「日本でビックリしたのは野球のレベルの高さだよ」巨人をわずか2年でクビになった助っ人外国人キース・カムストック。“魔球”スクリューボールを多投した左ピッチャー。なぜ、その後5シーズンもメジャーリーグで活躍できたのか? 【全3回の2回目/第1回、第3回も公開中】

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「ボク、甲子園嫌いなんだ」

 1985年の巨人の新外国人投手、キース・カムストックの公式戦初登場は、4月18日の阪神戦、場所は甲子園球場。ランディ・バース・掛布雅之・岡田彰布による「バックスクリーン3連発」の翌日である。その勢いもあって、カムストックは立ち上がりから阪神打線に捕まり、3失点3回KOの手痛いスタートとなった。初登板がトラウマになってか、そのキャリアにおいてカムストックは甲子園で一度も勝てなかった。

「後楽園球場のように高いマウンドはスクリューボールや変化球が投げやすい。ただ、甲子園球場みたいにフラットだと、集中力が欠けてしまうので、少し投げづらい面も、正直なところあります」(『週刊ベースボール』1985年5月20日号)と、本人は記者の質問に答えているが、翌86年オフ、アメリカに帰国する直前には次のように吐露している。

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「ボク、甲子園嫌いなんだ。(中略)あそこはすごい“騒音”だからね。ヒットを打たれれば観衆は大騒ぎするし、ヤジも飛んでくる……。ビジターチームにとっちゃたまったもんじゃないよ」(『週刊現代』1986年10月18日号)

 ほろ苦いデビューとなったカムストックだが、「積極的にいけ」というエースの江川卓の助言が効いてか、本拠地デビューとなった4月26日中日戦(後楽園)では初回からスクリューボールを多投し、8三振、7―0の1安打完封勝ち。さらに5月3日の阪神戦(後楽園)では6安打5三振に抑え9―1の完投勝ち。阪神にリベンジをはたし、いきなりセ・リーグ防御率トップに躍り出た。

 この2試合の好投の要因は、配球の秀逸さにあった。例えば26日の中日戦では、宇野勝、ケン・モッカ、大島康徳といった右打者には、インコースぎりぎりに鋭角的なスクリューボールを放ったかと思えば、谷沢健一のような左打者には外角低めを突いてストライクを稼ぎ、スクリューボールを見せ球にした後、140キロ台のストレートで三振を奪うという頭脳的な投球術を披露している。3日の阪神戦でも、バース、掛布、岡田のクリーンナップにはひたすら低めを突いて打たれたのは岡田の1安打のみ。堀内恒夫投手コーチ(当時)は調子の上がらない江川、西本聖に代わって「いっそ、カムストックをローテーションの柱に据えては」と王監督に進言している。

「模範的なガイジンだった」

 しかし、好事魔多し。左手首腱鞘炎を発症し、「全治2週間」と診断されてしまう。

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