注目の新星バドミントン平本梨々菜(18)「岐阜から世界へ」夢はロス五輪“金” 娘支える両親の想い
昨日今後の活躍を記念いたしますさいとう ござい ます社会人の仲間入りを果たした18 歳もう学生じゃないいていうところで自己 管理も頑張ってやっていきたいと思い ますその正体は 岐阜で活動するプロバドミントンチーム 岐阜ブルビックの平本リリナ選手 です武器は身長172cmから繰り出す この スマッシュ気持ちの面で引くことがなく どんな相手でもどんどん向かってやって いくことが自分のプレイのプレイとかの 特徴だと思い ます去年10月にはその類いまれな才能を 生かしダブルスで世界ジュニア選手権を 制覇世界の頂点に立ちまし た高校を卒業後岐阜でのプレイを選んだ 理由オリンピックで金メダルを取ることが 目標でもあるのでここに入ったら 絶対強くなれるだろうなって思っ て所属する岐阜ブルビックには オリンピック出場に通する高選手が多数 在籍中でも小学生の頃にサインをもらった という福島幸 選手東京オリンピックにも出場し30過ぎ て 今同じチームで練習してるってなんか すごいなっ て大切なことを自分に教えてくれたり すごい身近にそういう人がいるのはすごく いいことだなっ て世界ジュニアも優勝して実もすごくある 手なのでもうどんどんこうをけて です期待してい ますそしてもう1つの理由 が地元の方々にたくさん支えられてるなっ ていう感じるところがすごくあって岐阜の 方に恩返しし たい平本選手が生まれ育ったのは岐阜県 池田町 帰ってきたよケーキ買ってきたお帰りお かりお帰り ありがとう両親と姉の4人家族 です女3対1やもん3対1 で基本的にいじられますてなんなら殴られ ます歳の時にバドミントンを始めると徐々 に格を表し小学生の頃には日本代表に選出 されるほど にすると未来あるアスリートが家に普通の 親子では味わえない経験をすることとなり ます4年生からあのナショナルチームあの ジュニアのナショナルチーム入らして もらって全国の子と琢磨していく中でで このまま中学校に上がるタイミングで同じ 岐阜県でやり続けていく方がいいのかそれ とも京高校へ出た方がいいの か岐阜に残るか中高一貫の強豪校への進学 か選んだのは青森の中学校への進学でした うん正直すごい寂しかった し小学校もランドセル背負ってた時から いきなり県外に1人でっていうのは考え られなかったんで青森行って入学式をして 帰ってくる飛行機とかああ置いてきたって いうの でああもうしばらく会えないっていうので ずっと泣いてもう寂しくて寂しくて飛行機 の中で号泣して帰ってきてパと横見たらガ が [笑い] [拍手] て一方日頃から練習の送り迎えなどをして いた母まきさんは娘の背中を強く押しまし た私は自分で決めたことだから悔しいこと もあったりなんかもう本当に不尽なことも 多分あるだろうけど絶対投げ出すのは良く ないうんなんか人生の分岐点立った時に 自分にとって苦しい道の方が自分のために はなるよとはずっとは言ってきた の山田に行くっていう決断をしたのは自分 自身だけど親が反対したら行け ないわけだから後押ししてくれて自分も 助かりましたしその後も6年間毎日 サポートしてくれて 感謝してい ます当に感謝し てる2 [音楽] 月内定選手として参加したチームのファン 感謝 [音楽] 祭ありがとうござい ます中学校の頃から知ってる人た何人か いるんです 話したりする と義はいいな思い ます新たなステージでの活躍を両親も 楽しみにしてい ますまやっぱり地元で頑張ってくれるのが 一番なんで正直嬉しい思いはありますで その地元の方の応援を受けてでコートで 自分が成績を出して成績出すことで地元の 人々にも恩返しできるっていうのが1番だ と思うん で岐阜県の方からすごいそのリーナが青森 で試合をした結果だとかあの日本代表とし て行った海外の試合とかでもうみんな見て くださってて本当その方たちの応援とかも 含めてやっぱ岐阜に帰ってきて良かった なっていうのは 地元岐阜で社会人アスリートとしての スタートを切った平本 [音楽] 選手自分も 岐阜の 方々や池田町の方々にすごい支えられて るっていうのは青森にいても感じていたの でママとかパパもそうですけどあの いろんな方がんな方からあの愛され るっていうのが伝わるので自分もそれに 答えていけるように頑張りたいと思い ますちママ とパパじゃないもうママとパパはダメよ 社人ちち
この春から社会人として歩み始める、岐阜県池田町出身のアスリート。成長の裏には人生の分岐点で両親が下した大きな決断がありました。
「もう高校生ではないので、自己管理を頑張ってやっていきたい」(平本梨々菜 選手)
4月1日。社会人の仲間入りを果たした18歳。
その正体は、岐阜市で活動するプロバドミントンチーム岐阜Bluvicの平本梨々菜選手です。
武器は、身長172cmから繰り出す、スマッシュ。
「気持ち面ので引くことがなく、どんな相手でもどんどん向かっていくことが自分のプレーの特長だと思います」(平本選手)
去年10月には、その類まれな才能を生かしダブルスで世界ジュニア選手権を制覇。世界の頂点に立ちました。
所属チームには憧れの選手も
高校を卒業後、岐阜でのプレーを選んだ理由。
「オリンピックで金メダルを取ることが目標。自分もこのチームに入ったら絶対強くなれるだろうと思った」(平本選手)
所属する岐阜Bluvicにはオリンピック出場に精通するコーチや選手が多数、在籍。
中でも小学生の頃にサインをもらったという福島由紀選手。
東京オリンピックにも出場し30歳を過ぎてもなお、第一線で活躍を続ける先輩は今でも憧れの存在です。
「いま同じチームで練習しているのは、すごいなと思う。大切なことを自分に教えてくれたり身近にそういう人がいることは良いこと」(平本選手)
「世界ジュニアも優勝して実績もすごくある選手なので、どんどん力をつけて強くなっていってほしいし、期待している」(福島由紀 選手)
「岐阜の方に恩返しがしたい」
そして、もうひとつの理由が…。
「地元の方にたくさん支えられていると感じるところがあって、岐阜の方に恩返しがしたい」(平本選手)
平本選手が生まれ育ったのは、岐阜県池田町。両親と姉の4人家族です。
「女3男1やもんな」(母・まきさん)
「3対1で、基本的にいじられますし、なんなら殴られます」(父・智明さん)
5歳の時にバドミントンを始めると徐々に頭角を現し小学生の頃には日本代表に選出されるほどに。
すると、未来あるアスリートがゆえに普通の親子では味わえない経験をすることとなります。
「小学校4年生の頃からジュニアのナショナルチームに入らせてもらって、全国の子と切磋琢磨していく中で、中学校に上がるタイミングで岐阜県でやり続けていく方がいいのか、それとも強豪校へ出た方がいいのか」(父・智明さん)
母の言葉「自分にとって苦しい道の方が自分のためになるよ」
岐阜に残るか、中高一貫の強豪校への進学か―。
選んだのは、青森の中学校への進学でした。
「正直すごくさみしかったし小学校のランドセル背負っていた時からいきなり県外へ1人で出るとは考えられなかった。青森に行って入学式を終えて帰って来る飛行機の中で『あぁ置いてきた』『しばらく会えない』って…」(父・智明さん)
「ずっと泣いてたよね」(母・まきさん)
「寂しくて、寂しくて、飛行機の中で号泣して(家に)帰ってきて横見たら(妻が)ガーガー寝ている」(父・智明さん)
一方、日頃から練習の送り迎えなどをしていた母・まきさんは娘の背中を強く押しました。
「私は自分で決めたことだから悔しいことや理不尽なこともあるだろうけど、絶対に投げ出すのはよくない、人生の分岐点に立った時に『自分にとって苦しい道の方が自分のためになるよ』というのはずっと言ってきた」(母・まきさん)
「青森山田中学に行くと決断をしたのは自分自身だけど、親が反対したら行くことはできなかったから、後押ししてくれて自分も助かりましたし、その後も6年間毎日サポートしてくれて感謝しています」(平本選手)
「本当に感謝しとる?笑」(父・智明さん)
「うん」(平本選手)
地元・岐阜で社会人アスリートとしてスタート
2月。内定選手として参加したチームのファン感謝祭。
「小学校の頃から知っている人たちも来ていて、話をしているとやっぱり岐阜はいいなぁって思います」(平本選手)
新たなステージでの活躍を両親も楽しみにしています。
「やっぱり地元で頑張ってくれるのが一番なので(帰ってきてくれて)正直うれしい思いはある。地元の方の声援を受けて、コートで自分が成績を出して、地元の人に恩返しをできるというのが一番」(父・智明さん)
「岐阜の関係者の方が娘の青森での試合結果や日本代表の試合結果を見てくださっていた。その方たちの応援とかも含めて岐阜に帰ってきてよかったな」(母・まきさん)
地元・岐阜で社会人アスリートとしてのスタートを切った平本選手。
「自分も岐阜や池田町の方々にすごく支えられているっていうのは、青森にいても感じていたのでママとかパパもそうですけど、いろんな方から愛されているというのが伝わるので自分もそれに応えていけるように頑張りたい」(平本選手)
「父と母な」(父・智明さん)
「ママとパパじゃないよ。もうママとパパはダメやろ社会人になるなら!」(母・まきさん)
「父…、母…」(平本選手)

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