’70年1月、長嶋(上)の自主トレに同行した柴田。初日のみ、マスコミ対応があったという

ホームランバッターとして鳴らした若き長嶋だったが、’62年を境に本塁打の数で一本足の王に及ばなくなった。果たして長嶋は、ライバルの姿をどう見ていたのか――。巨人在籍20年、“長嶋茂雄”を最もよく知る名手に聞いた。(原題:[唯一の山ごもり同行者]柴田勲「鴨居とピンポン球」)

 V9を成し遂げた巨人でずっとレギュラーだった柴田勲は、長嶋茂雄の“山ごもり”に同行したことがある。オフになると必ずひとりになろうとした長嶋が、8つ下の柴田に懇願されて、1970年の1月、初めて自主トレに他の選手の同行を許したのだ。

「長嶋さんと8日間、伊豆の大仁で一緒に過ごしました。長嶋さんって普段は努力しているところをまーったく見せないんです。『柴田、長嶋茂雄の努力を人様は見たくないだろう? 長嶋茂雄は努力を見せなくていいんだ、陰でやればいい』って。後楽園球場でもノックをポンポンと受けて、ポンポーンと打って、それで終わり。自宅で陰の努力はしていたんだと思いますが、外ではそういう姿は一切、見せないんです」

 長嶋がまだ独身だった頃、珍しく柴田を家に呼んだことがあった。そこで柴田が見たのは、庭に張ってあるネットと、カゴいっぱいに入ったゴムのテニスボールだった。

「ボールを僕が上げて長嶋さんが打ったり、長嶋さんが上げて僕が打ったこともありました。長嶋さんはめったに家へ人を上げませんから、練習する姿なんてほとんど見たことがない。だから自主トレへ一緒に行けることになって、どんな感じなんだろうと思っていたんです。そうしたら初日、『柴田、オレはここへ練習しにきたわけじゃないからな、キャンプインするまでの心の準備をするために来てるんだから』と……どこまで“長嶋茂雄”なんだと思いましたよ」

 実際、長嶋は山ごもりで血の滲むような努力をしていたわけではなかった。大仁での長嶋と柴田は、毎朝6時半にボールとバットを持ってホテルを出る。山を下ると大仁高校があって、2人は女子バスケ部の朝練に合流した。一緒に走って、シュート練習をして、彼女たちの練習が終わると、誰もいなくなった校庭でキャッチボールとトスバッティングをした。朝のメニューの最後は階段を10往復。柴田がこう続ける。

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