首位を独走する阪神タイガースの野村克則・一軍バッテリーコーチ(52歳)は現役時代、2度の金銭トレードを経験した。父である名将・野村克也氏の去就に翻弄される形で、ヤクルトから阪神、巨人へと移籍し、最後は楽天でユニフォームを脱いだ。トレードで得たもの、偉大な父への感謝の思いとは――。NumberWebのインタビューに明かした。〈全3回の中編/前編、後編も公開中〉

 ヤクルトから阪神へ。父が監督をつとめる球団に再びトレード移籍した克則(当時の登録名はカツノリ)は、父子鷹ならぬ“父子虎”として関西マスコミの注目を集めることになった。

 ヤクルト時代は4年間で一軍出場は計51試合だったが、移籍初年度の2000年から正捕手・矢野輝弘(現在は燿大)の控えとして一軍に定着し、43試合に出場。2001年は自己最多の52試合に出場し、先発マスクを被る試合も増えた。同じユニフォームを着る父の教えを受ける日々。しかし、克則自身は常に距離感を意識していたという。

「たとえ親子でもユニフォームを着たら監督といち選手ですから、しっかりと線引きはしていました。言葉遣いももちろん気をつけていましたし、一緒にいることで過度な注目を浴びないように、自分から監督に近づくことはなかったんじゃないかと思います」

 ここでもやはり、厳しい声は聞こえてきた。克則の出番が増えれば「温情采配」だと言われ、阪神の負けが込めば批判の矛先は父子関係にも向く。

「自分は出番が来たら、選手として一生懸命やる。とにかくそれだけに集中していました。少し打ち出した時期に『カツノリが結果を出せば出すほどチーム内の不協和音が広がる』と書かれたことがあって、それは辛かったですね。何でそこまで言われなきゃいけないんだろう、じゃあ自分はどうすればいいんだ、って」

 ジレンマは笑顔の内に隠し、底抜けの明るさでチームを盛り上げた。「下手だから人一倍練習する」とどんな時も決して手を抜かず、シーズン中は常に早出特打を志願して誰よりもバットを振り込んだ。

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