球史に残る大投手の生涯ベストシーズンの成績を比較して、日本プロ野球史上No.1投手を探る旅。江夏豊、江川卓、菅野智之らに続く第22回は、あの大谷翔平が2025年10月のポストシーズンで達成した「10奪三振、3本塁打」を上回る、「奇跡の試合」を19歳にして演じた堀内恒夫(巨人)だ。
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その「奇跡の試合」は、甲府商業から巨人入りした堀内恒夫が入団して2年目の1967年10月10日、後楽園球場での広島カープ戦だった。先発した堀内は、打者として第1打席、第2打席、第3打席と3打席連続ホームラン。投げてはノーヒットノーランを達成したのである。日本プロ野球史上、投手が3打席連続本塁打したのは、この1試合のみである。そこにノーヒットノーランが重なる確率は、天文学的数字になるだろう。
因みに、第4打席でもホームランを打つことばかり考えていた堀内は(結果はセンター前ヒット)、9回のマウンドに上がるまで、ノーヒットで来ていることに気づかなかったという。
巨人が1位指名した“天才”
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甲府商業(山梨)のエースだった堀内は、1965年に開催された第1回のドラフト会議で巨人軍から1位指名された。内野手もこなせる高い野球センスを買われ、投手でダメだったら、衰えの目立つショート広岡達朗の後釜にとの狙いもあったとされる。
実際、1年目の春の二軍キャンプで、堀内は投手と内野手両方を練習させられている。
「入団した年のキャンプの冒頭は投手と野手の二刀流でした。1日目は投手、2日目は内野手の練習が組まれていたんですが、これがキツくて1週間が限界だった。それで当時の中尾碩志2軍監督に『投げてみてダメなら野手でもなんでもやりますから、とりあえず投手でやらせてください』と食い下がり、なんとか投手一本にしてもらいました」(『巨人V9 50年目の真実』鵜飼克郎/小学館)。
投手一本となって二軍のブルペンで投げてみたところ、「自分より速い投手はいなかった」(同)。この頃の堀内は、軽く一歩ステップしただけで130メートルの遠投ができたという伝説も残している。

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