初登場!藤本博史・平石洋介&井口資仁と語る 監督経験者たちの最新コーチング論 【監督・コーチングバイブル】

あ、じゃあよろしくお願いします。お願いします。 じゃあ今日はあのもなんて言うですか?元監督って呼んでいいですか?皆さん元監督の皆さんに来ていた、ま、僕も含めて ということで、え、色々とこうコーチとかコーチングって言いますかね。 あ、まあ、なんか昔と今なんてだいぶ違うでしょうし、え、ご苦労もされたとこといっぱいあると思いますんで、その辺含めてなんか色々お話聞けたらいいななんて思っております。え、藤本さんすいません。あの、まずあの自己紹介してもらうってこの番組いつもやってまして [音楽] はい。何自己紹介するんですか? あのね、年齢があの人いくつか分からへんとあっちとこっちどっちが先輩なんだっていうのがよくわからないと見てる人が来 [笑い] 年学表行っていいんですか? できできればよろしくお願いします。 はい。1963年11月8日61歳です。 よろしくお願いします。 お願いします。 あの同い年って言うと どなた? え、工藤君とか そうですよね。 あとジャイアツ吉村とか はい。 あと有名どあ、伊藤明光君もですね。 あ、そう。あのヤクルトは伊 糸明光君は親友です。 はい。 あとはあのね、巨人の村田新一とかですね。 へえ。 牧原さん。 牧原はい。あんいい選手たくさんました。 いますよ。もちろん 昭和38年生までです。 そうです。もう立派な立40 年も立派ですね。40 年もまあまあ立派な方かもしんないですけど結構ねいらっしゃいますよね。 はい。 あと言っとかないといけない人大丈夫ですか?ここはねたまに同年忘れて小山にこの怒られるよね。言われて俺の名前出てこない。言わ 金村がいました。 あ、金村。そう、金村さん言うとかなかですね。 言われますもん。 高校のスーパースターですからね。もう高校時代もうやっぱこう制してますからね。 そのぐらい大丈夫ですか? あ、それぐらい大丈夫ですか? それですか?僕の藤本さん実はね、昔から古いんですよ。 仲良くさせていただいてまして、あの、いろんなところで、いろんなところでお会いして、 いなとですね。どれぐらいですか? あのね、だからね、うちで言うと伊藤明光さんと非常に近かったんで、福岡行くたびにあのお店昔お店やられたんでお店に前に会のようにお邪魔して はい。 え、そん時は木のいいおじさんだったんですけどね。 その後 木のいいおっちゃんやね。 そこからあの、ま、コーチとかね、現場の方にまた戻られて、 え、結構でも戻られてからもコーチやられたあれつですか? えっと、48歳ですね。 はい。そうですか。それでそっから 10年ぐらい13 年。13 年です。チ、 あ、コ8年、監督5年。 そうですよね。2軍、3 軍とかね、監督ずっともされてました。最後 1 軍もやられてましたんでゆはよろしくお願いします。 はい。お願いします。 じゃあ、イグさん、何回か聞てもらってますけど、もう 1回あの自己紹介しいいですか? はい。1974年、昭和49年ですね。 12月4 日生まれ、え、井口です。え、今年で 51歳です。 します。 お願いします。 えぐさんの同い年といえば、 え、松井秀ですよね。黒田、 黒田、 黒田 岩瀬 がいますね。 すごい。 はい。 ちょっとすごいですね。こっちもすごいですね。 岩瀬もね。岩瀬一緒か? 一緒ですね。はい。 一緒か。 岩瀬が1 番プライ級で投げてるって知ってました?藤本さん 知らないです。 先投げてんのって岩瀬だけなんですよ。 あのパリーグはよく見るんですけどあんまり見ないんですよね。 彼が1番なんですよ。2 番ヨネ田さんなんですけど。 はい。ヨネ田さん彼さんなんですけど、もうそれよりも先週投げてるっていうね。言わせ評と。 ありがとうございます。 はい。 じゃ、平さんもお願いします。 あ、そっち。1980年4月23日生まれ 45歳です。 はい。 え、洋介です。はい。 はい。 ま、ここもここで有名ですからね。 同年は 松坂大輔。 そうですね。松坂世代っていうとね。和田強しであったり、ま、あの、今年タイガスの監督やってる藤川二であったり。 うん。うん。 その他大勢。 その他大勢です。 大丈夫ですか?まだ若い会結構いそうやな。 村田君とかもそう。村田一そうね。 そうですね。あの、あの辺ですよね。 いやいや、なかなか皆さん覚醒だ。さすがにすごいなと思って。 僕あの古田さんの後輩です。 あ、そうですね。 トヨタのあ あ、そうなんですよ。 そうなんです。 大学は同士なんですけど、PL同士だから 片岡とかあそこの宮本とか のラインですよ。 なんか先輩後輩きっちりしとかなかんタイプね。 そうです。はね、 厳しいとこですから。厳しいとこ来てますから。で、まだ厳しい 2人ですからみたいな。 で、その後トヨタに来られたんで、そこで 2年間あ、2年?2 年です。2 年ね。だから はい。 ま、ルート的に言うと僕もそう社会人 2年ってどこの校場 はい。僕は本社です。 本社務 はい。 なんでやねん。 生産管理部です。 あ、そうええとこやん。 そうなんですよな。え、でも、え、 3 日でしょ?練習してた?いや、もう午前中だけですね。会社行っても 行かない日も多かったですけど。 ああ、そうなん。 はい。 も、そう、最近ね、ちょっと変わってきて、僕らの時本当毎日行ってて、僕、僕は包み工場っていうとこだ。わかる、わか、わかる。はい。 本社務はいいんですか? いや、本社って言うと気聞こえいいじゃない。しかもその生感っていうのは、あの、結構あの、いいんですよ。 [笑い] ええ。 うん。感ですね。 そう。生っていうところはあのおいうとこなんか上もあんじゃねみたいな。 へえ。 テレビ国と編成みたいな感じですよ。はい。 え、さ、ネジ持ってきたけどそういうのはしなかったんですか? 何?何を? ネジを持ってきた。 持って、持ってきた。持ってきた。 俺工場勤務やからやってたよ。 あ、そうすか。 そう。お前らでもあれはない。 最初の研修すいませんね。この 1 ヶ月研修ありました。1 ヶ月研修で現場で あの組み立て組み立てはやって全くです。 もうしかもそれ 本社だ そうか。 えっとなんかグループミーティングみたいなはい。午前入って えそんなんだけ はいでなんかちょっと参加したらなこんなこと言っていんかわかんないですけどなんか僕らだけだったのか途中でもあの抜けて あの展示してる車 うん センチュリーとかそんなん見ておええなとか思ってましたんでうん。 そんなでも午編中ちょっと参加してましたけど。 あ、そう。 はい。工場はあれですね。見学ぐらいしか行ったことないです。 あ、マジで? 俺ら現場に入らされてで実際組み立てはしてないよね。組み立てはこう 8 時間の交代になっちゃうから僕ら僕ら 8時間12時4時間しかいないから だから僕らあのネジの調達とかして当時ね。 あの僕どっちかてあのそのネジを在そう管理してその業者との間に入るようなとこだったですね。 いや、だからあの車ね、作るメーカーなんだけど、その実際に売ったりはしないじゃない。あの、売るのは別会社なんで、だからここのね、あの、入り入り入り道のところとかってすごい大事になってくるんですよ。あの、あの、トヨタって僕ら現場の作る側に回ってんだけど だ、僕らの頃はその午前中に 本当に今やったら機械いっぱいありますけど、もう手でバーンやるんで ネジがなくなっていくんですよ。 そのネジをネジ倉庫みたいなでっかいとこあってそこに行って本当にこうやってネジをでこう配っていくんですよ。こう工程が [笑い] 2kgぐらいあるんですよね。こういう へえ。 あのあの色入れたり全部入れたらね、あのプレスしてで色入れてでエンジンつけてで最後組み立てていくっていう作業じゃない? はい。それ それは午前中だけですか? 午前中 で豪野球ですか? そうです。はい。そういうのをやってました。 それでも、あの、その現場に入ったのは 1 ヶ月ちょっとぐらいやって研修がでね、もうもう 1 つ言っていいつかでね、研修があと販売実やらなかった。販売研修って やってない。 いや、ないの? いや、分からです。僕多分やった記憶がないですね。 マジでおらの時はその現場研修でそのネジ調達してその安全グ履いてやってそれもやってでその後販売種って言って販売かされて セールスやさあるんですよ。ああ、 車をピンポン本当に飛び込んでピンポン鳴らして車買いませんか?全然売れないのに毎日心折れるっていう。 これもうやらせた。 もう野球部それやらなかったね。はい。 やってなかった。時代ですね。 時代ですか? ま、でもそれがおかげ様でね、このあのいい経験になってます。あの、苦労はね。え、すいません。そんな話してありがとうございます。 え、さあ、あの、じゃあ今日はコーチングっていう話なんですけど、藤本さんよろしくお願いします。お願いします。 さん、あの、やっぱりこう、ま、監督経験もちろん離れるんですけど、 昔と今とかなり違うってよく言うじゃないですか。 昔ってでも何回ですよね。 はい。もう全然違いますね。 違いますか?そ、 コーチプロに現役時代にコーチバッテリーコチだけ 10人以上 はい。 おそらく携わったんですけど はい。 やれですよね。 ああ。昔。はい。 はい。もう嫌ですはないですよね。嫌れ。はい。しか言えないですよね。 [笑い] その頃で。 でも何回じゃ何回でしたよ最初はね、何回こ一軍に上がった時はもう当時は長池さん ああ、 藤原さん で福田さんとかですかあっ ていうところがおったんですけどやっぱり すごい実績ある人じゃないですか? はいはいはい ねも独特じゃないですか?こうね はいこう長いけど誰も知らんやりましたやっぱ顎ここに乗せろと 真似させられるんですよね 平とかわからんよな い名前はもちろんわかり わかる。いや、長いけどさ、これやで。 俺半ブレブス子供会やったから ずっと子供から見たこうやって まだからね本当やれちゃはいって言わないと一軍の試合使ってくれない。 はい。はいはいはい。 で、まあ当時ま、今でもそうですけどバ抜コチって 2人いるじゃないですか。この2 人の理論が違うじゃないですか。 うん。まあ、まあ、あり。 だ、どっちを聞いていいかわかんなくなる。そういうはい。 現役時代だったですよね。 あ、でも若い時っていうのは例えば、ま、高校出てきて、ま、いわゆるバッティングを買われてですか、やっぱそうですよね。 そうですね。足は変われないと スタイル的には。 はい。 だからそれで言うとどんな例まずは 2軍じゃないですか?軍ですね。 で、どんな感じ?もうホームランバッターなみたいな感じ。 1年目か4番歌してもらって 飛ばせみたいな感じですか? はい。当日軍の監督吹さん。 ああ。はい。花さん でもう4 番からはさんから何ぼ打てんかったも 4番で使ってやるから。 で、1年目に10 本ぐらいがホーム乗ったんですかね。 でも打率は2 割ぐらいやった。ま、元々打率は僕低いですから。 まあ、まあ、まあ、ま、 やんだないんでですね。 でもどうですか?その自分が経験してきたその現役現役 はい。 その最初南海で次大衛ですよね。ダエ はい。 ですよね。だから そうですね。ダエ最後にオリックス行ったんですけど。 あ、そうですね。はい。そん時なんかコーチによって、ま、もちろんだベテランになった時であんまり色々言われること少なくなって。 そうです。言われが206 日ぐらいまでですね。うん。 もうそっから何も言われなかったですけど 26日までは高成しか言えなかったし でそれを僕は嫌だったしどれやっていいかわかんない状態で 例えば古田コチが見てる時は古田コチ言うてることやろう井口コチが うん 言われた時はこういうバッティングしようと うんうん リスにならないですよね まあまあそうですね はいだそういうのはしたくないなと思って までも本当その時代の流れていうかコーチやった時の選手っていうのはやっぱ やれって言えないですよね。 まして僕この顔でこですから 関西弁ですし はい。体 福岡に行ってやれって言うたらみんな移縮するじゃないですか。 だ、こういう練習方法あるよ。こういう練習方法あるよ。 はい。 をそういうのをくさん、 え、ね、身につけるというか、たまたま 1年目コチなった時に中西ふさんがあ、 はい。はい。 臨時コ知へ来てくれたんですよ。 はい。 で、なんか分厚いノ 2冊 うん。 あの、これ呼んどけって言われて へえ。 ま、中さん監督もしてるんでね、当時その監督としてとか投資としてとかは はい。 バッティング理論とかいっぱい書いてるんですけど論じゃないですよね。練習方法ですね。 ま、中西ノートって僕初めて聞きまし。僕らもうヤクルトにもう何年か そうですよね。 来られたんですけど。 で、もう10人おった10 人が違うんだから うん。 それぞれのスイングがあるって。で、その、その人にあった練習方法をとりあえず 23個考えとけって言われたんですよね。 へえ。 で、ま、あの、とりあえず柳田だったら はい。 ま、入って一緒に入ったんですよね。コチであいつが 1年目なんですよ。 うん。 で、ま、大海長からこの選手は 1 年間フルスイングさせなさい。当てるようなバッティングは一切させるなっていう こと言われてすごい楽やったんですよね。 2m 前のワンバンの空振りしとったんです。 [笑い] するでしょうね。するでしょ。 あ、ブ試合試合前に 230 分して、ま、練習試合前の練習やって試合終わっが終わったらそっからまた 1時間はい。 1年間毎でやりました。 へえ。そうですか。 やるっていうのはな、なんこうなんか いや、もう僕投げてました。 あ、そう、こう、ゆ、 より寄り添うコーチだった。え、他は、え、でも柳田だけっていうわけにいかないじゃないですか。 いや、もう一応まあ1 年目は柳田ひじゃないですけど、もう柳田メインでそこに中村明とか牧原とかうん。うん。うん。 あの辺が一緒に打つま、エガっていうのもたんですけど うん。 やっぱある程度 え、そん時は2軍ですか?1軍も2 軍でずっと はい。 突きっきりでっていうか 突っきりですね。 なんかでも打ち方、ま、もちろん遠くに飛ばすのもなんか方法あるじゃないですか。もうちょっとこうした方がいいんじゃないとかっていう。 ま、昔は僕らポイント前で打てに言われとったんですよね。ま、今の野球はもだいぶ中に入ってきてますけど、ま、それを、ま、そのポイントで 人それぞれ違うと思うんですよね。 うん。うん。うん。 中に入れるとで腰もあった前で打ってるんですよね。 うん。ま、ちょっとこう下がり気味で打ったりとかもありますよね。 だからその辺が、ま、当時はまだそこまで中に入れてくる選手あまりいなかったんで うん。 だからある程度その本人がいいとこでっていうポイントを定めてある程度ローボールヒッターだったら、ま、試合の中でこのピッチは今日はゾーン上げていこうというけど、ローボールヒッターにはそれは言わないで うん。 低めでも打っていいよっていうような。 でもどうですか?あの、好きなように打っていいからって言われても本人もちょっとこう、ま、迷ったりするじゃないですか。ま、成績ければいいんですけど。 ま、野球感ってあるじゃないですか。 はい。はい。 その全員が山川 1番から9 番まで山川だったらこれ打線にならないですよね。 はい。はい。はい。 あれ、ある程度その、ま、今ソードバンクだったら川瀬みたいな選手が 絶対必要な選手だと思うんですよね。 だ、そういう選手が今現在少なくなってきてますよね。 ただみんな自分のバッティングしたらそれで終わりてよう。 感じになってるんじゃないかなっていう気はします。 うん。そん時にはでもあんまり口、ま、あんまり言わずにその練習には付き合うけどって感じなんですか?その そう。終わってからちょっと話します。 うーん。 あれはちょっとまたダメなバッティングがあったらあれはちょっとね、こうした方が良かったんじゃないとか言うて、 ま、本人も言えるような環境を作ってやるのがいいかなと思って。 うん。 一方的に僕が行ったら最初に言ったけどコアモテですからリチャードなんか 30回ぐらい泣いてますからね。 それなんすか?顔だけで 顔だけいや、みんなおる前ではちょっと厳しめにで 1対1 だったら優しめにっていうそうなんていうかな。 うん。 色々変えながら喋ってますね。はい。 うん。うん。 その傾向は平さんも、ま、直近まで西武したけどやっぱ同じなんですか?今の選手たち。 そうですね。やっぱどうやって向き合っていくかっていうのはやっぱ 1 番大事かなと。普段からやっぱできるだけコミュニケーション取って うん。 普段の動きもしっかり見てあげてじゃないとね、なんかこうまくいかない時とかちょっとこう例えばミスしたとこにバンって言った。言っても普段会話してないのに悪いことだけ言われてって言ったら僕もやっぱそれも嫌だしっていうのね。だからこそ厳しいことも言えるしっていうのはあると思いますね。 だ、平さんは、あの、だから、えっと、ま、原終わってすぐは 2軍のコーチ はい。1年間だけ2軍のコーチや、2 軍のコーチやっても次1軍のコチ すごいね。すごいね。もう皆さんと違って僕みたいなゲほぼ何もしてない。 そんなことはないんだけど。だからんけど 逆に言うとね、ま、あの、評価されてたと思うんですよ。その 2軍の1年間が あいつ1 軍にあげようって多分なったと思うんで。 その時はだからそういうこう寄り添うっていうかどういう そうです。あのこう寄り添うってコールなんか優しいみたいなイメージもあるかもしれないですけどもそうじゃないと思う。僕優しさも厳しさも必要だと思ってますので うん。 なので、でも今藤本さんも言われましたけど、こっち側からの一方通行押し付けたところでもやるのは選手なのでやっぱ選手も考えてもらいたいで自分から発言もしてもらいたいで発言することによって責任感も生まれる考えて欲しいってのもあるのでなので普段からなんかコーチイコール教えるじゃないと思ってたんですね僕原金とか うんうんうん 結構なんか教え間マの方とか構成合わせとか全員同じ形にはめる方とか多分皆さんもそういう方いっぱい見てこられたと思うんですけどもそれがものすご すごく嫌でなのでこうできるだけ普段は見てちょっとしたすもウォーミングアップ 1つも表情の変化も仕草 1つもできるだけ見逃さないようにして なのでああいつちょっと悩んでるなとかあかあったなとかいう時さりげなく声かけたりとかで普段からまやるようには心がけてましたなので僕は多分人よりも厳しいことも言ってると思います。 うん。 はい。うん。そうやってるだけするように なんとか心開いてほしいと思ってですね。 ま、でも基本的にやっぱ1軍の監督校長2 軍は若干違いますよね。もう全然やることから 全然違うよね。 く違いますね。 だから一軍はやっぱりこう調整がどうしても増えるから ね。 もね、監督やったけど、あの選手どうって言って、ちょっと腰がとか言ったら、ま、何腰投げれんの?投げられへんの?どっちなの?とか毎日毎日なんか怪我の心配ばっかりしてることが多かった。誰かが出れないとかどっかが痛いとかなんかいうやつが出てきてどうすんのみたいなと。ま、 特にね、ロッテはレギュラー少なかったですから。怪我されるとね、もう戦力団がもう確実なんでとにかくね、選手のコンディション え、だから2軍は2 軍のあれはやってないよね。3 あれやめてすぐ1 軍じゃない?そうだよね。1 軍の監督やったもんね。はい。 まあまあ軍の状況とはいえ、なんかもうそういう意味で言うとね、ちょっとなんか若干違うのかなと思うんだけど。で、どうですか?一軍もその時も例えば選手終わって終わる時もう、ま、そういう話あったかどうかわかんないけど、 あのそういうこと考えてたと思うし、急に、ま、そういう風にやるって言われても はい。ま、あの、正直、あの、引き受ける前の年ですかね。 あの、本当に、え、歴史的な大配して負けた年だったので、ま、このチームね、どうやってこう立て直すかって、ま、自分身受け継の時にですね、やっぱりこう他から外部の方来られてもおそらくこの中の状況っていうのは全く分かってないと思うんで、ま、本当に長いね、 5年10 年かかる、ま、チーム状況だったので、ま、それだったら自分自身がね、こう中にで、ま、このチームどうしたらいいのかで選手たちも何を今したいのかっていうのは我々あの、あの選手時ずっと話してたので、ま、そういう意味で 1番やりやすかったのかな。 手ほとん会ながらどういう形でこうう分やってるのとかそういう話してましたのである意味ちょっとコチに近いような位置にいましたので まそこはねすんなり選手とこう 1 年目から入れたとこはあったと思います。 あのま具体的に例えば自分が監督なったらま監督はね弱くても監督いるからあんまり批判もできないし でも自分がやったらそうなるとねまあまこの辺もうちょこうやったらいいのになって具体的になんかはい ありました。 こう、例えばそのコーチの連携とかこの、ま、この選手使ってみとかもちろんあると思うんだけど はい。はい。ま、本当にあのうん、最後の 2年ぐらいはベンチずっといましたので 12 軍とのまずこう連携が全くできてないなっていうのを感じながらやってましたし、ま、あとチームのその各となる選手がまず 1 人もいなかったので、ま、そこ作ってかないとやっぱりこのチームっていうのは怖かってこないなってことで監督引き受けてやっぱりセンターラインをまず整えようってことで、ま、ピースを 1 つずつこうはめていくような、こう作業はしてましたね。 でもなかなかそうまくいかないじゃない。 いや、そうなんですよね。 いや、わかんねえよ。いいのいいよと言って。 はい。 ま、でもね、あの、ま、チとしては、ま、そこまで球団ね、お金かけてくれる球団でもないですし、ま、あの、北クさんのように毎年優勝しろって絶対的なとこもないので、ま、本当に球団としては 5 年先のことをこうスパン考えて、ま、ある程度若い選手をうまく使いながら、ま、育ててこうっていう方針で、ま、それ引き受けたので、ま、そういう意味ではね、あの、 1 年目から優勝しろみたいな、そういうのあんまりなかったので、ま、やりやすさはありましたよね。 うん。やっぱりホークスは1 年目から優勝しろとは言われないですよ。 はい。でも勝ちなさいみたいな感じですね。ま、そうですよね。 でもあれですよねんでしたっけ?100 勝白でしたっけ?あ あ、2年目ね。 なかなか勝できないですね。 100勝白で12連したんですよね。 ま、それだけやっぱり置かれてる監督でも立場がね、違うってことですよね。 そう。え、だから、ま、僕も経験ありますけどね。監督はなんか男の職業の中で 1番いいとかいう人いますけど、 なかなか大変ですよね。現場ね。 大変ですよね。いや、あの、2 軍監督はね、まだ一軍との連携取っとけばいいじゃないですか。ま、一軍のヘッドコーチとね、連携取って、ま、当時平さんがね、一軍のコーチでね、 うん。 ちょうどいいましたもんね。連携取ってましたよね。 そうなの?あ、そうか。 そうです。そういう関係か。そう言われてみればだから、ま、国防が当時ヘッドコーチだったんですね。 2 年目が。そうですね。2 年目がね。で、平石打コチだったんです。あ あ、なるほどなるほど。 で、ま、連携取って今大が故障したら 2 軍で誰かいいのおるか推薦できるもんかったんすよね。いや、だから僕が監督だなっても僕は国防今のね、国防監督とずっと話やりながら誰かないない。いや、もう推薦できるません。本当そういう状況なんですよ。 [笑い] でも2軍は1 位なんですよ、いいつも上さんで。 うん。 いや、だからそれはね、僕、僕らから言われたはめちゃくちゃ贅沢オタクはいますよ。 [笑い] ただ、ま、近藤柳、山川というところが 10の選手としたら はい。7 の選手が多いんですよね。 はあ。はあ。はあ。はあ。 だから誰が一軍に出ても、ま、結果出すかなっていうところの選手がたくさんいるんですよ。うん。うん。うん。うん。 でもそれが長く 持たないんですよ。 ああ。 短期間しか持たないんですよ。 だからレギュラー取れないんですよ。 でもそれ取れない理由はなん やっぱりもう1けれない。 もう1向けない。リチャードなんか。 うん。強く持てないとかですね。 あれなんかその気持ちっていうのはどうなんですか?なんかよくよくそう言われちゃうんですけど。 まあもう審判も的にしますからね。 はあ。 ストライクボールでもう自分がボールと思ったのストライク言われたらもう心配にもうなんかわ言いますからね。 もうそれでこう平常心で入れれなくなるっていう意味ですか? で結果が出ない。 石軍で田中ま君が楽で投げてる時に 3球三振して 3 球三振してピッチャーになんか英語でわーって言うたんですよ。でまく分かってるじゃないですか ね。誓ってきました。 お前謝ってこいて。 ສ

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00:00 パ・リーグ育ちの監督が集合!今回も自己紹介からスタート
04:41 工場勤務の古田&本社勤務の平石 トヨタ自動車勤務時代
08:22 南海時代の藤本が受けた「YESしか言えない」打撃指導
11:01 “コワモテ”藤本指導の礎となった『中西太ノート』の存在
15:04 「厳しいことが言える」平石流の選手との向き合い方
17:17 選手▶︎一軍監督を務めた 井口資仁が監督就任で考えたこと
20:20 球団で変わる監督への要求と 大事な1・2軍の関係性

#プロ野球 #監督 #古田敦也

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