「タムラは凄かった……」。阪神ファン、野球ファンに今も鮮烈な記憶を残す伝説の左腕・田村勤(60歳)。天才に生じていた身体の異変とは。NumberWebのロングインタビューに応じた。【全6回の2回目/第3回も公開中】

 1991年、プロ1年目の田村勤は、弱体投手陣の阪神ゆえに、右打者に投げる機会も多く巡ってきた。覚悟を決めて内角にストレートを放ると、バットがへし折れ、力のないゴロが転がる。そんな場面が何回も続いた時、田村はハッとした。

「『あれ? 去年までならホームランだよ』と。当時、社会人野球は金属バットでしたから、内角は詰まった打球でもスタンドまで運ばれていた。なのに、プロだとピッチャーゴロですよ。天国と地獄くらい違った。精神的にかなり優位に立てました。『俺のインコース、通用しちゃうかも』って」

プロ1年目から活躍…当時の“異常な球数”

 当時、社会人出身の投手はプロで大活躍していた。前年の新人では、野茂英雄(近鉄)が最多勝や奪三振王などタイトルを独占。与田剛(中日)は35セーブポイントで最優秀救援投手となり、佐々岡真司(広島)は13勝17セーブ、潮崎哲也(西武)はリリーフで防御率1.84をマークした。金属バットで鍛えられた田村にも、右打者に通用する球威が自然と備わっていた。

ADVERTISEMENT

 出番が多い分、他チームでは考えられない指示もあった。大石清コーチから「今日、先発の状態が良くないから試合前から作っとけ」と言われる日もあった。

「それなら、自分を最初から投げさせてくれたらいいのにって思いましたよ(笑)。プライドを傷つけるから、先発投手とブルペンで一緒に投げるわけにはいかない。悟られないように、先発が投球練習を始める前に肩を作りました」

 開幕から2カ月で、5回途中までのリリーフは6度あった。7回以降の登板も8度あった。救援のタイミングが予想できないため準備に伴う球数が増え、腕には相当な負担が掛かっていた。

【次ページ】 田村が見た落合博満…天才エピソード

NPBHUB.COM | The Fanbase of Nippon Baseball & Nippon Professional Baseball