東京ヤクルトスワローズの黄金期には、“日本一のムードメーカー”として輝いた選手がいた。現在は球団職員としてベースボールアカデミーのヘッドコーチをつとめる度会博文さん(52)だ。無名の存在から故・野村克也監督に見出されたユーティリティープレーヤーは、持ち前の明るさと弛まぬ努力で15年間の現役生活を送った。今年鮮烈なデビューを果たした横浜DeNAベイスターズのドラフト1位ルーキー・度会隆輝外野手の父としても知られる度会さんが、Number Webのインタビューに名将との特別な思い出を明かした。〈全2回の前編/後編も公開中です〉

 度会さんには、忘れられない思い出がある。それはルーキーイヤーの1994年2月の春季キャンプでのこと。一軍メンバーに選ばれて張り切っていた22歳に、野村監督が声をかけた。

「おい、度会」

 隣には報道番組のキャスターとして取材に訪れていた栗山英樹氏が立っていた。後に日本代表監督として世界の頂点に立つことになる栗山氏もまた、野村監督の“教え子”である。

野村克也監督のひと言

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「お前ら、よう似てんな」

 ともに爽やかな外見の2人を見比べた野村監督は機嫌よく笑うと、こう問いかけた。

「ところで度会、お前の売りは何だ?」

 大志を胸に夢への一歩を踏み出したばかりの度会さんは胸を張った。

「バッティングと……元気です!」

 すると名将は表情を曇らせ、こうボヤいた。

「“元気”とか言っている奴に、ろくな選手はいないんだよ」

ドラフトの“隠し球”

 アマチュア時代は全国的に無名の存在だった。八千代松陰高から進学した中央学院大は当時、千葉県大学リーグの新興勢力。同大初のプロ野球選手として1993年ドラフトでヤクルトの“隠し球”として3位指名を受けた。度会さんが振り返る。

「前日に指名があるかもしれない、という電話はもらっていましたが、下位でかかればいいかなという感じでした。当日は、職員室で何か食べながらドラフト中継を見ていて、3位指名という順位に驚いたことを覚えています」

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