【荒木貴裕】プロ人生で唯一の後悔…/サッカー少年だった幼少期/痛感した“信頼を取り戻す難しさ”|ヤクルト一筋14年…荒木貴裕のプロ野球人生(東京ヤクルトスワローズ)
ちょっと自分の中で後悔してる部分はあり ます。歩け なかったっすね。まっすぐ歩けなかったす ね。 [音楽] ユニフォームを脱いだ後、プロ野球選手は どのような人生を歩んでいるのか。彼らの プロ野球人生とセカンドキャリアに迫り ます。 プロ野球セカンド。 今回の主人公は [音楽] プロ野球セカンドではチャンネルをご支援 いただけるスポンサー様を募集しています 。 詳しくは概要欄をご覧の上お問い合わせください。 [音楽] こんにちは。プレ級セカンドと申します。 よろしくお願いします。 え、荒木高弘です。え、東京ヤクスワローズで 201 年ですかねから 203 年までの14年間ですね。 そうです。2010年から。 はい。10 年からですかね。はい。 えっと、引退ちょうど 2 年経ちましたけれども、荒木さんのプライ級秘密を今振り返っていて、改めてどんな 14年間だったなと思いますか? そうですね、ま、本当に、え、リグションもしましたし、日本一にもなったので、そこだけ見たらすごくいい野球人生だったなと思うんですけど、やっぱりうん。 [音楽] 本当その一瞬だけというかやっぱほとんど はや苦し苦しかったというか大変だった なっていう思いはあります。 [音楽] いやあ難しいですね。うーん。 いやあ 、50点ぐらいすかね。 あの、もちろん、あの、野球選手である以上は、えっと、しっかりレギュラーを取ってっていうのがやっぱりプロに入った時の目標でしたし、ま、まずはそれが、ま、達成できなかったというか、ていうのはすごく残念だったなっていうのと、 [音楽] あとは僕は 14 年やらせていただきましたけど、もっともっとあの、もう 20年も30 年もやられてる方もいますんで、もうそれに比べると全然、ま、大したことないなっていう風に思ってます。 で、今回家の鶴という場所にさせていただいて、室内野球練習上ですかね、何か今の活動と関係があるんですか? はい。えっと、今現在はえっと野球スクールの方でえっと 指導してるので、え、今日は、え、そのスクールの場所ですねのそこの一部のトレーニング上になってます。はい。 で、今回はですね、その荒木さんの人生と引退った今のそのセカンドキャリアの今についてお伺いしていきたいと思いますので、 え、よろしくお願いします。 よろしくお願いします。 え、荒木さんのご出身ってどちらですか?えと、富山県になります。えっと、親べ市っていうところになります。え、どっちかと言うと石川県よりですね。 石川県と富山県のまっていうんですかね。はい。 結構自然豊かの街という感じですか? そうですね。僕の実家の周りは本当田ぼしかないって感じです。元々はでもサッカーやりたくてずっとえっと小学生の時はサッカー部に入ろうと思ってたんですけどう。 ま、なから野球やろうよっていう風に誘われて、じゃあやろうかなっていうのがきっかけなので、うん、最初から野球選手になりたいとかっていう風に始めたわけではなかったと思います。 プロ野球を意識したのっていうのはどの辺りになるんですか? いや、でも野球を始めて、ま、少し経ったぐらいからうーん、やっぱり野球中継とかっていうのは見るようになったんで、そこで、ま、かっこいいなっていう風には、ま、意識してったのかなっていう風に思います。 高校は、えっと、山梨県の提供第 3 高校っていうところだったんですけど、もうこれはあの、やっぱり県外に出てうん、ちょっとレベルの高いところで野球をやった方が今後に繋がるんじゃないかなっていう風に思って、ま、選択しました。 高卒みたいなことも意識はしてたんですか?あ、 もちろん、あの、そういう風に、えっと、やってましたけど、ま、それはなかなか難しかったですね。 はい。 大学はどちらと近畿大学です?大阪のはい。 プロニへの夢を近づけたポイントきっかけとかっていう出あったんですか? え、そうですね。ま、今思えばうーん、大学の日本代表に入ったのがやされるようになってきたのかなっていう風には思ってます。 [音楽] 2009年ドラフト はい。 この当時荒木さんはどういう風にこのトラフトっていうのに見守っていたんですか? 指名されるとは思ってました。 うん。 はい。 それやっぱ調査書はいた。 そうですね。はい。 調査書は結構ですか? 12 球団多分来てたと思います。えっとヤクルトから 3 位で指名だったんですけど全くヤクルトっていうのは思ってなかったです。 いや、えっと、大体球場とかで、あの、スカウトの方来られてたりとか、 あの、どこの球団の方かっていうのはなんか分かったり、ある程度なんか監督さんからとか話あると思うんですけど、ヤクルトっていう言葉を全く聞いたことがなかったので、 まさかそのマークされてるとは、あ、思ってもなかったということだったんですね。 はい。全く思ってなかったです。 ああ。はい。 じゃ、その指名された時の心境っていうのはじゃあ、ま、意外なという。 あ、びっくりしました。はい。 ああ、 あの、中澤さんは、え、同じ富山県の同京の先輩に当たるんですけど、ま、それではい。同じ富山っていうことですくよくしていただきましたしで、山本さんは大学から知ってる方なのでよくしていただきましたし。 で、松井とかはもう同い年なので、あの、涼の部屋も隣だったりして仲良くしましたし。 あと平っていうのは僕提供第 3なんですけど、平井は愛媛にある提供第 5っていう はい。はい。 高校からで、なんかこう同じ提供繋がりみたいな感じですごく仲良くなったなっていうのは思います。 面白いですね。じゃ、皆さん何かしら そうですね。はい。なんかはい。 ありましたね。 1年目のそのルーキーで 40 年ぶりの開幕スタメという部分にスタート来て期待の声とかすごい勝ちたんじゃないですか? そうですね。ま、なのでうん。そこも 1 つターニングポイントだったかなって思ってます。そこである程度結果が出てればその後の野球人生っていうのは変わったんじゃないかなっていう風に思ってますね。 その試合もヒットも出なかったですしうん 。そこで1本でもヒット打ってたら 変わったんじゃないかなっていう風に思っ てます。あの自分の中ではなんか実力で 掴んだってよりもある程度 うーんなんて言うんですかね。話題作り で多分出させていただいたっていうのは 自分の中でも感じてます。 うん。なんとなくそういう新人で開幕スタメンとかでちょうど、え、開幕戦が宇さんで左当初手だったっていうのもあるので多分ちょうど、ま、僕が右なのでっていう風に出たんじゃないかなって僕の中では思ってます。 [音楽] [音楽] そこからっていうのは2 軍が長くなっちゃうんですか?その後 そうですね。 2軍も長かったですし、ま、行ったり来 たりとかっていう風な状態が続いたかなと 思いますね。ま、今考えると、ま、その1 年目じゃないんですけど、こう 2年目、3年目とかでも、え、2軍でこう 成績が良くてもなかなか1軍に上がれない みたいな、えー、時もあったので、 やっぱりこう、1度なんかあんまり、ま、 良くないイメージがついてしまうとそこ からこう信頼を取り戻すっていうのは 難しいのかなっていう風には感じてました 。 開幕から結果が出なかったっていうのはちょっと引きずりながら 2軍生活 うん。そうですね。はい。そういう時期もあったかなと思います。 [音楽] あ、もう本当にこれは当時の 2軍の監督だった真中さん であったり2軍の ヘッドコーチだったミキさんあの今楽天で監督されてるのお二方の存在っていうのはすごく大きかたかなっていう風に思ってます。 で、ま中さんには、ま、それまで内容だっ たんですけど、やっぱりこう出場の機会を 増やすためにガイアもやってみないかって いうので、え、ま、それから、ま、よく 言われるユーティリティとしての人生が 始まりましたし、う、ミきさんには本当に その結果が出てもなかなか上がれない時期 にもしっかり腐らずにやってこうっていう 風には言っていただいたんで、う、僕の 野球人生の中では影響がある二方だなって 思います。 ガ野自体は経験あったんですか? いや、学生時代もな、ほとんどなかったと思います。はい。本当に野球始めたぐらいでちょっとやったとかもしかしたら野球始めた時もなかったかもしれないですね。はい。 ガイアを守るにあたってやっぱりその苦労とかガイアならでの難しさというのを結構直面されたんじゃないですか? いや、しました。やっぱりガイアッシュはなんかなんて言うんですかね。 [音楽] ま、フライ取るだけとか見てたら簡単そう に見えてた部分ってあったんですけど、 実際そんなことなくて、それこそよく言わ れるのはあのアマチャーの打球とプロの 打球ってのは全然違うっていう風に多分皆 さん外野集言言われると思うんですけど、 それをいきなりプロで初めて外野集やっ てるので、あのすごく打球とかもうん、 難しいなって思いましたし、打球とあと 健康風とかそういうのも影響するので、 えー、難しかったですね。なので本当に 外野種の方に色々質問しながらやってまし たね。 と、宮本さんですね。えっと、ま、人が 休んでる時にどれだけ練習するかっていう ようなことを言われたので、本当にその 言葉で、うん、引退まで続けて来れたか なっていう風に思ってます。 まず自分の中で休みは作らないようにしてました。 休みというのはあのシーズン中でもシーズンオフでも あ、はい。そうです。はい。 多分休日は取ったことないですね。 14 年間で多分。はい。ま、バッティングと技術練習でもそうですけどはい。常に動くようにはしてました。はい。 ちなみにそこまでこう1 日も休まずに練習に取り組む選手ってプロでも珍しいんじゃないかなと思うんですけどね。 え、あんまりそこは人のことはちょっとわかんないですけどうん。ただ自分がその特別なことやってるっていう風には思ってなかったですし、それが自分の中で習慣化してっただけ なので、ま、本当に皆さんが毎日ハーミングが合いたりとかするような感覚すね。はい。それがやってたんで 14 年間続いたっていうのは間違いなくそうだと思います。はい。 [音楽] アンケートでもありましたけど、 2015年シーズン はい。っていうのがあのさんとっても大きなシーズンになるなったという形あの書かれて はい。そうですね。やっぱり一軍で試合に出る機会も増えましたしに、ま、いる期間がそこからあの増えてったなっていうのは思います。 [音楽] 多分プロに入って1番こう一軍にずっとい たのが多分その年初めてだったと思うので うーん。その中で自分にいろんな可能性を 広げてくださったマ中さんのためにも 頑張ってこうチームに貢献したいなって いう気持ちはあったと思います。でっぱ そのリーグ優勝をした時のやっぱり確別 だったものはありましたか?そうですね。 僕もそのアンケートに1番こう印象に残っ たとあのことで書かせていただいたと思う んですけど、僕自身ずっと野球をやってき て、その、ま、大きい大会とかで優勝した 経験っていうのもなかったですし、う、 まずそこですごく印象に残って るっていうのと、あとはもう初めて それだけ長く一軍にいて、こう試合に出 てっていうところでもそうですし、ま、 自分でもびっくりししたんですけど、 なんか人間って嬉しいと泣くんだっていう のを、あの、思ったんですよね。あんま 悔しくて泣くことてないんですけど。うー 。あ、本当に嬉しいと泣くんだなっていう 。だ、その嬉しくて泣いたのはもう人生で 多分最初で最後 なので、それがすごく自分の中で印象残っ てます。 そのプライク勢振り返った時のそこの瞬間リーグ優勝ってのがま、かなり いや、1番ですね。え、あの、ま、その後 、えっと、日本一も経験させてもらってる んですけど、そん時は もちろん嬉しかったんですけど、泣くって いうことまでなかったので、僕中では もちろん日本一の方がすごいんですけど、 そのリーグ賞が1番自分の中では 思い出深いですね。 [音楽] ファンの間ではその木さんの応援化 ああはい。 すごく明曲だという形では振り返ってどう思いますか? いや、あの、僕もその引退した後でも、えっと、ファンの方とたまに交流させていただくんですけど、つもそういう話はさ、あの、していただくんですけど、ま、正直僕自身はあの、作っていただいた側なので、あの、その曲をもう作った方がすごいんじゃないですかっていう風にいつもお話してます。 [音楽] はい。 うん。 あの、選手によっては打席に入ると集中して聞こえない方も多分いると思うんですけど、ま、それだけ集中されてで、僕自身は結構聞こえる うん。うん。 方でなんならこう聞きながらこう自分の気持ちを高めてる部分があったのですごくあの応援家はありがたかったです。 ちなみにですけど、あ応援化作ってもらって最初に聞くのってどのタイミングで聞くんですか?どのタイミングでしたかね。 なんか別にデモ音源が送られてくる。 あ、はい。もちろん。はい。ちょっと覚えてないんですけど。あ、多分そうですね。そうですね。多分オープン戦とかにかかったらあ、作っていただいたんだみたいな。 はい。いい曲だなって。 そうですね。はい。はい。で、すごくあの僕自身も気に入ってます。 [音楽] その万人民というのはご自身の中ではこうどう評価するです? うーん。そうですね。まあ、成績も出なかったですね。 [音楽] もちろん、あの、 ま、体も、ま、悪いとこは、ま、正直あり ましたけど、ま、そこは多分みんな一緒だ と思うので、ま、うん。ま、そこはあんま 言い訳になんないかなと思いますけど。 うーん。 ま、それもあ、 で、ま、成績も 出なかったのは ちょっと自分の中で 、えー、後悔してる部分はありますって いうのも そこはあの、ちゃんと休んでもっと体ケア できたら良かったなって思ってます。その 多分先ほども言ったように14年間こう ずっと練習とかも続けてきたっていうのは あるんですけど うん。逆にしっかり休んで体をケアしてれ ば もっと体もいい状態長く維持できたしそれ がパフォーマンスにも繋がったんじゃない かなっていう は少しあります。 の記事で見ましたけど腰痛ですか?そこが はい。そうすね。歩けなかったっすね。 まっすぐ。はい。まっすぐ歩けなかったっすね。 えっと、ヘルニアとかですか? いや、えっと、ヘルニアじゃないんですよね。病院とかも行ったんですけど、ヘリニアじゃなくてそのついなんですかね。 [音楽] 腰と腰の間にある、ま、クッションみたい な、もうそこがもう 、えー、すりてもうない状態だったので、 で、それもなんか手術してもどうしようも できないみたいな感じで言われてはい。な のでそこはなんかうまく付き合ってやって いくしかないっていう状況でした。はい。 その中でもやっぱりその日々の 練習っていうのは 同じように続けてたということです。そう ですね。で、もちろんその強度だったりと か、えー、ま、負荷とかそういうのは もちろん下げてましたけどはい。本当に いつやめるか分からない世界ですしうん。 それこそやっぱり人よりや、やった人が 生き残ってくっていう風に思ってたので うーん。そういうところで うまく コントロールできなかったところが ちょっと反省ですね。 ご自身で引退を決断されたんですか?戦力外。 あ、もちろん戦力外って言われてじゃあってことで僕はい。引退を選びました。 ま、僕ん中で、えっと、 ヤクルトから もういいよって言われたらもうやめようと 思ってましたし、あの、 やっぱりみんな選手担当のスカウトの方が いて、で、そのスカウトの方の 、ま、こう人力であの、プロの世界に入っ てこれるわけなんで、うん。 担当のスカウトの方がこう 入れていただいた ヤクルト以外で野球をやるっていう選択肢 は僕の中でなかったです。あの、もう引退 するっていうのは決めてはいたんですけど 、ま、ちょっと時間くださいっていうこと で1週間ぐらいして多分、え、 球団の方には多分お話ししたと思います。 なんか2年経って結構ああしてればよかっ たなとか色々 あ、もっとできたかなとか思うことは ちょっとなんか出てきたというかあるん ですけど本当にそのやめるって決めた当時 は全く後悔なかったです。はい。1mmも なかったですし、もうこんだけやってダメ だったらもうしょうがないよねっていう 感じでした。はい。 [音楽] でも本当にあの いろんな人の 縁というかで、え、ヤクルトに入団して で、 ま、監督コー知とかのおかげでこうプロで 長くできましたし、 ま、宮本さんの助言だったりとか本当に いろんな人の縁でここまで、え、できたか なっていう風に思ってるので。うーん。 [音楽] ま、人に 恵まれた14年間だったんじゃないですか ね。はい。 こう野球だけしか知らないで人生を終えて いくのはこう正しいのかなっていう のも思ってたのでなんかいろんなことに チャレンジしたいなっていう気持ちはまず 1つありました。ただその中でいきなり 知らない分野に飛び込んでもうん、これは 生活していけないって思ったのでまずは今 までやってきた野球っていうものを軸にし てでそこからこういろんな勉強してたりと かうん。やりたいことを付け加えていこう かなという風に思いましたね。えっと、今 、え、月に10回ほど、え、この場所で スクールをやって、あとは他の場所です けど、え、パーソナルみたいな感じでやっ たりとかっていうのは、え、今やってる ことで基本的には小中学生ですねをメイン に教えてます。一応こ分けみたいな感じし てて、ま、バッティングの時もあれば守備 の時もありますし、えっと、ま、僕以外に も、え、コーチの方いるので、え、 ピッチャーの人も、えっと、ピッチング コースみたいな感じで受行できます。大人 だったらこう言ったら分かるけど、 やっぱり子供だとこれじゃ伝わんないよな とか、もうちょっとこういう風に言った方 が分かりやすいんじゃないかなっていう風 にうん。自分自身もすごくあの勉強させ られるっていうのはあるので本当に一緒に 成長して感じです。あとは、え、ま、富山 県出身というお話させていただいたんです けど、今一応富山の故郷大使やらせて いただいてるんですけど、故郷大使県のあ 、そうです。はい。おお、ですね。はい。 え、高校からですね、県外に行ってしまっ たので、え、富山県が故郷なんですけど何 もできてないなみたいな感じたので、引退 した後はちょっと何か富山県に恩返し できる活動できればいいなと思って、まず はその僕の地元である親べ市にある企業 さん、あのお醤油屋さんがあるんですけど 、えっとそこでえっと一緒にこお醤油作り させていただいて、それを今販売してます 。え、富山の食材っていうのも今後広めて いきたいっていう思いがあったので、その 食材にあったお醤油っていうのがあれば いいよねっていうので、えっと、味を変え て3本今出してるって感じです。 濃い口だったら一応この肉に合うような 感じで作ってるんですけど、え、そういう お肉を作ってるところとかとこう、ま、 セットで、え、売り出していったりとかで 、白醤油だと魚に合うものなんですけど、 ま、お魚とこう一緒にっていうような感じ で、もう食材もやっぱりこうどんどん どんどんこう売り出していきたいなって いう思いがあったので、3種類、あとは 全然富山は関係ないんですけど、元々 僕あの服とか好きなので、えっと、アパレルっていうのも やってます。こういうデザインがいいですみたいなのをお伝えしてで、それを形にしていただくみたいな感じですね。 これ今着てらっしゃる服。 あ、これは全然関係ないです。はい。全然関係ないです。はい。 あの、荒木さんプロデス作ってのもそのホームページから購入できる。 あ、そうですね。はい。はい。 今までこう応援していただいた恩返しを今度は僕ができるように何かこう皆さんにいいものっていうのをうーん、少しでも発信していけたらいいな。それで少しでも人生が豊かになってもらったらいいなっていう風に思うので、そういった活動とかをできればいいなっていう今ざっくりとした思いです。 インタビュー以上になります。 あ木さんのこれからのセカンド経営も応援しております。 はい、 ありがとうございます。 ありがとうございました。 [音楽]
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★過去に取材した一部の方々★
●三ツ間卓也さん
●西田明央さん
●黒羽根利規さん
●石川雄洋さん
●古木克明さん
●内竜也さん
●須田幸太さん
●小池正晃さん
●齋藤俊介さん
●砂田毅樹さん
⚾️今回の主人公⚾️
荒木貴裕(あらきたかひろ)|東京ヤクルトスワローズ
1987年生まれ
近畿大学を経て2009年ドラフト3位で東京ヤクルトスワローズに入団。
1年目から開幕スタメンに抜擢されるもシーズンでは18試合にとどまる。
外野の守備も習得し、ユーティリティプレイヤーとして1軍出場機会を増やす。2023年に戦力外通告を受け、現役引退を決意。
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●荒木貴裕 応援歌 東京ヤクルトスワローズ
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■トークテーマ一覧
00:00 ダイジェスト&オープニング
03:27 サッカー志望の少年が野球の道へ
05:51 予想外だったヤクルト指名
07:19 痛感した…信頼を取り戻す難しさ
09:34 真中満・三木肇・宮本慎也の影響
12:45 最初で最後…“唯一の涙”
15:05 名曲の応援歌
16:38 プロ人生で“唯一の後悔”
21:50 マルチに活動するセカンドキャリア
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