【愛媛FC】Jリーグ昇格20周年ドキュメント
これからの目標、ま、本当に これからまあね、ここまで20年歩んでき たわけですけど、ま、これからの20年で さらに愛媛が大きいクラブになって、 クラブとしてももっと、え え、先に先に向かっていくというか、上のステージで戦っていかなくちゃいけないなっていう風に思ってるんで、ま、 1人1 人が、あ、愛媛のことを思いながら成長スピードっていうのを上げていきたいですよね。 さあ、森明さん。 はい。 え、今回 うん。 FMFC20周年ということで はい。おお。 ま、こちら 今日も ニンジニアスタジアムで ね、今ちょっと正面からは外れちゃったんだけどはい。 試合ですけど はい。20年。20年ってすごいよね。 ね、本当にプロクラブとしてね、20年の 歩みをね、え、進んできたっていうのは やっぱり立派だという風には思うし、ま、 この20年本当にいろんなことがあったと 思うけど、選手だけじゃなくて、 フロントスタッフだけなくて、サポーター だけじゃなくて、ま、みんながこう 気づき上げてきた、紡いできた20周年な んかなっていう風に思いますよね。森さん は うん。1回目 の愛媛FCの在籍は 2006年。 はい。 そうです。2006年。うん。 2006年。当時僕が、え、プロ 2年目。年齢で言ったら 1920歳ぐらいかな。はい。 うん。なんか思い出ありますか? いや、もういっぱいありますよ、本当に。 だから言ったら僕が愛媛に来た時に初めて 愛媛が、え、J2リーグを戦う年に僕は レンタルという形で愛媛に来たんですけど 、ま、それから僕のサッカー人生もお、僕 のサッカー人生も始まったなっていう感じ ですよね。なんでひのこのプロの中での 20 年の歴史と共に僕のサッカー人生としての歴史も詰まってるのかなっていう風に思ってますね。ま、 ちょうどじゃあ20周年の1年目。 うん。 そうです。それこそ本当に僕が来る前に JF で、え、優勝してで、僕がレンタルで来る時はひが J21年目で今でも忘れないですよ。 開幕戦に横浜FCの試合でここニンジニア スタジアムにそれこそ1万人護衛かな確か 1万人超えてましたね。あの、それの たくさんのお客さんが入った中での開幕戦 を迎えて見事1対0、猿ル田選手のゴール でね、1対0で勝ったっていうの今でも 鮮明に覚えてますけど、ま、そっからなん か愛媛のJリーグの歴史が始まったって いうのを考えると、ま、僕にとっても ものすごくこう考え深いですよね。うん。 ま、僕がJリーガーとして生き残るんだっ たらここ愛媛で僕自身結果を残さなければ プロ選手としてはやっていけない。自分の 、え、夢であった、あ、Jリーグのスター プレイヤーになるっていうね、あの、そう いう夢を達成することはできないという風 に思ってたんで、もう間違いなくここAC で絶対にやってやるんだっていう、もう そういう気持ちだけでしたね。はい。ま、 それこそさっきも話してたように愛媛の昔 っていうのはもうこの20年で大きく 変わったという風に思ってますし、それ こそこの今こうニンジニアスタジアムの バックスタンドなんですけど20年前ここ スタンドじゃないすからね。もうそれこそ 芝フエリアっていうのかな。もうこの スタンドがなくて、それこそこう言葉合っ てるかわかんないけど、こう、こう広い 広いダだダっぴダっぴおかしいな。こう ズドーンと広い芝フがあって、みんなそこ でこう座りながらあのゆっくりリラックス しながら試合を見るっていう感じでした けど、もう20年だったらこんなね、立派 なスタンドができてますよ。あの、この スタンドもそうなんですけど、それこそ 練習上も今はサンっていう、昔も3パーク あったんですけど、今は3パークに拠点を 構えて、そこにクラブハウスもできて、え 、そこでみんなが、え、練習をして食事を 通って、え、試合にもそっから向かうて ルーティンができましたけど、もう昔 なんかまず3パークが今は綺麗な芝フです けど、当時は土ですからね。へえ。はい。 やってたんですか?練習 土でやってましたよ。 すごい。前日練習はね、土で練習とかそれ こそ今このニンディナスタジアムの、え、 休儀場、今こっちにあるんですけど、 こっちのね、休儀場で練習することもあり ましたし、またその横の補助競技場、また その横に野球場みたいなのがあって、その 野球場の外野ちっちゃい芝フ、そこで練習 して、もう練習できることが限られてるん で、そこでしかできない練習1 大地とかゴール前の攻房とかっていうのをやってた時代ですよね。 ええ。 で、今みたいにクラバーズが立派になって練習後、練習前にシャワーを浴びて帰れるなんていう時代じゃないですよ。それこそ僕らの時は練習をして、今ないかな。あの公園とかにある はいはい 蛇口の水がよくあるじゃないですか。こう水が飲めたりする。 もうその蛇口でもう1人こう体をこう 寝そべって体をとにかく汗だけ流してもう シャンプーとか使えないんでねもう汗だけ 流してで拭いてあの変えるっていう成長 スピードがねあのどうとかっていうのは 分からないですけどでもやっぱりみんなが みんながっていうのはえさっきも言った ようにファンサポーターまたフロント スタッフそして選手スタッフで地域の皆 さんが一歩一歩こう積み上げてきたあ歴史 がこの20年だという風に思ってるので、 ま、それが新しくクラブハウスができたり とか、え、いろんな環境の変化があったり 、また、え、こんなにもね、たくさんの方 がスタジアムに来て、え、応援をして くれるようになったっていうのは、え、皆 さんの間違いなく努力があってこそのもの だという風には思ってるので、ま、それは 1つ形にはだんだん現れてるなっていう印 は持ってますよね。 僕が応援始めた当初ってお客さんが大体 20人ぐらい でサポーターで声出しできるのは 5人程度やったんでそのあの開幕戦がもう 1 万超えるような人が入ってくれたんでその光景がすごく嬉しくてここぐるって周回ができるから待機列ができて たんですよ。で、そういう中で試合できて ほとんどのお客さん、あ、席が埋まって オレンジ色に染まった中で戦えたことが 本当に感動的で ほぼほぼ20分に1回くらい涙が出てくる 感じで、あの、応援です。僕はそこを 目指してたんで20人の頃から。 だからそこがあ、ようやくこんだなっていう道のりを考えながら考え深い気持ちで勝手にしってあの応援の途中でもちょっと泣いてたりしてたのは覚えてます。 僕は本当に中学高校からま、含めてま、違う 9年目か違う 8 年目かになるんですけどやっぱりアカデミーの時期をこので過ごしてなかったら今の自分は絶対ないと思ってます 本当に楽しいことだけじゃなかったです けど、本当にこのクラブがあって、今の 自分があることには間違いないんで、本当 に自分にとってはすごい大切なクラブです 。 うん。ま、ユスから来て、ま、結構相当な 覚悟でユスに来たんで、ま、そこで ユスの3年間も相当でかかったですけど、 ま、プロなってからも、ま、1年離れまし たけど、 ま、その間も ずっと うん、 試合あるごとにずっとチェックしてました し。うん。 やっぱあやって離れた経験があったから こそ、ま、今そのチームのために うん。何ができるかっていうのをおして たりするんで、ま、すごい大切なクラブ ですね。 今俺がボールボーイとか単価とかしてたす けど、あの周囲のチームとかJ2のね、 そのJ1に上がるようなそういう強い クラブに対して結構勝ってたイメージある んすよ。 だからその 結構劇的な試合が多いっていう印象はあり ます。でも印象的な試合そうやな。 でも自分が入ってから 1番印象的な試合がJ3 優勝やったからちょそれが強すぎてちょっと思い出せないす。あの瞬まその優勝っていうことってなかなかね、どの カテゴリーにいても経験する多く経験することではないと思うし、ま、あの時のはい。喜びみたいなのはすごい印象に残ってます。 いや、やっぱその僕が USにいた時に US からトップに昇格するっていう実績は当時はあんまり多くなくて自分自身もプチーム上がれなくて大学進学したんですけど今で言うともそうだしもそうだしあのチームに入ってそこの入るだけじゃなくてこうチ ティームを若い力で引っ張るような選手 たちがいるので、それはやっぱこうクラブ の成長というか、僕がいた時と比べたら やっぱりクラブもアカデミーも進化してる んだなと思ってます。 これ思い出の品なんですけど、ま、去年 一緒にセンターバック組んでた、ま、 ユースのキャプテンの大崎し君の ユニフォームなんですけど、 すごい、ま、先輩なんですけど仲良くして くださって、ま、今年僕もこの4番を有数 ではつけるので、ま、思い出の品であり つつ、ま、今年の戦うユニフォームなので 持ってきました。 当時は僕がアカデミーにいた当時はこのユスのユニフォームにこのスポンサーってついてなかったんすよ。 ええ。 それが今こんな何者もついてもらってて 後ろ いや、本当に羨ましい本当にそのアカデミーを応援してくださってる企業さんも含めそのトップチームだけじゃなくてそこまでこう気にしてくれてる県のその企業の方方ま県だけじゃなくてスポンサーしてくださってる人たちには本当に感謝しかないですよね。 あの、FC は立ち上げの時からサンフレッチ広島と 業務経験してたので、 サッカースクールをサンフレッチ広島の名前でやったり、 そうですよね。 指導者を派遣してもらったり、 ホームゲームを 1 試合1億円の売上のある ビッグアーチ4万人入ってたこと はい。 その試合を愛媛でやってもらった。 おお いう繋がりがあったので プロに あったね。に上がったご褒美に うん。 森脇選手というな選手を まだ若いけど うん。 あのちょうどその時教科部長やってたのが田さんていう ま、大学もだいぶ下の後輩なんで。 そうですね。 で、石橋さん 3人預けますんでよろしくて。 あの当時の仮明社長から電話が 1歩んとか入っててはい。 石さん、今学校抜けれるっていうか、ああ、 2時間ぐらいだったら抜けれますよ。 はい。 で、全日全日やったと思うね。ロビーに行ったらうん。 村上中という お 東洋イン社長さんが 座られてて、 そこが初めての出会い。 で、村上旧社長の前で JFからプロに上がっていく話を 熱い話をしたら 面白い。 おお。 ニンジニアという別害者立ち上げてるんでそこの利益はいれよ。 全部入れちゃ 全部入れようと言ってくれて本当に入れてくれ。 じゃさんの思いはもうそっから スタートしてるところなんですね。 あの過去に帰ってちょっと注意したいね。 なんでそこまでどっぷりなっちゃったんだと。 いや、ここなるとはね。 うん。うん。 想像はしてかった。なるほど。 ただ、あの、本当にアな思いだという風に思ったんです。サッカーみんなやっぱサッカーを立ち上げるてる段階、ま、 3 人だってまだ地方クラブとしてどうやって あの、し上がっていこうかっていうタイミングな。そうでした。 だからみんながすごいピアな思いでこういるんで、これは応援しなきゃな。応援しようと思ってたんだ。 応援じゃなくなっちゃった。どっぷりね。どっぷり。 むしろ までもま、あの、ま、あの、ま、ジ、じた時に侵入って うん。 本当こう世をこうずっと感じたり色々したこともなかったわけじゃないけど 感謝する やっぱり全てはそこあの瞬間にやっぱり報われたま森もいてあのあの瞬間をあのわって言って叫んでた時またあのあわれたと思ったし石に誘ってもらってうん 良かった本当にあれはあの僕の障害としてはあの誘ってもら た、あ、めにられたあの 1日。うん。 これは正直30年前に愛媛た時に うん。 生きてるうちにプロチームになれたらいいわねって。 おお。 正直そう思わないといけないような野球く愛媛の状態やった。 松山出てきてプロチームを作りたいって言ったら あの村上社長の同じぐらいの世代の社長さん連中お前はバ鹿 野球王国でそれは無理やろんてでぼ僕のそん時にだから応援しようという風に思ってでま実際にちょっと感動したし話 ちょっとねたし言ってること分かってるかと 今言ってることをこの夢を夢のレベルではない。あの、 あの、この、ま、地域の作家に対する思いなんかも 0に近いじゃん。あ あ、うん。うん。 その0 からあの作っていく。このま、今松山で作っていくっていう風に思った時にいきなりプロかと。 まあ、ま、あの、でもまあうん。あの、信じてよかったな。うん。や、 乗ないとそういう風にはならんからね。 え、もうその 情熱を突き動かすなんか原点というか思いって石先生何だったんですか?その絶対愛媛にこうしたいって思うことをその銭に打って純粋に マリの人に分かってもらうくさい。 うん。 これが1番やるかな。 うん。 について分かってもらうっていうの で南浦での成功体験がやっぱその言葉の中には大きかった選手をプロで通用する選手って作るのはそんなに難しくないわけ ああもう愛媛はま育成型クラブというか もうどこの世界中でもあの南米だろうがヨーロッパだろうが 資金的にあの大きな遠慮のないチーム は選手育成しないとやっぱ うん。 成り立っていかない。 なるほど。 それから先生した選手が活躍すると 地元の人も盛り上がるし。 確かに。 だからあの村上社長が言われたように世界中から来てくれる中でもでも地元の うん。 FMFCすわちの子が 2 人3人いればこれが一番立そうね。 まあね、ファンサオーダーの人たちもね、やっぱり自分たちが育てた子供たちが選手がやっぱね、愛媛で活躍して世界に羽いていってくれたらより盛り上がりますもんね。やっぱりね、 やっぱりこの業界いい選手を持ってることが 1番やっぱり うん。 確かにもう選手にとってもね、大きなメリットだとっても大きなメリット。 うん。あの、1 つのさっきの国際家っていう中にはね、 うん。 あの、ま、クラブが今、ま、リーグオだけでどういうポジションか、やっぱりスポンサーフィ、 スポンサーの人たちに支えられて、 あの、あるいはファンサポーターに支えられてけど、これ国際会になった時は選手に支えられた。 あ、 クラブ。 あの、これは大きな今今はあのスポンサー、そしてファンサポーターに支えられて クラブ。うん。 で、次は国際化した時は来た選手たちが排出されていく家庭の中でクラブを支える。 うん。うん。うん。 で、それによって新しいスタジアムもできたり うん。うん。 あの、ま、組織ができたです。だから選手育成をあの息はあの赤ちゃんを育てるわけじゃない。 うん。うん。 優れた状態で排出していく中でうん。 あの、なんていう、わッカー会に対して影響で、 あの、もちろんあの、クラブ経営の うん。 あの、マネジメント、ま、お金の面も含めて、 あの、選手が支える 進むべき。それもそんなに先ではない。 なるほど。 あの、もう今年から うん。 あの、ま、10年後、20 年後になった時はだ、多分さっきもう、ま、プライブの方々が来てたから、あの、だけど 20年前、30年前ってFM シート変わらない。今のね、名シート変わらないぐらいの規模があ、 これが多分10倍、20 倍になってるわけ。 でな、あの年も、え、 22万とか30万とか、そ、ま、あの、 30万人かうん。 ていう風に聞いてるんで、ま、手よりまだ気小さいぐらい小さい。うん。 その街であの行ってみたら運の中で 100億を超える仕事 やってるわけ でその大半はあの実はあのスポンサーフィーとかあるいはそのファンサーさんの要するのチケット量とかではないと 遺跡であったりでそれが残 脱中で うん あのま残して う 今プライブだったらドアさんドア君ドア君 もいて で 遺跡したらっていう話をしてたけどまあの何を言ってたかは言えないけど なるほどいやびうんびっくり僕らの考えるうレベルの金額でない金額 おおなるほど うん籍したないの金額じゃあの出せな うちでやってもらうみたいない金額が ACがいくつ買えるかなみたいな。 おお。 うん。 なるほど。 うん。ようなあのだ。でもそれってあの夢のある話。 うん。うん。 だから次の時代っていうものは、あの、ま、言ってみたら地域のまずは人たちも支えられて、 あるいはその企業の人た支えられ、あるファンサーも支えられて 次の時代はここにあの無名で集まってきた選手たちがクラブを 支えていくの 時代になっていくんじゃないかなっていう。それを夢みたい。 この後発展していくために 1番必要なのは いい指導者。 おお。 育成年代も含めてトップチームも含めて、ま、どの年代でも勝たせれる指導者、選手を育てれる指導者は育成の指導者でもトップに持っていって十分通用するはずから。 うん。 あの、やっぱいい指導者を なるほど。愛媛からどんどん育てることが あのチームの今後の発展につがいい指導者が 1人出てきたらうん うん30 年 2 人出てきたら3人出てきたら 頼むその中で いやいやもう僕も絶対なりませんまでのサポート森を愛媛が育てたんだと指導者として まだコチもして 僕の目標 士としても勝てる選手でありたいなずっと思っててやってきたんすけど、やっぱ監督になっても絶対勝てる監督でありたいなっていう。それね、自分のエゴイストじゃなくて 選手を育てながらチームを良くしてファンサポーター今日も来てくれたお客さんが楽しかったっていうそういう姿を見せれる指導者になりたいんでさぜ是ひ盛り上通しよ。 シめはそっか。 指名は 握手はしときますね。 握手はします。 なんか面白みもあると思うんでちさんでもま、最後にちょっとこれを聞きたいなと思うんですけどさんとまね先生にとって愛媛の存在っていうのをちょっと最後に 聞かしていただきたいんですけど愛媛とは言った方がいいか?愛駅名はどういう石先生にとって先にいいですか?俺にとったら高校サッカーを 卒業してその後人生そのものかなと お で、こに壁にぶつかりながらなんとかプルンまで上がってきて、 J2からJ3 に落ちた時はもうダメかと思ったけど森明に助けてもう J2に戻りたし まこの後何年生きれるかわからんけど生きてるうちは なんとか体鍛えてスタジアムに足を運べるようにお互いうん 頑張りますの選手にその戦い見てても胸が あともうもう 1歩とかね。でも多分あともう 1歩ってずっと言うんだろうなと。 うん。うん。うん。 思う。うん。どんなに上に上がっていて確か結果を残してもでもそれそれがなんかな あ。終わりのないみたいな感じ。 その夢に向かってね。終わりのない旅に向かって うん。 ちょっとしっかり中さ。 森もじゃあるわけね。 いや、もちろんです。もう僕はもう愛媛名が大好き。 もう泥沼だよ。 ここはもう上げていきたい。 ド沼だよ。 もう うん。はっきり言うけど20 年後泥沼だよ。 20 年後も草なって中も僕体力ないですってね。なってるかもしれないですけど。 ま、先週育当てるのは楽しいわ。 いやね、僕ももう絶対ね、いい指導者にもう愛媛が 育てた森焼きがって日本代表までね、登り詰めたいなと思ってるんで、 また引き継続じゃ皆さん頑張っていきましょう。 頑張りましょう。 あ、先生あざす。 や
2025シーズンで愛媛FCはJリーグ昇格から20周年を迎えました。
クラブの歴史を振り返り、選手・スタッフ・サポーターの想いをひとつに。
これまでの歩みと、これからの未来へ向かう決意をぜひご覧ください。
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