって そうですね。そもそも入団する時ってあのみんなこうディストレしっかりやった上であの入ってくんです。ディストレもちゃんとできなく はい。 あのタイブしてるわけなんで練習環境もないていう中でえっと合動ストレでほぼほぼ練習するみたいな はい。だったんでフォームをちょっと自分 の中で感覚をやっぱ微調整ができなくなっ てしまったというのがあって、そのまま キャンプ行ってえっとフォームが代わり 興奮に直そうっていう話から始まり自分の フォームを見失いかけたっていうとこも あったりしましたね。 ある程度メンタル強かったら多分そのまま技術もあのある程度こうか、あのなんて言うですかね。技術がなくてもメンタル強かなんとかなるんじゃないかっていうとこもあるんでそれが伴なかった本当は審議たいっていうぐらい伴なかったら成功はできないですね。 それはでもその8年間、プロ8 年間っていう中でやっぱりこう克服しようとか乗り越えようと いや、それはもう毎回結果出さなかったらすぐ首っていう世界なのでそれは結果出さないとちょっとと思いましたけどあのまんでしょうね。今まではこうフォームも誰から教えてもらったわけじゃないんですよ。 はいはいはい。 大学生の時も自分で思いつきひらめきでこう変えてみよう。ただプロってコーチが必ずいてトレーニングコーチもてこういう風にやった方がいいじゃないかっていう今だら自分で弾けたと思うんですよ。 はい。 ただ全部をこう聞いていたと はい。 当時のことがあったんで聞かなくちゃだめだったっていうのはフォも分かんなくなってしまって自分のシーンがなくなってしまったっていうのがありますね。 うん。 これはま、自分のせいでもありますけど プロの在籍期間中っていうのはあの大学在籍中のあのパフォーマンスを超えるってことは ないです。 なかったですか? あの大学を例えば10にしたら2 ぐらいですね。あ、本当です。2 か3ぐらい。はい。 近出せてないっていうのはあります。 かさんですか? はい。当時の気持ち気持ちと当時のまま当時の気持ちを考えたら 10のうち2 ぐらいです。ニカさんま村監督です。 ま、田さんもやっぱりあのすごい親切に こうしていたんですけど、野球に関しては やっぱ野村監督が2年目から監督になった ことで、ま、チーム全体が変わり、 やっぱり考えなくちゃいけないっていう 野球に変わりやっぱデータですよね。 取りながらとこもあったりとかではい。 そこは自分の中でも野球っていうこう考え 方が変わったとこですね。 あの、例えばストライクゾンも今まで9 分割だったものが81 分割っていう超細かくっていう とこがあったり多分投げるは方法ないとは思うんですけどっていうぐらいやっぱ考え方が新しくあったりインコースの投げ分けまコースとかバッターの特徴やらなんやかんやっていうとこも細かかったりとかはい。あ、こんなに違うんだというところではい。 で、その中で途中でこう楽天からヤクルトを移籍するってタイミングがありましたけど、そこも 高知人とか野村監督の一声っていうのも結構影響された遺跡だったということ。 そうですね。まず野村監督の方から高座監督にえっと一場どうにかしてくれないかっていうのにお願いしたと僕は聞いてます。はい。ていうのがあったり、ま、明治の先輩高田監督が当時監督だったのでっていうとこもありつつただあのヤクルト部と一跡の初年度がですねぐらい痛くてですね。 あ、 元々2 年目から肩を故障してまして、で、ご任しましやっていたんですけど、そっからあの肩が痛い中で一旦で思うようなパフォーマンスがまずできないっていうところの悪い印象から入れてしまったっていうところがあったんですかね。 その肩の怪我っておっしゃってましたけど、インピンジメント消 あ、そうです。 というところですよね。 はい。 それが全部の骨が肩の骨に引っかかってしびれるか。 そうです。 なのでここが今今でも痛いです。 そうなんですか。 もう引退して13 年経つ。今でも痛いです。方なんでここは多分手術しないと治らないなっていうところがありますね。そこのえっと入団前のメンタルもあり、 2 年目にちょっと肩の怪我っていうところもありじゃそことの戦いでプライ生活をこうされてたということだったんです。 そうです。そうです。 そうですね。苦しいことは特にあの1番は あのいつも1軍2軍でも必ず来ていただい てるファンがいるわけですよ。なのに結果 が出ない。自分で出そうと思っても出ない とかで次も頑張ってくださいね。次も 頑張ってくださいねって毎回言われ るっていう自分がもめちゃくちゃ良かった ですね。っていうのが1番の心の残り。ま 、自分の結果云々も個人的な結果云々も そうですけど、こうせっかくお金払って来 てくれてるファンの人に何も期待が添え られなかったというところが1番のあの 反省と言いますかですかね。 で、特にやっていたことっろ練習方法とかいろんな先輩に聞いて同じような練習やりましたけどその前にもう肩が痛いというのがあってやっぱ今まであのなんて言うんですかね投げ方を模索して投げなくちゃいけないっていうあれなんであのよくみんな紫生になってもそうですくなると肘よりもどうしようもないっていう話を聞いたまさにそれだなと肩が上がんないんですやっぱ っていうか投げてしまって肘にも故障を抱えてっていうとこがあったので正直そうですね。だからま、本当に 1 番いいのはですけど駐車打ってごまかしてたっていう。 なるほど。それでも根本解決ではないですよ。はい。ってことはでも痛みにも耐えながらでもその自分の大学時代の 10 のパフォーマンスを目指してたけど全然届かなかったっていう。 そのイメージがもう駆け離れすぎて元には戻んなかったです。 はい。メカニックな言うと本当びたるもんで周りの人わかんないと思うんですけど、自分も大きく違うっていうとこがあって感覚のずれがめちゃくちゃありましたね。 ま、怪我もありっていう中で 2012 年プロ最終年を迎えるわけですけども、この年が 1 回も一軍に上がれなかったと思うんですけど、この年のことって覚えてますか? そうです。そうですね。 もうファームにいてもあのですね、基本、ま、前のそのいた選手と見てるんで、夏場以降ぐらいから試合を入る回数がやっぱなくなっていく。 うん。 あ、もういよいよかなと。ま、同時に私古節も同時に痛めてしまっていうのがあって、ま、もう自分の正直自分の思った球が投げれなかったらもうダメだなっていう風に思ってたんで、ま、そういう風にあのローテーションにもう中継でも入れなくなったんだったらもう夏以降があ、そうそうもうよいよだなっていうのは思ってました。 戦力外を受けた時っていうのはどんなシクだったんですか? いや、もうつか来ると思ってたんですけど、これが遅れ早今なんだなっていう感じがしましたし、例えばあのテレビとかでこういろんなこうバースデーとか見てますけど、あ、こういうことなんだなっていうのが分かりました。はい。日本のトライアウトを受けて何も声かずに同時に韓国の方のチームから話が来たと。 っていう、ま、最後の悪きじゃないですけど、ま、やるだけやってみようと、もうダメならもう引退というところですか。ただ、あの、引退すると多分ほとんど言ってないと思うんで、ま、事実上引退ですけど、 今だったら確かにSNSで に宣言っていう形でこうメッセージをできますけど、 何も宣言してないです。 あ、そうですか。 じゃあもうちょっとフェードアウトみたいな感じっていった感じですか? そう。はい。 プロの世界で野球ができなくなるっていう憧れたプロの世界で野球ができなくなるっていう歯者はありましたけどただプロってやっぱこういうもんなんだなっていうのが改めて身にしみだその先しようの方が大きかったです。野球を終わってその先どうしようっていう 気持ちの方が強かったですね。 そうですね。 一旦えっとですね、えっと楽天の時の当時候補だった方からそのコーチの話も正直あったんですよ。 ああ、はいはいはいはい。 ただ私は一旦野球を離れたいっていうのが頭にあり、え、そっからどうしようかなっていう時に高校の野球部の同僚だった、あの、ま、同級生に誘われて、あの、企業にまずお手伝いに行くっていう形になるんですけど、 それを1 年間やって、次にあの楽天の当時だった北藤誠さんから誘われて営業プラス野球教制の会社に行きましたと。 2年目から課長になったんすよ。 はい。 で、営業成績3位になり はい。 あ、ある程度自分で目標に対して行けたとっていうところで、そういった時に色々その取材があったりテレビとかでその凱旋も出てあ、出た時にその外県の保険会社の方からヘッドハンティングがありましたと。 はい。はい。はい。 で、こう話をま、 1 回聞いてみようと興味反応で、ま、人生変えられるなと。逆に頑張れば野球みたいな給料青天井になるんじゃないかっていう。 うん。 うん。あったりを幸せにするイコ自分の上がるってことを考えたらめちゃくちゃいいじゃないかと。 ていう思いでそっちに行ったと。えっと、 ある程度5年半ぐらいをその仕事やって、 ただやっぱりあの、その前に野球の指導者 資格の回復をしていたので、結局何のため にそれを取ったんだという話に戻りまして 、野球スクールは、ま、また違う人の時代 であの会社で開行して、っていう流れで、 で、そっからえっと今元々ヤクルトで一緒 にやった加藤の方から、えっと、うちの 会社の方で野球 スクールと保険代店で両方できますよと。一番さん元々やってたからできますよね。もっと稼げますよっていう話からそっちに行ったと。 ああ、なるほど。 もう1年か1 年経つんですけど、スクールの代表になって 1 年経つんですけどその時からえっとその野球のその経営を学んでくれとっていうところで第一歩として野球のスクールの経営の子を倒させてもらってるというところですかね。小学校 1年生から中学校3年生までですね。 なので、えっと、元プロによる少人数の野球スク作るということで、マックス、あの、大塚で言うと 6人 ああ の1 子までやってます。基本的にはチームに所属してる子が来るので、 うまい子はやっぱりいます。 それやっぱさらに伸ばしてあげたいとかっていう思いがあったりとかしてますんではい。バラバラですね。 えっと、うちのホールディングスの中のグループ会社なんで、各やっぱグループ会社のそれぞれの事業のトップがいるっていうとこの、ま、 1人であるっていう 抜擢されたっていう。 そうです。はい。そうですね。合計は 800人ぐらいのあの社員がい るっていうことになるので、その中で、ま 、いろんな事業ありますけども、あの、 生活、支援育ということで、えっと、野球 のそのスクールと球団があるっていう感じ ですね。今その経営とかっていうとこに 立させてもらったことに考えると、あの、 正直事業を伸ばせば伸ばすだけ選手の年収 を軽くUにこせるわけですよ。うん。うん 。っていう風に頭でスイッチして、あの、 個人、1、個人でやっていたものから会社 というところで置き換えた時に、ま、どう 捉えるかやりがいを考えた時にそっちの方 がやりがいをもうにあるんで、そっちを どう伸ばすかしかも今考えてはないですか ね。 なので逆に言うと、あの、その先々先行け困ってるプラ野球選手の方とか、あの、うちに事業がいっぱいあるんで、結構野球やりながら他の事業もできたりするんで、結構給料面は安定すること思います。 確かにこのスクールも大塚だけじゃなくてもそうです。 結構あるんです。 今5拠点ありますね。 将来もっとプロ選手の紅用っていうところも考えてる。 全然それも考えてはいますね。 あの、逆に言って保険で稼いでたり、 メインで稼いでたり、えっと、業務委員で スクール行使してもいいですし、その、ま 、その逆私みたいな決てもいいですし、 やり方は色々あると思うんで、あとは ちょっと不動産業も当社がやってたりとか するんで、いろんなこうやりたいことは できるかなっていうとこもありますね。 山梨ファイヤーウィンズていうチームです ね。なのでBCが元々7チームだった ところ、今して8チームになって るってとこなんで、そうですね。 ただコーチといえもやっぱスクールがメインっていうところがあるので頻度としてはそんなに行けてないってかもう多分本当に年にシーズン 4月からここ9月まですけど多分3 回ぐらいしか山梨行ってない。 あ、そうなんですか。 あ、べったりのコーチではないです。 そうです。こっちのスクール業がやっぱりあのこっちにあの講師として入ることもあるのでなかなかで行けるタイミングが合わなかったりとかしますね。 あの、要はそのたまに行って試合見ても 結構打たれるピッチャー、ストライクが 入らないピッチーって、ま、メンタルケア をしに行くようなイメージですね。同じ 選手をこう、ま、より独立リーグなんで 若い選手がいてプロを目指してるっていう 選手がいるので、より早道できる、近道 できるようなあの練習方法なり自分のやっ てきたことはこうですよってことに アドバイスた黒ってこういう世界だよって いうのを伝えた上で目指してもらうと 1番それを持ったのがそうですね、野球 ばっかやたから何も知らないでしょって いう目で見られます。ああ、社会に出ると 、だから私はそれを変えたかったって、 それが嫌だったので、その外式行った時も 、あの、税理さんと話せるようにまでこう 勉強したりとかっていうのに言ってたら、 よくそこまで勉強したね勝ちなんすよ。 それを坂点取るっていうか。なんで やっぱり野球しかできないからできないと か逆に給料すごい下がるわけじゃないです か。だからできないっていう人が多いと 思います。それは。うん。なるほど。どれ だけ我慢できるかすなので成功だけがいい わけでなく、ま、私みたい失敗したことに よってこう逆に入上がったりとか上を向け るっていうこともあると思うのでなので あのいいことばかりじゃないっていう山り 谷りだなってことはあ々承じてます。 ただ自分の中では野球にだけば野球でやっぱり 1 番なりたいっていう夢は消えてないのでプロではダメだったけどもそういう経営としてしっかりと結果を残してどの元プロ教室のも 1番になると いうところまどのスクール授業も 1 番になるっていうことを念頭においてあの今後もやっていきたいと思ってます。はい。 さんのこれからの世界キャレも応援しております。 はい。ありがとうございます。 ありがとうございました。
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★過去に取材した一部の方々★
●荒木貴裕さん
●西田明央さん
●塩見貴洋さん
●聖澤諒さん
⚾️今回の主人公⚾️
一場靖弘(いちばやすひろ)|東北楽天ゴールデンイーグルス〜東京ヤクルトスワローズ
1982年生まれ
桐生第一高校2年時に甲子園出場し、優勝。
明治大学では才能が開花し、当時大学最速154キロの本格右腕として活躍。
完全試合の達成や奪三振数など記録を打ち立て、大学No.1投手として注目される。
2004年ドラフトで設立初年度の東北楽天ゴールデンイーグルスに入団。
怪我の影響もあり満足のいく成績を残せずに2012年に現役引退。
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■トークテーマ一覧
00:00 ダイジェスト&オープニング
02:37 プロ注目の大学No.1投手になるまで
07:32 “事件”の代償…誹謗中傷でメンタル崩壊
14:45 プロ時代の恩師“野村克也”
15:57 肩の怪我にも襲われていた
16:55 引退宣言せず…静かに現役引退
20:36 職を転々とした引退後のあゆみ
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