2025年、阪神タイガースはセ・リーグ首位を快調に走っている。しかしさかのぼること30~40年前は「暗黒時代」の真っただ中にいた。1970年代に電撃トレードで阪神に入団した“エモやん”こと江本孟紀氏が明かす当時のウラ話を『阪神タイガースぶっちゃけ話 岡田阪神激闘篇』(清談社Publico)から一部転載でご紹介します。〈全9回。第6回につづく〉

阪神の「暗黒時代」はいつから始まったのか

 阪神の歴史を振り返ったとき、1980年代後半から2001年までの時期を「暗黒時代だった」と呼ぶファンは多い。1985年に21年ぶりのリーグ優勝と日本一、その翌年は3位と、前年の成績をやや維持したものの、1987年の最下位を起点に、2001年までの15年間でBクラスがなんと14度もある。内訳を見ると、4位2度(1993、1994年)、5位2度(1989、1997年)、最下位にいたってはなんと10度(1987、1988、1990、1991、1995、1996、1998~2001年)というありさまだった。Aクラスにいたっては、1992年の2位が1度だけ。開いた口がふさがらないとは、まさにこのことを言うのだろう。

 それでは、俗にいう暗黒時代は1987年から始まったのかといわれれば、それは違う。

 私が思うに、元をたどれば1980年だったと思っている。この年は、あのドン・ブレイザーが阪神の監督だったときである。

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 前にも書いたように、ブレイザーは阪神再建のために招聘された監督であり、南海時代と同じようにチームを躍進させてくれた。監督就任1年目の1979年の順位は4位だったが、巨人からトレードでやってきた小林がシーズン22勝を挙げ、最多勝、沢村賞のタイトルを獲得。ブレイザー野球が浸透した2年目は、チームはさらなる躍進を遂げる……球団関係者はもとより、大阪の多くの阪神ファンはそんな期待を抱いていた。

チーム内はもはやバラバラになっていた

 ところが、この年はいきなりその風向きが変わってしまう。前年秋のドラフトで早稲田大から1位指名で入団した岡田彰布の起用法をめぐって、フロントとブレイザーが対立してしまったのだ。

 ブレイザーの主張は次のとおりである。

「どんなに力のあるルーキーでも、メジャーリーグではいきなり試合で起用することはない。だから二軍で結果を出してから起用する」

 この言葉を聞いた岡田自身が反発。周囲も「そんな理由はおかしいやろ」という声が大きくなっていった。

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