中日OB山崎武司氏が味わった“闘将・星野”の凄まじさを筆頭にした現役時代、打ち明け話のつづきです。〈NumberWebインタビュー/全4回。第3回につづく。敬称略〉

「お前ら明日から行ってこい」ドジャース傘下へ

 期待を素直に言動には表さない。それが、星野仙一のスタイルだった。説明はない。断る権利のない指令だけが下される。

 中日に入団してプロ1年目の春季キャンプ。山崎武司は一軍のメンバーに入った。高卒ルーキーは少なくとも4、5年は二軍で下積みするのが当たり前だった時代で異例だった。ところが、キャンプが折り返しを迎えた頃、チームを指揮する星野から監督室に呼び出された。一言だけ告げられる。

「お前ら、明日からアメリカに行ってこい」

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 監督室には山崎のほかに、同期入団の荒川哲男、コーチの高橋三千丈、チームのマネージャーが集められていた。全員が事態を飲み込めない。沈黙を破るように、マネージャーが「さすがに、明日からは……パスポートやビザの問題もありますから」と口を開くと、星野が言葉を遮って吠える。

「俺が行けと言ったら、あすから行くんや!」

 星野は山崎に武者修行の場を与えた。それが、ドジャース傘下のルーキーリーグだった。しかも、捕手でプロ入りした山崎は三塁手への転向も命じられた。結果的に渡米の準備に約1カ月を要したものの、米国へ向かった。

「自分と荒川はプロに入ったばかりで独身だったので良いですけど、家族を持っていたコーチの高橋さんはびっくりですよね。ルーキーリーグとは言え、ドジャースのユニホームを着たのは自分の方が大谷翔平や野茂英雄より先ですね」

つづいては「ドミニカに行け」

 星野は山崎に米国で試合経験を積ませる狙いだった。だが、ドミニカ共和国を中心にメジャーリーガーを夢見る若手有望選手が集まるリーグで、チーム内競争に勝つのは簡単ではなかった。山崎には強力なアドバンテージがあったにも関わらず、出場機会を得られなかった。

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