40年前、ひとりのアメリカ人スラッガーが阪神タイガースを日本一に導いた。入団当初は「二番手の外国人選手」に過ぎなかった男は、なぜ「史上最強の助っ人」としてプロ野球史に名を刻むことになったのか。岡田彰布、川藤幸三ら当時のチームメートたちの証言から、ランディ・バースの素顔に迫った。(全2回の1回目/後編へ)※文中敬称略

「ワシに聞くなんてよっぽどやろ」川藤幸三に仰いだ助言

 阪神を日本一に導いた翌年、1986年もランディ・バースのバットは無双状態だった。だが、その中でも不調に苦しんだ時期があった。そんな時、バースは川藤幸三にアドバイスを求めた。

「ワシに聞きに来るなんて、よっぽどやろ。だからワシが思っていることを伝えた」

 結果が出ないがゆえに焦りが出て、力みもあった。川藤はこう言い聞かせた。相手投手はおまえが怖いからボール球を投げてくる。それに付き合ってどうする。ボールに手を出すから、崩れてくる。じっくり構えて、ストライクに対応すれば、何も問題はない。

ADVERTISEMENT

「ワシが言えるのはこれくらいよ。あとは掛布(雅之)や岡田(彰布)が教えるやろうからな」

 この川藤の金言で、バースは再び輝きを取り戻した。

 2年連続の三冠王。まさに金字塔ではあったが、チームは3位と連覇を逃した。そればかりか、翌87年には最下位に沈む。その中でバースはまさに孤軍奮闘。結果を残し続けた。

シーズン途中にまさかの退団…迎えた“悲劇的な結末”

 来日6年目となった1988年。思わぬ事態が待ち受けていた。開幕して間もなく、バースの長男ザクリー君が水頭症を発症していることが判明。バースはアメリカでの治療を望み、球団も認めて一時帰国となった。

 ところがここで問題が起きた。高額になるであろう治療費を巡り、バースと球団との意見が対立したのだ。球団との契約条項を巡って、話し合いは決裂。さらに、ここに現場からの要請が足かせになった。当時の監督は村山実。ミスタータイガースはまさに直情型の典型のような監督であり、バースの早期再来日を強く主張。「とにかく早く戻ってこさせろ」と語気を強めて言い放っていた。

【次ページ】 日本を愛し、ファンに愛された「最強の外国人選手」

NPBHUB.COM | The Fanbase of Nippon Baseball & Nippon Professional Baseball