山本昌&山﨑武司 プロ野球 やまやま話「岡田俊哉・祖父江大輔が現役引退」

山本正斗 山崎竹の話 はい、ということで今回はね、え、まあ残念ですけども岡田 投手と 祖米投が引退ということで うん。 なりましたけどまさん一緒にやってますもんね。 両方ともやってますね。あのすごく性格のなんか [音楽] 長くやれたのが正確だったっていうのはね、え、それぐらいの [音楽] 2人の性格の良さ えていうのはありますけどね。 あの、2 人とも発表の数日前にね、立て続けに電話が来て ねえ。 うん。ねえ、そうなのかと。ま、よく頑張ったねって僕ら言うしかないんですけどね。 そうそうね。まあ、初めの方のね、話させてもらいますけども、プロ入り生活 16年 うん。 で、ま、岡田に関しては、あの、やっぱりあの、骨折ですよね。 いや、あれはきつかったと思うよ。 ま、あれ僕目の前で見ちゃったから。 うん。あ、 いや、もうあれ、僕ね、あの骨折やった瞬間に、ま、岡田ここで終わりかなと。 うん。ま、そう思い ていうぐらいのね、もう大きな骨折だったんだけど、ま、よくぞ復活してくれたっていうところではあるんだけども、やっぱりなかなかね、やっぱり戻らなかったんでしょうね。あの、骨折からね。 いや、あのね、だって人間の1 番太い骨がボール投げて投げた動作で折れるっていうね、 切って言いましたからね。なるほど。聞こえましたから。 だ、それがまたその動作をしなきゃなんないっていうね、 1番太くて頑丈な骨が 折れた形をまたやらなきゃいけない。治ってから、あ、これはね、相当なさがあるんで。 うん。 ですからね。ま、最後よくね、ボール投げれるまで復帰したなって言うのと僕彼がね、え、プロ入ってきた時に とにかくね、え、本当にまっすぐは切れのいいボールがあってね、あとはね、本当にまっすぐカーブスライダーぐらいしか当時なくて うん。 あの、どうなんだろうっていうのが正直 な、え、気持ちではありましたね。え、 あ、僕も岡田とはね、やらしてもらいます。 一緒にやらしてもらいましたけど、ま、なんせ細いもんね。 いやあ、太らなかったよ。 本当にプロでやってけるんかいっていうぐらい細かったんで、まあね、これ大きえってもんじゃないけども、でもなんかこうプロの最低基準っていうのがなんか自分のイメージが僕あったから それをはるかにこうね、 細かったよね。 細かったというかね。要はそれ 60km ぐらいだったんじゃない?体重どうだろう ね。今日は140 後半までストレート投げれるなっていうね、ま、印象だったんだけども まあでも本当にあのコントロールもね良くて うんうん 僕はね うん 出たのメンバーに入って 入った入ったうん あん時にコントロールのいいおがそれで少しちょっとプレッシャーでコントロールの請求見乱見出した時だったですよね。 そう、そう、そう、そう。でね、最初ね、ファーボールとかなんかで崩れかけたけど、その後頑張ったんだよ ね。なんかちょっと一瞬や、やばいな、これプスかなって思って見てた時があったんだけど、 実はそのWBC の時にね、あのすごく僕としては嬉しかったのがあん時 34番つけてくれたの。 うん。 あの、選んで うん。僕、僕30 番にしましたってね、僕とこに報告あったけどもね、やっぱりこう 34 番サウスポールのピッチャーが背負ってね、え、後輩がその WBC の舞台で投げてくれたっていうのはね、すごく嬉しくてね。うん。 え、 完激しましたけども、まあまあでもね、え 、彼も、ま、先発をやったりリリーフやっ たりしましたけど、最終的にはね、こう リリーフで落ち着いて一時期はもう こう勝ちパターン にも入ったりしてましたんでね。ま、その 間に、ま、結構障害とか、え、そういう アクシデントもありましたけども、ま、他 にね、どっかが痛いていうことがなくね、 本当に元気に長く頑張ってくれたなって いうね、え、ことは思いましたけどね。ま 、何にしても、あの、大怪我からよくぞ、 え、復帰したっていうね、これあの 皆さんに大きな勇気を与えたんじゃないか なっていうね、風に思いますけどもね。 ね、あの、引退して、ま、ドラゴンズで何かね、あの、残って、え、やってくれるって話もね、あの、報告受けましたんで、ま、いずれはやっぱり指導者っていう形で岡田もやってほしいと思うしね。 [音楽] 親はもう苦しいことね、たくさん乗り越えてきたしうん。 彼のやっぱり性格っていうことも考えればやっぱりドラゴンズが話しちゃいけないと いや、そういう風に思います。 いう風に思いますんでね。ま、また第 2の人生うん。 頑張ってほしいなという風に思いますけど。はい。 ま、そも同じくめちゃめちゃいいやつで。 いや、いいやつなんだよね。 あのピンチに出てきた時のあの顔とは全く違うね。 全く違うよね。どこでそんな顔作るんだ?お前 びっくりするぐらい違いますよね。 うん。本当にね、あの後輩にもわれるし先輩には礼儀正しいしね。 [音楽] あ、挨拶もしっかりするし本当にあのいい人間でね、あの僕彼入ってくる前に、え、晩年だったんだけども、トヨタ自動車と練習試合したんですよ。 うん。 ドラゴンズのファームがね。 うん。うん。うん。 その時に僕たまたまファームにいてそのベンチに入ってたんだけども はい。 その時投げてきたのがソエ君ですよ。 したらね、ドラゴンズのバッターキリキリ前ですよ。ああ、さすがトヨタ。いいピッチャーになちっちゃいけどっていうね。 え、名古屋球場のスピードガンでも 140 後半のマスぐピッチャーどこの大学?あ、愛大かと愛知高校とそんな思いでねえ、眺めたらねえ、ドラフト [音楽] 5位で そうですね。ま、お崎でしたからね。 うん。入団しましたからね。だって大学出て社会人 2年やってプロ本当にギリギリ。 え、でプロ入りしたピッチャーですから、 僕はあの、ソエガドラゴンズに入ってきた時に見た時は、ま、正直きついなと思ったんです。 [音楽] あ、本当に これなんでかって言ったら うん。 彼まっすぐとスライダーの2 級士だったでしょ。 そう、当時 今時2級で抑えられるのってね。 正直そう思ったんすよ。だからこの岡田都市やうん。 そエ、この2 人とも九州止が少なかったのがスタート。うん。 うん。 で、だからやっぱり僕もあの冷静に見てさすがにストレートも 150 後半投げるわけじゃない。ま、その武器であるいいスライダーを持ってたけど スライダーうん。2 級じゃちょっときついだろうっていう風に見てたけどもどんどんどんどん投格を表してきてね。 うん。 やっぱり彼を知るたびにあの人もいいし うん。うん。 だからそういう部分でそのやっぱり今行ったこう風貌とかね、やっぱり俺ら行くぞというところを見せてね、こうバッターに圧をかけてたと思うんですよね。 うん。え、 いやあ、よう頑張りましたね。あの年から 510試合ですからね。 いや、これはね、あの500 試合やってる人たつってドラゴンズでこうハ抜きだと数人しかいないんだけど。 うん。いや、だけどね、なかなか 500試合って投げれないもんね。 うん。でね、防御率のね、3.0 台っていうのはこれ本当素晴らしいですよ ね。なかなかまあまあ、あの、抑えピッチャーは 1 点台で終わったりする人もいますけども、でもね、このね、これだけ買ぎしたり、え、そういう仕事して [音楽] 3.0 っていうのもね、これまたあの立派な、 え、仕事したなと。 ま、部もどっちかって言うとね、今の藤島みどこでも投げてくれたじゃないですか。 もう負け試合でも同点でもますよね。 これ多分監督とか首脳人は 1 番中継ぎで助かるのがもうどこでも行ってくれる中継ぎって助かるでしょ。 うん。ね。そ、それ助かるし。 これ性格によってはね、ある程度こう実績残したら、え、なんで俺ゲーム投げなきゃいけねえんだよ。いや、そんなの、そんなばっかだもんね。 [笑い] もうそういうし、あの、塊ですから。プロの世界って。 そういう中ではこのソエやあの岡田っていうのはどこでも投げてくれたね。 それもね1 つね。え、俺もう本当にあの藤島も含めて藤も 500 試合ぐらい行くんじゃないかな。このペたら だって毎年50試合掘ってるでしょ。 うん。 ね。だから是ひ行ってほしいし、ま、あのいいその道数筋をね、つけて くれた気です。 ま、ソもなんかね、ドラゴンズで残って あ、それはもう電話でね、話に、 あの、まだポジション決まってないって言うけどね。 ドラゴン残ってまた一緒にやるっていうことなので、ま、これもやっぱり良かったですね。 いや、本当にね、あの、僕らほら、電話勝ってくるといつも聞くじゃない。必ず聞くのがね、球団なんかポスト用意してくれたかって絶対行くの。 そう。はい。 ね、ほでしてませんって言ったらなんか考えてやんなきゃなって思うよね。 そうだよね。だからもう山本正さ、山崎たけしはやめた時球団ポスト何もなかったから。 あ、 あれ、俺なんか嫌み行っちゃった。 いや、言ってない。言ってない。大丈夫、大丈夫。 何もなかった。本当の話だから。 うん。 だから、ま、あの、そういう部分では、ま、ソエや岡田がドラゴンズ残ってくれたっていうのは、これね、選手も現役の今現状の選手もね、なんかこう、あ、やっぱりこの 2 人残ってくれてよかったよねって思ってるでしょね。 こういうピッチ人たちね、やっぱ財産ですからね。あの、プロに入ってくる人たち、みんながみんな性格がいい、え、成績を残せる人たちだけじゃないんでね。 [音楽] ま、性格が良くてね、こんだけしっかり頑張れた、え、人達っていうのは、あの、苦労もしたし 2 人とも、ま、そういう意味ではね、あの、こう新の指導に 12 分に役立つんじゃないかなっていう風に思うんでね。 いずれは2 人ともね、本当ユニフォーム来て指導者として頑張ってほしい。 いや、1 回ぐらい切るでしょ、この。絶対切ると来年から切る可能性もあるでしね。ま、ま、まだポスト聞いてないけど、 え、12分にあると思うんでね。 ま、どちらにしてもこの2 人ね、まず、え、早めに対談決まった、え、 2 人をね、ま、是非、え、これからも応援したいなという風に思います。 お疲れ様でした。 お疲れ様です。 [音楽] 山話。次回は一体どんな丸エピソードが飛び出すのか。こご期待。 [音楽] [音楽]

ドラフトで新たな出会いがあれば、一方で避けられない別れあり…

今回はともに今シーズン限りでユニフォームを脱ぐことになった、岡田俊哉・祖父江大輔両投手の思い出をやまやまコンビのお2人が語り尽くします。

ドラゴンズ一筋16年の岡田投手は、
おととし沖縄キャンプ中に右足の大腿骨を骨折。
「生きていることさえ奇跡」と言われた大ケガから、今年一軍で復活登板を果たしました。

そして祖父江投手は、愛知高-愛知大-トヨタ自動車という経歴の、まさにご当地選手。
プロ生活12年目の今シーズン、球団史上5人目の通算500試合登板を達成。
どんな状況でも登板することを厭わない、
首脳陣にとっては使い勝手のいいピッチャーでした。

惜しまれながらユニフォームを脱ぐ功労者2人に、
山本昌さんと山﨑武司さんからは感謝の言葉と今後へのエールも贈られます!

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