高校時代は甲子園出場経験のない無名校に通い、ドラフトでも支配下ギリギリの7位で入団した男が、10年目の今季ついに最多安打のタイトルに輝いた。昨年以降、侍ジャパンにも選出されるまでに躍進を果たした楽天・村林一輝はなぜプロで覚醒することができたのだろうか?《NumberWebインタビュー全2回の2回目/最初から読む》
村林の「10年目の成熟」までの道のりは、大きく三段階に分けられる。
プロになってからの村林はギラついていた。当時のチーム方針もあり、1年目は育成試合を中心に出場して体力を養う。二軍の試合でベンチ入りしても出番があるまではノックや打ち込みと、その時々の課題に応じて徹底的に汗を流してからグラウンドに立った。
とにかく自分から率先して動いた。当時二軍監督だった平石洋介をはじめとする首脳陣に「バッティングピッチャーをお願いします」「ノック打ってください」と、連日のように特打や特守を志願し、自らを鍛え抜く。
「自分がうまくなるためには指導者の方々にお願いする以外はなかったので。そういったものが今にも生きているなって思います」
2年目に二軍でショートのレギュラーを掴んだ。3年目以降は主に守備固めとして一軍出場を増やしていくが、「それ以上」がなかなか訪れなかった原因に、打率1割台だったバッティングがあった。

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