プロ野球史上には、驚くような成績を残した「スーパールーキー」が数多くいる。だが、これほどまでに拮抗した、同タイプの凄まじい新人ふたりが同一リーグに現れたのは、1987年が最初で最後だろう。阿波野秀幸と西崎幸広——。史上最高の新人王争いを、まずは阿波野秀幸に振り返ってもらった。〈NumberWeb特集「スーパールーキー伝説/阿波野と西崎」:全5回/はじめから読む〉
ルーキーイヤーに22完投で15勝を挙げる
「日本代表で戦ったメンバーで、パ・リーグの球団に入ったピッチャーはニシと僕。球場で会ったら、ひと言、ふた言話をすることはありました。当時は予告先発という制度がなかったので、自分がいつ投げるということは口に出せなかったですけどね」
1987年、ルーキーの阿波野秀幸はオールスターゲームまでに9勝を挙げ、シーズンが終わった時には15の白星を手にしていた(防御率2.88)。投球回数は249回と3分の2。完投数は22もあった。
ちなみに、現在の現役最高齢投手(45歳)である石川雅規(東京ヤクルトスワローズ)の通算完投数は27(2025年4月現在)。彼の23年分に近い完投数を1年で記録したことになる。
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「ニシも勝ち星を稼いでいたので、“トレンディエース”と騒がれることも、比較されることもよくありました。でも、別に遺恨があるわけじゃないし、大学時代からの友人だし」
阿波野は新人王を争う西崎幸広をライバルとして意識することがなかったという。
「あくまで敵なのでそれほど突っ込んだ話はできませんけど、『あの選手、すごくない?』『どうやって攻めればいいの?』というようなやり取りはしました。情報交換というより、感想レベルですけどね」
西崎との直接対決は実現しなかった
ふたりとも1年間ローテーションを守り抜いたが、先発同士での直接対決は実現しなかった。当時、最強を誇っていた西武ライオンズを倒すためにローテーションをずらすことがたびたびあったからだ。
「1980年代~90年代前半は西武の黄金期と言ってもいいと思います(15年間で優勝11回)。西武に勝たないといけないから、西武戦に投げることが多かったですね。その分、日本ハム戦での登板は少なかったように思います」
1987年の新人王に選ばれたのは阿波野。西崎には、それまで誰にも与えられることのなかった「会長特別賞(優秀新人賞)」が贈られた。特別表彰は史上初めてのことだった。ふたりの実力、成績が拮抗していたということの証明だ。

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