富山県を拠点とする社会人野球チーム「ロキテクノ富山」の監督を務める藤田太陽さん。2001年に逆指名で阪神タイガースにドラフト1位で入団した右腕は、波乱万丈の道のりを歩んだ。苦しんだ阪神時代の思い出、挫折を乗り越えてつかんだものとは――。NumberWebのインタビューに明かした。《阪神タイガース特集全4話の2回目/第3回、第4回に続く》

 阪神に入団した藤田さんは2月のキャンプ早々に躓いた。独特な二段モーションの投球フォームを変えるようにと首脳陣から指導を受け、混乱に陥った。21歳の右腕をさらに苦しめたのは、在阪マスコミのフィーバーだった。

 逆指名で暗黒期のタイガースの門をくぐったドラ1右腕。しかも当時の指揮官は野村克也監督とくれば、否がうえにも期待は高まる。

「いきなりフォーム改造」、「新フォームにノムさん辛口」、「フォーム改造失敗」……。ブルペンでの試行錯誤は“トライ”の段階にも関わらず連日記事になり、そこに首脳陣や評論家からの批評が添えられた。

「それがすごく苦しかったです。注目してくれるのはありがたいけれど、僕自身はそれどころじゃなかった。だんだん投げ方が分からなくなり、イップス寸前の状態。とにかく量をこなさなければと、ブルペンで300から400球投げ込んだ後に何箱もネットスローする毎日が続けば、それは肘も悲鳴をあげますよね……」

 入団前から違和感を抱えていた右肘の状態は限界を超えていた。しかし、当時のプロ野球界は新人選手が安易に「痛いから休ませてくれ」と言い出せる状況ではなかった。そもそも、黄金ルーキーの実戦初登板のスケジュールは、キャンプ前からすでに決まっていた。在阪テレビ局が生中継する紅白戦でのお披露目。右腕は痛みを堪えながらも2回無失点に抑えた。

 ある日、耐えかねた藤田さんは首脳陣に調整ペースを落とすことを願い出た。当然のように、翌日の新聞には「太陽スロー調整」の見出しが躍った。

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