2025年、阪神タイガースはセ・リーグ首位を快調に走っている。しかしさかのぼること30~40年前は「暗黒時代」の真っただ中にいた。1970年代に電撃トレードで阪神に入団した“エモやん”こと江本孟紀氏が明かす当時のウラ話を『阪神タイガースぶっちゃけ話 岡田阪神激闘篇』(清談社Publico)から一部転載でご紹介します。〈全9回〉
徹マン中に決定した田淵幸一さんのトレード
田淵幸一さんは私にとって法政大時代のひとつ上の先輩で、優勝ゲームでバッテリーを組んだこともある。おおらかな性格で、当時は先輩・後輩の上下関係が厳しい大学野球界において、後輩にはやさしい先輩だった。そんなこともあって、私たちの同級生のなかで田淵さんの悪口を言う者は誰ひとりとしていなかった。
じつは田淵さんのトレードが発表された1978年11月15日は、私と古澤憲司と田淵さんを交えて、堺の私の親戚の家でマージャンに興じていた。夜11時半が過ぎようとしていたころ、この家の電話が突然鳴り響く。
出ると、田淵さんの奥さんから、「すぐに帰って球団に来るように」との電話だった。受話器を握った田淵さんは驚いた表情で、黙ってうなずいて電話を切り、
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「いまから球団事務所に行ってくる」
と言って車で帰っていった。その後ろ姿を見送ったが、寂しそうだった。やはりトレード話で呼ばれたのだ。
トレード先は西武だった。そして、西武の新監督に就任するのは根本陸夫さん。法政大の大先輩だった。まさかのトレードだった。
「いったい、阪神の情報管理はどうなっているんだ」
この出来事からさかのぼること6時間前のこの日の夕方、マージャンを始める前に、
「田淵さんは将来の幹部、首脳陣になるんです。オレらが支えていきますから、来年は今年以上に頑張ってチームを引っ張っていってくださいよ」
などと田淵さんに対して檄を飛ばしていた。田淵さんも、
「わかっているよ。オレも打つほうだけじゃなくて、守るほうでも貢献していくから」
と決意を新たにしていたのだ。それがこのトレード話ですべてがぶっ飛んでしまった。
このときのトレードのいきさつは、関西マスコミと阪神らしく、田淵さんより先にマスコミに情報が知れ渡っていたのだ。「いったい、阪神の情報管理はどうなっているんだ」と憤ったが、あとの祭りである。

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