【アスアカ総集編 一気見SP vol.68】巨人軍フロントの全てを知り抜く影番長 香坂英典

アスリートアカデミア学長の岡崎香ですえ 本日のゲストはなんと高坂秀典さんです よろしくお願いしますよろしくお願いし ますあのなんてこう紹介しようかなと思っ たんですが私が言いましょうかそいいです ねあもう高坂さん行ってくださいよはい えっと我々あの巨人軍のですねえ同機入団 でしてそうなんですはい え岡崎さん高校からで私大学からで入団し てねはいからのまお付き合いでえなんだ かんだ考えてみると本当に長くご縁 いただいていやということでカちゃんで いいですねあもうかちゃんでいいですもう ずっとかちゃんて呼ばれてるんではいあの 今高坂さん言ってくれたように僕ら50花 の55年組昭和55年入団の花だったん ですねあれそうすはい10人10人高卒が 高卒が10人で大卒が高坂さんと島さん 稲田のね島ええ12人でこう入団したん ですよねそうですたねいや懐しいなそれ からずっと高坂さんと一緒僕9年間選手 やめてからコーチモズまで9年間ちょっと 中抜きしてるんですが高坂さんそずっと ジャイアンツでしょそう何年ジャ僕5年 やってそれでその後もうこれでダメでそれ でま球団の方でっていうお話もらってね それからずっと言ってまえっと3年前4年 3年前4年前か20年202020年に を持って対談をしたんでえ40年間ぐらい はい44年言いましたねすごいな僕もなな 9年こさっき計算したんですけど17年 選手で16年フロンあの高知とフロントで 33年間なんですよねのべねだ33年間 ジャイアンツにお世話になったなと思って 高坂さんもこう見たら40年の間にま もちろん最初選手から始まっていろんな 役職やってますよねまあねあの球団職員に なればあの与えられた仕事やるしかないん ですけどまあのそうですねえいくつかさせ ていただいてあのま野球に携わった仕事 だったってことはもう本当にありがたくて まあの何笑ってんの僕ねこう台本一応ある んですよこうデータがあってねこうデータ が先週やデータがあって何をして質問 するって全く頭入らないですよこれ何回1 週間ぐらい前からずっと見てるんですけど ていうのは坂さん僕本当にね人もこう ゲストの方はもうこれまでのべ何人ぐらい 来てくれたかなもう50人ぐらいは来て くれたと思うんですがもう今日本当楽しみ でうんいや俺もあの代表いらねえなと大坂 さんとはもう昔話しに話を咲せるしかねそ いそれでいいんですかいやいやもうそれ しかないじゃないですかもうそれは僕もね あの高校卒業してジャイアンツに同圧さ れるまでは大学に行こうと思ってたんです うんああなるほどね思ってたんですよまで も大学もま行こうと思ってたけどま大学も 厳しいなとまで4年間ま4年間じゃない けどま1火生の時また説教された厳しいん だろうなとうんうんまそういう気持ちも あってでもなんかこううさをして最終的に プロに入ったわけプロはさすがに説教ねえ だろうとね大坂さんったあったプロにが 入ったら説教はねえだろうと思ってたんす よ俺もあれ見てそう思ったよ同じこと思っ たやってるんだみたいいやいや僕は坂さん にやられたこと話していややってない いやいやいや僕ね1年目のまあ1軍は宮崎 の青島の青島グランドホテルもう当然2軍 ですよね2軍は水公園というま旅館のよう なちょっとこうはいはいはいちょっと 角落ちするホテルでで僕2軍スタートで なぜか高坂さんも2軍におられたあいまし たいましたキャンプ2軍スタートだったん ですよね僕らの頃って新人が1軍スター トってあんまりなかったじゃないですか どんないい選ないですねもうないないない あれ松井秀でも2軍スタートだあったじゃ ないかえっとね最初1軍だ1軍にいたん ですかねだけどもその後2軍に落ちたああ ことがあったうん大体2軍高坂さん2軍に おられてえちょっと待っていや水行園の いやあのねなんでもこういうのそうなん ですけどやった方は忘れるんですよいや俺 やってやられた方はもう全部覚えてるあの ね俺は平和主義だからやりませんやった ことないですいいやプロ野球って1つの 組織の中でピリットするために説教っても 大事なことなんですこれいじめでもなんで もないじゃないですかそうなのかやっぱり の繋がりも大事だけどやっぱ縦の繋がり縦 のラインがちゃんとした体育会の会計の 組織じゃないですかやっぱプロ野球といえ でも大事なことだから平和主義者だから やるとかやらないかちゃんねそれね俺じゃ ない人だといやでもね山岡に聞いても林に 聞いても山崎に聞いても西尾に聞いても みんな覚えてますよやられた方は覚えてる ですよ高坂さんあのいやあの水公園の夜8 時ぐらいに集合ってなんかなと思ったら あのの横に河川がこう流れてるじゃない ですかなんかうんあそこの河のところで 正座10人正座させられてもうはゴロゴっ て言って何を言われたか内容はちょっとそ そこにそういうことをやっていたとこにい たっていうのは覚えてますで手を下した ことはあいやいや手を手を下したのそう手 は下さない叩いたり蹴ったりしてないけど こう説教されてちゃんとやりなさいみたい なま説教って言ったら言い方悪いですけど 教育ですねうん指導まあそうかなプロ野球 あの野球選手としての指導をお前ら大学の 4年間出てないだろうんうんうん俺たちは 4年多く生きてる中でこういうことしなさ いって言ってなるほどねまさか同期の先輩 に説教されると思わなくていやそれから すごかったでしょはいそれからもすごかっ たですよね2軍って説教ありましたよね いやいやよくやってたなんか遠征先でも やってたねいやもうあん時死ぬかと思っ たす僕あの征先遠征先で秋田とか九州でも やってたねでなんで集まんなきゃいけない のかなって我々もねえで大坂さんとかは 集合されてないでしょうんいやあのま先輩 の選手がいたんだよも3バったですねうん でもあのかちゃんたちかわいそうだったね 高校生12人いて僕ら高校生10人いて僕 と僕ドラフト3位なんですけどドラフト2 位の山崎っていうキャッチャーと僕はもう イースタンリーグで1年目から試合に出し てもらったんです当時岩本監督だから遠征 も全部行ってたんですよねで10人に行く わけじゃなくて遠征に行ける1年生ってま 23人だったんですよそうですそうです そうそうそうそうだから説教はいつも23 人しか置けないです遠征でやられるから いやいやそうですよだから僕本当 かわいそうだったですよだって遠征行くと 当時はクリーニングなんかないじゃない ですかうんだから先輩の洗濯物をバーンっ て出されて近くのコインランドリ探して 選択してその間にすりして腹パンが俺それ 知らないわ俺たちはなか遠征地獄だった ですよ1年目 鉄製のバッティングゲージをなんか電車に 乗せてそうですよあれ1年生1年生ですよ でも荷物持ちでしょだって今は2軍でも 荷物茶っていうのがあってそうだこう全部 運んでくれるんですよねあの遠星の荷物 うんあの頃なかったじゃないですか全部の あれ全部1年生だそうですよボールとか もう全部持ってそう自分の道具持ってもう 1年目新幹線なかったじゃないですかま 東北新幹線がは寝台でねそうなんですよ あの貝の寝台なんかでみんな始めるんです で僕ら1年目だからもちろんお酒を飲ん じゃいけないだけどそのパシリですよねお 酒を作ったりそうそうそうそうだから僕は 遠征は毎週みたいにイースタンリーグ遠征 あったじゃないですかジャイアンツうん うんもうあれがしんどかったですいやでも ねま申し訳ないけどこっちはちょっと防寒 者で全部あの見てましたま大学も広かった です大学もすごい中央大学やっぱひどい ですか中央大学はねすごかったですねあの 今の巨人の監督のはいはい安倍慎之助の お父さんなんかね先輩なんですけどはい はいはい先輩なんすかえこれ名前れたら 怒られるかもしれません今も怒られるかも しれませんけどあえてあげちゃいますけど スカウトの時にあの神宮球場によくし合う まトトた視察に行くとなんかこう末さんが いて中央の試合って今もよ今も末さんがい て1人なんかこう克服のいいですよねて なんかオーラあるんすよで周りに取巻きに 常に23人いてそうそうあの人は誰だ みたいなうんで新之助当時ま戦士だったん だじゃ僕はスカウトの時あれ安倍安倍安倍 の親父だって言って挨拶しましたようん そうそうそうまそこにいるからね有名人だ けどはいあのもう話飛んじゃいますけど もうどんどん飛んでもうカちゃん僕の部屋 の隣だったんですよ両で両で巨人軍両で 覚えてますか覚えてますよで俺が今何をと いうのもう分かってると思うんですけど 岡崎さんはですねあのさんが好きだったん です ねね思い出したあの喧嘩喧嘩をやめてうん っていう曲があってそうそうあれあれ大 ヒットしたでしょ俺の頭の中でもヒットし たよそうだってさだっ てあれあの隣であの何音楽書けるでしょね かけたでしょあれ何回かけたと思うあん時 ねあの時てっていうの初めて買ったんすよ ああそうだろうな嬉しくてあのなんか あんまりでっかいこうステレオじゃない ですよあのなんかなんかこうステレオて あるじゃないかああれ当時レコードですか ねあれレコードいどCDだいやとにかくさ 朝起きたらまずそれで目覚めるんだよね 喧嘩おやめてってそれでほらま俺も嫌い じゃないから最初良かったであれなんか あれ終わるでしょ曲がもう 喧嘩をやめてってリピートリピート リピートですよでそれがさなん回まず朝 10回ぐらいじゃない10回はいや10回 いやだって多分練習行く用意った時もあれ かかってくずっとそうだっけでね俺も準備 して食事したりとかだからまあいいなと 思ってであれからね夜も喧嘩をやめてなん ですよそれでねもうちょっとイライラして きてそれでね隣りこんできたよねった でしょ隣りこんで来られたで一応クレム つけてしたらもうなんのその罪悪感もな いって言罪悪感ないったら嫌がらせでやっ てれるわけじゃないあもあ嫌がらせであれ いいやいやいやそれであすいませんって 言われてで収まったのそしたらさまたばし たらさ喧嘩をやめてて始まっ てでねもうその時も言っただけどあこれ 無理だなと思ってそれでねまそれはいくら なんでもそんな5日も6日もやってるわけ なくて収まったよそりは涙が出てきたね ところがさ今度俺がねうん夜中シーンとし て布団に入るとさ俺の頭の中でさ喧嘩を やめてってけてない でしょいや僕本当不思議なのはなんで高坂 さんと大塚さんは野球選手になったんだろ うと思うぐらいうんその野球選手らしから の頭脳を持ってるそんなことはない いやいやいやあの僕らは社会人であり ながら野球部の延長みたいで野球選手とし て来てるだけで社会人じゃないですよ絶対 野球選手でどっちか言ったら実社会に出 たら通用しないと思うんですよねほぼほぼ ま何人か立派な人いるかもしれないけどで も高坂さんと大塚さんはやっぱり大塚さも やっぱ社会人から入ってるじゃないですか うんうんうんでこの2人はなんで野球とか やってんだろうと思うぐらい頭の明積じゃ ないですかそんなこといやいやいやいや いやいやそうかなだから記憶力がやっぱ すごいですよねうんいや記憶力本当すごい と思う高坂さん勉強できたんでしょだって 勉強はそうでもないですよいや絶対勉強 できたと思う本当に焼ばっかりやってた からねいやそそんなそんなびっくりす そんなこと急にいやいやいやいや川越工業 ってどんな高校なんすかいやあの川越の 工業高校なです けどま俺たちがねちょっと入った頃に甲子 園に2回目の甲子園に出てベスト4まで 買ったっていうのがそれでちょっと 盛り上がってねでみんなこう出てるんだ2 回出てるのね高坂さん公2回出てあ俺は1 年生の時だからま俺3年生に出てるだ俺 たちは出られなかったけどうんあのその 当時はやっぱりあの辺の埼玉ではあのま 県立高校の中では甲子園にも行ってるしま 強い部類の高校だったでそこでやりたくて 野球がで行ったわけですよねで中央大学 ってはじゃあどうやって入っ中央大学って やっぱり競合じゃないですか等々の中大学 スカウトされたんすかそうじゃなくて俺 セレクションにも行ってなくてそれでま 大学に行きたいなとは思ったのねでもう セレクションが終わってから2ヶ月ぐらい してやっぱり大学でやりたい野球をやり 野球をやりたいていうこと野球やりたい やりたいでその時に あのプロにも行った先輩がいたんですよ もうずっと古い先輩で森田さんっていう もう亡くなっちゃったんですけどはいで そこの先輩が中央大学出身でへえで中央で やるかって大学でやりたいんですけど言っ たらいやでもセレクション終わっちゃった んだよなて言われてで頼み込んでくれて 当時のま宮宮さんね中央あさん有名な監督 で特別なんか特別セレクションみたいなの を10月頃にうんわざわざやってくれてで そこに行ってねそれでま合否は分から なかったんだけどもで一応あのまだ分から ないのでちゃん受験勉強してんだったら ちゃんと続けてくださいって言われてで あのなんかそうね受験の季節の1ヶ月 ぐらい前に野球のセレクションの合否が 合格できたわけですへえまさかねと思って セレクションの合格って何人ぐらいでな とるんですかもちろんだからあの獲得枠 うん拡大獲得枠大体甲子園選手ですよはい はいはいだから少なかったと思うけどまあ 中央って当時どのぐらいだったかな10人 とか123人とかだったかな10人11人 とかそれに入ったってことですかいやそれ 以外にも枠があったのかなそよくわかん なくてでとにかく合格だっていうことで それで まで来る来るなら入学すんならま試験を 受けてっていう話になってでま入ったと いうことでただやっぱり野球の評価が 高かったらしいですよここ出る時にこう 例えば社会人とか他の大学とかからうん うんこう誘いとかいうのはなかったんです かいや社会人はね俺は分かんなかった なかったなと思いますでというか進学して なか野球やりたい大学野球をやりたかった やっぱりね大学生に本当はさ6大学でやり たいさ話あったでしょはいはいはいはいだ 僕は俺はないからだけどま基本的にはあの 神宮の森で野球やりたいっていうのある わけですよあーでもまあで一般入手で慶王 とかわとか行きゃよかったじゃないですか それは無謀だったないやでも俺高坂さん頭 いいから絶対いけると思うわけだけどな いやでもね あのやっぱりそこを憧れるわけよねあの 神宮の森っていうの早計を憧れましたよ僕 もうんでもやっぱそれは高値の花だったよ ああそれはまあいくらなんでもなんで植田 風と大森がやってんだと思っずっと思って ましたけどね京王ボイだからねはいうん ありえないでしょやっぱあるでしょそう いうのって京王だバスラでやりたいそっ から来るとやっぱりどうして田のこう爪 入りもすごいかっこいいじゃないですか うんそうそうそうそういうのはねあってね ああだからそれそれはどうしてもなんか 進学してあそこで野球をぜひやりたいと 思ったけどうんうんま無名ちゃ無名だった からねうんで結果中央大学に入る入るうん 中央大学の時はでもこう成績を見たら すごいじゃないですかその勝ったみたいな 感じでもねやっぱりいやもちろんみんな すごいからプライ入るんですけどそうあの ただ1年生の時はねあのま本がしって言っ てまメインの選手うんの合宿に入らないと つまりレギュラーにはなれないというか ユニフォーム来てる人が思けですよでそこ にも入れないで俺は埼玉の実家から通って ただってそれ1年でしょ1年生そ1年生 からなかなか難しいんじゃないいやいや その時には今ヤクルトであのGMしてる 小川純司あ小川さんはい彼はもう七野で 前年夕食投手でしょ甲子園のはいはいそれ でそのまま彼はも1年からレギュラーあ1 年間レギュラーレギュラーですよ ピッチャーやったんだけどすぐもうヤシに 転してってはいはいであとはまあまだ阪神 でスカウトやってるけどあの新人を取った クマのジャイアンツに来たジャイアンツ来 たオリックスから来た左たのはいはいはい はい知ってますよもちろん一緒にやってる 彼は俺同級生でやっぱり熊野さんも中 キャプテンキャプテン ああだから彼らはもうその合宿に入って いや熊野さんとおばさんはもうレギュラー で1年からレギュラそうだからそういう とこに行って俺なんか合宿に入れず家から 通ったんだけどま先輩も怖いし1年生何も やらしてくれないからうんからあの行か なくてね行かなくて100人ぐらいいるん ですか1年生いやいやいやそんなにないと 思うんなんでそ入りたいって言ったら 入れるんですか中央大学の野球ってあいた よそういう人はだけどやっぱりみんな来 なくなっちゃうしま俺もそうだったそうだ もほとんどうんだんだん行かなくなってで も1年生の時にもう野球はもいやもう続か ないなと思ってたねああで全然うんも行か なくなりそうな感じでだからお前あの 真面目に来いよって言われるんだけど みんな行かないよそうするともう切り捨て だねでそのもうただのただのた学校学生に なって野球は終わりって自然とフェイド アウト高坂さんちょイメージが分からない んだよね高坂さんどういう人か未だに僕は はっきりわからないですけどじゃ今日 はっきりさせようかいやそうそういう感じ の人じゃないなと思ってずっと真面目に コツコツやってきたのかなっていや コツコツラッキーていうかねさっき言った わけそなんか色々人のご縁とかねはいはい はいたまたまてやつだろうなまあでもそれ がそれの連続ですよね人生はでもうんかも しれないそううんだと思うだからそれはま 良かったなっていうことなんだけどはい 本当になんかあの面白いんだから2年生の えオープン戦の頃にたまたまそ2年うん 行ってみようか行ってみようか練習にじゃ 1年ほぼ練習行かなかったんですか だんだん行かなくなってへえだってつまん ないんだよなつまん つまんないしねだからたまたま行ってでね 我々通い組ってのはねそのグランドの前の ものとこまで行くでしょそこまでやめよう かやめようかと思ってるわけ今日練習 やめようかグラグランドのうんやめようか やめようかと思ってでどうするって言うと やめようかって言うとそこ通りすぎんだよ グランド行かないでででぐーっと回って 帰る帰っちゃうのねそれがそういうこと 多かったでたまたまそん時まあの門の ところで先輩ににあっちゃったんだようん およう来たなっていう話になってようく来 たなうん怒られないですか怒られなかった へえでももう帰れないじゃんうんで一応 練習出てグランドセビしていろんなうん 雑用してま練習中は何もしないよね たまたまその日あの宮監督が来たのは ちょっと時間が遅かったんねうんそしたら もうピッチャーが投げてないっていうので 監督怒っわけですよなんで投げてないんだ たもう主力は終わってます練習がはいはい はい主力はもう終わってますと終わっうん もう投げて終わってるうんて言ったらそれ 通用しなかったねその愛監督ってそういう 監督なんですかやぱいや怖いていうかも名 でもうへえで送り出してうんで結局先輩 たちブルペン担当の先輩たちが頭蓋して うんおい誰か投げろて話誰でもいいから 投げろ誰でもいいから投げろ もう3年生とフーっと逃げちゃってうん俺 たちはもう関係ないよねもそうブルペン なんか入れないからうんうんところがそこ でさお前とお前とお前なんてで4人ぐらい 指名されて投げさせられたうちに俺が1人 入ってたうんあでまあまあいわゆるエース ブルペンかなんかでそこで投げろて始まっ てうんうんうんうんでこう投げたわけね 投げたででその時の先輩っていう キャッチャーのねうん先輩が安倍さんて言 言ってあ新之介新之助の親父さんいくつ上 なんすか2つ上じゃあ4年生だそう安倍 さんはあの奈良の高校出身ではいカさんと 掛さんと同じですね3番4番おったそう いうまキャッチャーでねはいうんうんで俺 の弾を取ってでもあもういいよすぐ終わっ ちゃったんでであ終わった良かったよかっ たドキドキしたみたいなうんうんところが ねお前ちょっと1箇所バティやるから投げ てみろて言われてうんで投げたねでその時 にまちょっといピチしちゃったんです 押さえ込んじゃった押さえ込んじゃった 休み型だから休み型うん旗軽いわけ休み型 ってよく聞くんですけどピッチャーの人に うんあとダメね休み型の時はバンって行く んです肩軽いとねやっぱ軽すぎる時もある けどまたたまたまもうもう投げたくて うずうずしたのもあったけどで押さえてそ したらうんはいもうすぐその明日から合宿 入れって言われて監督にえっとマネジャー にねへえで入そんなことがあるんだそう それで入ってすぐリグ戦じゃんうんで リーグ戦で春のうん春のリーグ戦でま違う ピッチャー先発したんだけどね打たれてで 俺が俺もちょっと投げてで負けてで次の 試合お前先発だぞ2戦目そう2戦目えに 相手はどこすか相手はアジアアジアま強い んでしょアジアそうあいでお前先発だぞて あの正解し1時間ぐらい前え俺みたいな それでポポと投げてして7回までノヒで うんで交代でノヒで交代ノヒで交代でで その試合買ってうんで休み方だけど勝った バリバリね痛いですよねあうんまあ勝った の力も弱かったけどで次の日になったら 今日それで一緒いっぱいになったわけです 一緒いっぱいになった3戦目そうそれで 今日誰が投げんのかななんうんま定した みたて言ったらまた1時間ぐらい前お前 今日もお前だぞって言われてまた俺そんな のがあるんだそうそ連投それで今度関東し て2点4対2かなんかで関東して買って東 でうん関東してに勝ち点取ったわけねで それからすげえなまあま新しかったけどさ でも3戦目が1戦目負けたんでしょで2戦 目7回で高坂さん下ろしたのは3戦目にも うと思って下ろしたんでしょうねノー ヒットで下ろしたってあそういうことだね そうまちょっと点入った大量点入って多分 そうでしょうねだから7回で下ろして次の 日に備えたんですようねそううんま夢中 だったからさうんそううんあのそれはそれ でもうで3000目関東関東しちゃったん だねへえなんかそのうんやっぱそこは エースですかいやエースにはなれなかった ねま他もやっぱりいピっちゃいてうんまあ 優勝もできなかったけどう常にま2位3位 4位とかって言ってで4年の時に優勝うん してねまその辺からあのちょっとこう野球 に色気を出てきたからなちょっと無視し たらプロに行けるかななんて思ったら4年 時ですいやだって全日本にも選ばれてうん そうそれはもう大学の全日本に選ばれてる メンバーって当然ドラフト候補でしょ4年 生はねいやだからまあ今その同期はま さっき言ったねヤクルトの重の川もいる けどあの今阪神の さうんがまあバダのね4番でそこまでは たまたまですねうんそうだねたまたま先輩 が門にいてたまたまグランド入って たまたま見合監督が遅に来てそうそうそう そうたまたまブルペン誰もいなくてそう たまたまお前投げろて言われてたまたま いいピッチングしたらたまたまシート待て の抑えて結局さ岡崎香残ったね結局さ僕も ねたまたまですよ本当たまたま 運が良かったっていうか僕も5年目に病気 したじゃないですかあれでもう普通は 終わるんですよね1年間だって練習生に なったからも終わりですよでもねあれは 本当まこういう表現良くないかもしんない けど良かったんじゃない僕病気する前高坂 さんね70kmぐらいし体重うんで肺の 病気したでしょで肺の病気って食事制限が ないんですよとにかく栄養取れあで ガンガン食べてあれ1月で入院したのが 23東京に帰ったのが4月の終わりで3 ヶ月半ぐらいでうん88kmになったんす よなんか覚えてるこんな18kg増えた 帰ってきた時にうんもうブブでうんそう そうそうそうこれでもう練習もしちゃいけ ないって日に当たっちゃいけないとか言わ れるんですからあそううんでもさ俺申し訳 ないけど戻ってきた時にこれ戻んないん じゃないのってまずそのね体調にそれから 野球じゃんうんいや野球だから練習でき なかったですだからままあ1年間俺 はっきり言って これからどうにもならんだろうと思った いやならないと思自分もならないと思いだ からこの1年間まジャンズ契約してるから 秋ぐらいまでまお茶に動すっていうか練習 の手伝して首になるんだろうなと思そう なんかそう何もしない岡崎変るを見てたよ 俺何もしないいや何にもしないというか しっちゃいけないって言われててグランド に来たね三井さんと一緒に玉拾い指定外野 で三井さんもそんな年だったんですよ三井 さんが多分僕より1年先輩でミさんも多分 その年やめてると思うんですけどそううん 一緒に玉披露して滝宮さんに草むししろっ て言われてこうブルペンの草むししたりし てうん稲垣って覚えてますよ稲覚えてるよ あいつが残留で特立するんすよそれの 玉拾いしてるんです僕屈辱的だったですね あた稲ねま稲きがっていうんじゃなくて その2軍の自分より全然年下の人間の玉広 しかできないでもさそこからね本当にもう よく復活したっていうかさいやでもね坂 さん僕そん時思ったのがが70kmで毎日 それまで4年目までトレーニングとかあの 橋川コーチでガンガンやらされてベンチ プレス85kmしか上がらなかったんです よで何もしないで体重が18km増えた だけであの室内はいいって言われて上上に こう遊びながらやってたらベンチプレス 115kmバンって上がったんですよおお 体重なんだと思ったパワーってああって ほとバッティング練習9月になってして いってたボコボコ飛ぶんすよ何も練習して ないのにだからこれパワーだなそれ自分で 実感しちゃったわけねはいだスピードは もちろん落ちてますよた守備なんかはでき ないですけどバッティングだけは飛ぶよう になってあこれ体重このまま落ちないで あのスピードを身につけたらそうそういい なでも俺首なんだろうなと思ってました9 月になったら2軍の試合はあの練習生も 出れるんですようんうんそれであそうだっ たねイースタンリーグ残り10試合ぐらい で当時国松さんが監督で須藤さんがん うんうんでお前このままやったら首だなて 言ってはいってじゃあもうあと10試合 お前出てうんあのドクターはダめて言われ てんですん死ぬってドクターにはストップ かかってんです太陽に当たって肺の病気だ からま結かですから要は昔で言えばねだ から死ぬって言われてるんですよだお前こ 10試合やって死ぬかで死なないで安全に 置いた帰ってもお前はあの野球なかったら も死んだも同然だろうってやれって言われ てやれとは言わなかったやるかって言われ てやりますって言ったのかなそしたら須藤 さんがその日に玉があのライトの横にこう 内野だけの人工書のドあった知ってます あそこでノックをしてくれたんですよ 初めてその年の初めてノックなんか全然 受けてもないうん僕は10級 ぐらい打ってくれたんですよマンツーマン でうんもうね未だにあの光景は自分でも 忘れないですけどねうんもうとにかく息が 上がってハーハーなってるんだけど苦しい んだけど嬉しくてへえボロボロ涙流して ボロボロ涙流してずrather受けて 須藤さんも泣いてましたよなんかすごい 臭い物語なんですけど昭和のねそれであの 10試合出ろて言われてその10試合で僕 4割ぐらい出てホムラ4本打ったんですよ うんおおそれでなんとか次の年も契約して くれる残してくれたんですで問のキャンプ 行きましたトキャンプ行ってないですか 行ってないってない俺ってやってたねそれ でその秋にトイキャンプに木戸さんがつ あれはバッテリーのあれヤシも行ったの いやいやバッテリーのキャンプなんですよ だよねで特別僕だけ須藤さんが栗松さんが 言ってくれたのかわかんない僕だけ岡本孝 さんとか水野とか中島さんとかと一緒にト にキャンプ2週間おおあの入れてくれて 12月ねもうそこでもうもう死物ぐいで 練習しましたあそう俺知知らなかったあれ もうすごかった山登とか海岸とかあそう もう大変だったけどもう野球もう1年でき るって言われてもう1年契約してるくれる ことになって嬉しくて結だあそこの僕の5 年目の秋ってのところ9月9月10月11 月のあの時期が僕のターニングポイント ですよね秋人生そ知らなかったな次の年か なオープン戦で1軍行ったでしょで大分で ホームラったそうホーラったんですでしょ であれ俺あの時俺は先のりスコアラーに なってスコアラーだであの九州回ってたの そしたら巨人とオプ巨人がオープン戦やっ てるっていうんでチームに行ったんですよ うんしたらかうちゃんはがいたのねチーム にそれでその試合をうんま我我々は球団の 偵察だからでそれを横目に見て俺忘れもし ない大分球場でうんうん次のほら場所に 行かなきゃいけないんででこう行こうと 思ったらねあれ2アウトだったよねもうツ アウトです9から2アウトですでしょで ここで球場ね後にしようと思った時にパッ て見たらさかほちゃん代打だからさうん出 てきてでこう見た時にさ打ったのよ忘れ まししねダイトにフォクボールそうそれて ねうんその時にカルがね打ったよって話を してたみんなで誰かがねジャイアンツでは ね故郷に認識を飾った人間は体制しないん だよってうんいうこと言った人がいたら 話してうんうんカがホームラ打ったようん うんうん体制しなかったじゃ体制しない いやいや体制したんだよいやだから体制し ない体制しないんだよってそういうのが あってねでねよくね人の試合なんかでも こう行くじゃん自分の地元にうん地元に そこで打った人がいると必ずそうそういう 憎まれ口を叩く人がいたのえそうなんだで それはなんか覚えててうんカルが打ったの 見てでも良かったなってあんだけ病気で 苦しんできた一軍でそれ俺その後ねうん 忘れてると思うけど聞いたことあるんだよ あのホームランすごかったねって話を東京 に帰ってきてカルちゃんはさもう インサイドんだけどもう振り出しから つまるつまるつまるって振ってたって言っ たのああつまるつまるつまるつまるつま るって言って窮屈に行ってそれで持って パーンて振り抜いたら入ったって言ってた のねうんうんうんうんでもさそれはさ後の さカのバッティング見てるとやっぱりまあ ねあの巨人軍の予番を打っただけの バッターだなっていうそのあのあの技術の 高さインサイドの打ち方まアウトコースは さまたそのさっきのアウトコースのあの うんアウトコースをその拾って打つって いうま技術もあるかもしれないけどそれが だんだんさわあのその後活躍する時にさ 大体要所で打ってる時は難しい球をさ 打ち返してかあのチャンスに強いのがあっ てさ俺なんかねそれが印象残ってるつまる つまるつまるつま るって振り出してってもうスロー モーションのようにつまらつまらつまると 思って振ったんですよって言ったのうんだ やっぱそのね形がねその後のね活躍で見る とさまあれ多分岡崎変のま技術テクニック だと思うしうんそれでその後もう さまもうね主力選手として活躍したけど いやでもあのオープン戦もホブラン結局 通算4本打ってオープン戦対象かなんか もらったんですよねそれで分だからそれ だっねそれからだよねあでも僕ね本当に そん時も思ったんですけどあのホームラン だけ は誰かがうしてくれたんだと思ったんです 自分の力あって自分がうんが打ったんじゃ ないっていうなんかそんなあのホムラだけ はですよ他のは全部自分で打ってるんです けどあれだけはなんか誰かが誰かと周りの 人うんうんがこう打たしてくれたうんだ なってなんとなく思ったですうんあれは すごくね俺もよく覚えてますねそんなこと をいやあれはね僕のこと好きでしょうん 大好きですていうか僕アメリカに行ったの も高坂さんのおかげなんですよ僕あの ジャイアンツを引退して9年間まマスコミ の仕事をしてる時にうんま野が行き一郎が 行き松井がアメリカにき俺もちょっと アメリカの野球本場の野球見てみたいなっ ていう気になってうんうん純粋にでもま 選手しはもも当然いけないからまコーチの 真事みたいな形で入れてくれないかなって 1番最初に坂さんに相談したんですよそう だったそしたらあのよしわかったちょっと 待っとけっていう言ってくれてまどういう その後どういう風な動きをしてくれたか わかんないけどもう1回あった時に あのヤンキースけって言われたんです よ業務提してるんでそれでヤンキースが 来年にその東京どもに来るからえっとあれ は開幕戦かなんかで来たんですよねそん時 にあのあのアフターマンとキャッシュマン に会いに行けって言われて高坂さんが繋い でくれてのおかげで僕アメリカに1年間 野球留学という形で行けたんですよだあれ 高坂さんいなかったらも行けなかったです 野球あそうなのそうですそしたらあのま後 にその帰ってきてその1年間2005年 行って帰ってきて2006年から狂人の コチにそれから10年間コチとしてできた んですけどその話も多分なかったですあだ からこうもうなんてこうめに阪さん出て くるんですよ入団も一緒だしさ確かにそう だったあ確かにま良かったねと本当今思う けどいやまさかね9年間のブランクがあっ て指導者になるべき人間がね今その時に なってうんとアメリカに行きたいでその場 に自分の身を置きたいっていうその言った でしょそういうことをそのまこれだけプロ 野球で道を極めた人がねその素直にそう いうこと言うものかっていうそれにす だからはももうこういう気持ちを持ってる 人は当然ねまジだしあそりはその知ってる ところに引くことはいくらでもしましょう ということでやったんだけど多分あの時に 一度岡崎香のえっとアメリカの高知ま留学 というかちょっと大そう立ちになっちゃ ようなことがあったんですようんそれは どういうことかって言うと結局もう球団も 業務提としてうんのあれ参加ですよねうん うんあの辺のマナのリーグに行くっていう ことでもう俺は話はできたと思ったところ がね新しく社長になったうんもいさんうん に終わり呼ばれてでそんな話あんのかって 聞かれたことがあってうんうんちょっとね なんか話がねあもいさんがなったんだそこ 2004年にその前の年に手続きする時は ドイさんだったでどさんにあって話をして ああじゃあ行ってこいって言われてそう そうそうが一応バックについてあげると こっちのそうそれがね通ってなかったあ そうなのでおさんに呼ばれてそんな話あん のかていやもう通ってるはずじゃないです かたねいやそれがおかしいな話になって ヤンキースから言ってきてうんうん ちょっと俺知らないって話になってうん うんいやいや大丈夫ま全然心配なかっただ それはちょっと確認していただければ知ら なかったうんでも俺びっくりしたようん 社長がさどうなってんのって言われてうん えと思ってで立ちゲになるかなと思った ぐらい心配したうんけどうんまあの ちゃんと話はあってねうんでそれでまあの 話は進んでいっただけどでも時は結構活発 にお互いにスカウト派遣するようなこと もくやようなっ僕の後五まで行ったりね 大道も行ったかなちょっとなんかそうそう でもねその中にはあの名前は言えないけど いやアメリカなんか行けませんっていう人 もいたんですよ実はうんアメリカなんかし その自信がないと向この生活があの確かに ハードですよ僕も初めてストレスっていう ものを感じてまもちろん英語もそんなに できるわけじゃないしそうでしょ あの通訳もキャンプの時だけ通訳も高坂 さんに紹介してもらってね通訳いないんだ よねてっ今ジャイアンツに入ってるじゃ ないあいつ佐藤佐藤ねがあのボストンか どっかの大学の学生でねタパに来てくれて でそれも高坂さんが紹介してくれでも結局 スペイン語で良かったんだよねいやいや 両方いや両方ですよでもなんかやっぱり スペイン語の選手が多くてあんまりあの マイナーはそうマイナーはそうだったです だからメジャーはやっぱ英語だけど マイナーはやっぱスパニッシュが多くて 中南米が多くてあのもう頭くりそうだった ですよで1人ぼっちだし英語もスペイン語 もできないしうんそうねで井原さん当時 国際部長だった今NPBにうん原さん井原 さんが成田空港に僕は出発する日に来て くれてうんあのお見送りにびっくりしまし たなんで知ってんのかなと思ってたそし たらあの変換する事書あるじゃないですか 日本語うんうんうんそれをこう電子手帳 みたいなやつをプレゼントしてくれておお ま大変だろうけどこれでこう日本語入れ たら英語がこう変換捨てれるからすビュっ と声が出るんですよそっからおおなんとか 英語がビュってそそれを勉強しなさいって 言って未だに持ってますよなるほど原さん ですよ国際部長当時だからね結局あそこで 岡崎香が海を渡りたいって言ったことに よってその ものは全部変わってったわけですよ交流を するでもでなんかヤンキーズの方はその なんて言うのかなそういう交流っていうの よくやってたという話を聞いたけどもねま ジャイアンツがうんあそこで本当岡崎カが 戦者になって初めてやったアクションだと 俺は思ってるしうんうんまでも僕のさやか な自慢はまエロットとジータにノックした 日本人は俺ぐらいだろうってあそうなん ずっと思ってましたキャンプの時は メジャーだったんでああそかさうん フロリダジアンビうん短波ですねあタか うんジアンビとかにもノックしてま自体に ノックした日本人俺ぐらいかなとか言って ねそれはなんかさやかな自信というか自信 って言ったらおかしいけどなんか心の支え てそういうもんて人間ってあるじゃない ですかうんだからなんかそういうさやかな こういやいやい俺あいつにBP投げた俺 ぐらいだままそう だでもそれは思い出あの頃のヤンキメバ だってすごかったんすもんだたなんか当時 の方いやシェフィールドもいるしバーニー もいるしポサーダでしょキャッチャー松井 はす松井いましたよたいたんだよ松井い ましたよ松どうだったですか高坂さんどう 高坂さんてどう高坂さんってあれでしょ あのなんだっけやめてからまずさ言われた スコアラーをしてバッティングピッチャー を1年やってでバッティングピッチャーし ました1年でやりながらチーム好きの スコアラーそれが次の年から先のりスコラ スコアラやってでなかったですね候補って イメージしかないですよ僕そう候補はね 結局都合通算で1013年と12年の時 やってねで編成やったでしょうんあと ファンサービスので最後ファンサービス でしょファンサービス部長たですもんねで またまたまたプロ最後編成なったプロも2 回戻ってんだけどまいろんなことやったん けどねまいろんな仕事がやってま色々 それぞれに難しいでしょうけど正直どれが 一番面白かったですか面白いって言ったら やる時にはもうやでやでしょうがなくて 早くやめたかったのは候補だったけどだっ て人相手にするじゃんああでやっぱりね スポーツメディアでしょ候ってでも選手と 現場とメディアを繋ぐなか1番大事なとこ ですよねプうんだから人言言てま人なので すごいデリケートでうんうんそれで当時 当時っておかしいけどもジャイアンツは やっぱりこう注目のマトだったじゃない ですか資材対象者がたくさんいて今でも そうなんでしょうけどうんやっぱり ジャイアンツはねあのそうとこがあったの でうんだ自分はないわけですよ自分の考え がどうっていうことはうんうんやっぱり 結果ままそうです結果がよくつなぎだから ねそういう意味ではちょっとそういう意味 ではすごくこう非常にそのストレスがたま るっていうとこであ自分を殺さなきゃいけ ないもんね自分の意見とか言場所じゃない それが大変だったけどもただやっぱりうん それがファンに対してのまマスコミはあの 掛け橋なのでそういう意味でま当時今 みたいにねSNSとかっていう世界じゃ ないからうんうんやっぱりメディアの力 っていうのはま巨人の伝統とも同じでねえ まある意味創設機はメディアがやプレアを 支えたっていうこともあるしだからそう いうことを考えるとやっぱりたくさん メディア来てもらえるけどもそれをうまく こうあの交通整理をしてしなきゃいけな いっていうことは後々になったら ものすごくやりがいがあったかなと坂さん 何年から候ですか91 からこですえじゃ僕現役だったまだ現役だ よんえ僕現役で高坂さんこだったあだから だから元木岡崎大久保の3連続ホームラン あったじゃないですかあった東京東京東京 ドームであったあったあれなんかあの どうぞ91年からそうだよ生息にクソが つくぐらいの時代ですね僕あのねなんで笑 あのねじゃねえよって今言えば修行素 みたいな人だったんだよねなんか何が そんなに面白くないのかっていうかなんで なんでそんなことないじゃん僕うん修行素 面白くないうんだからあん時デブが入って きてあデーブが入ってきたああいう キャラクターいるわけじゃあそすとねでも みんなデーブのキャラクターだったらどう なると思うチームってうんだから良かった んだけどまその1番端っこにいたのがうん やっぱり1番そのなんだろうんああああの バーフィールドっていう選手いたでしょ うんジェシバフィルドねあいつにもね言わ れたうん俺1回ねオサのオサのイタリア イタリアンでたまたま王さんとかよく行く 店有名なお店があるんですリピアットって いうね美味しいそこでご飯食べてたらバー フィルドがいた多分王さんと一緒にいたの かおさん出てきたのかなおベースマンって 言われたんです僕ベースマンベースマンで なんかブンブンベースブンブンブブブンて た物静かだだ俺お前にだけは言われたく ねえよと思ってバーフィールドも物静か だったでしょヤンキース番売った男だけど 決してこうなんてクロマティみたいな タイプじゃなかったあジェシでもなんか フランクだっただよあそうバズにオベース マンって言われたえ僕そんなあのあの暗い 感じだったうん暗いもうねそうそれを先に 言うの忘れてたあのねその喧嘩をやめての 話とはあのことなんだけどうんだって暗い の人が喧嘩をやめてずっと聞かないじゃん あねでもね先輩に対してももうなんか へこへこすることへこへこすることなくな ないしで先輩にはへこへこしてますよ ずっと坂さんに僕へしししでなんかねあで も上下関係はちゃんとしてますよいやそれ はしてただけどなんかこう可愛いっていう とこないのよああおおお可愛いなっていう とこあでもね先輩から意外と可愛がれたと 思ううんだからきちっとしてるからああだ けどなんか雰囲気がうんなんかそのうんあ 可愛さ若い人の後輩の可愛さとかってそれ 出さないのあ出さない俺原さんによく言え た原さんに本当変がってもらっていろんな とこ飯食い連れて行ってくれたけどおカ お前もうちょっとうまそうに飯食えよって もう毎回言わそうそうなそうそうその通 お前もうちょっとうまそうに食えよって 言われあのもうさっきも言ったけどね何が そんなに気に食わないんだって聞いちゃう ぐらいえそんなことないんすよあのね なんかその頃当時のねなんかシーズの 打ち上げかなんかやってた時にみんな すごく盛り上がって楽しいんだようんうん でずっといるんだよカはうんうんでなんか 俺そのえあの宴の中でうんうんやっぱり 楽しい雰囲気だから話しかけてもうんうん うんうんでもね ブスっとしてるわけ僕ねこうやってね周り を俯瞰して見てるんすよバカじゃねえのと 思いながらそうちょ白けた感じがあったね そうそうあ酒飲めない酒飲めなかった酒 飲めないからそうだから俺そう思ったから 飲めないからしょうがないなと思ったんだ けどただやっぱりねそう印象はすごくあっ てうんうんつまんないわけでもなんでも ないんですようん誤解されやすい誤解され やすいってまそうなだあ解するだ全部僕は 悪いねもうちょっと酒飲まなくても一緒に なって楽しでやればよかったねうんだから それはいいんだけどさ完成ですよねあの うんそれはあだからさやっぱり人には印象 があるからさああだからこういう風に 話せる人俺はよく知ってるけどもっと出し た方がいいんですよ今までさ1番飲酒残っ てる試合ってあります近鉄巨人ああうんね MVMVP取ったでしょちゃうちゃあれは コマダですあコマダで最後逆転されたん です 6戦までは俺が候補だったんだけどあの試 ではあの試合はやっぱりビッグゲームだっ たけどあその俺はあの先乗りスコアラだっ たんですよスコアラで89年ですもんね年 じゃなかったま3連敗4連勝でま俺はあの 若手のスコーラーだったんだけど オリックスと西武と近鉄密度思えなんです よで3チームどこが来るかわかんないんだ けどそうそうそうえっと最初西武が優勝 っていう感じだったそうそうの次は オリックスじゃないかそうそう最終的に 近鉄減収したのでその3チームを殺するの がスコアラ3人しかあ2人しかいなかった へえ2人しか2人で3チーム見んのそうで 平沢さんって先輩すこあね沢さんで2人で で平沢さんが西武とま主にオリックスで俺 が主にオリックス近鉄だとあじゃ近鉄みて の高坂さんだだけだったのよあそれで最後 の最後に近鉄勝ブライアントのほら西武 球場のレパスダレパス買ったねうんうん あれでもう大騒ぎで近鉄重賞してでだ伊沢 さんは近鉄見てねえって話で俺1人見てね オリックスか西武も見たけど近鉄かって なったんだけどいや終わってみたらさもう 少し見たいなて思って終わっちゃったわけ うんうんうんだからはっきり言って ちょっともう少し見ないと完結しないなっ ていう感じだったのですごい不安があった んですようんうんそれ で3連敗じゃ最初3連敗うんうんで3連敗 した時に新聞に出たのがデータの詰め込み すぎだって出たわけうんああ違う違う違う データーの詰め込みデータなかった足ん ないんだよまだ見たいんだよ足ああその 三本だ三友だったからうんうんうんで新聞 にそう出てで俺はもう いえ詰め込みすぎじゃないっていうどこ からそうなったかわかんないけどうん ところがさねもう頑張って皆さん頑張って だからそういう意味ではなんかあのうん ちょっとこう不思議 なその経験をしてねだからす責任感もあっ たしうんただすごい戦いだったじゃない あれはね僕も野球人生の中でねどの試合 って言われたらあの7試合ですねでしょ うん1試合じゃなくてあの日本シーズンの 7試合でま勝ち方も勝ち方だったけどあの のシリーズの中にはいろんなドロがあった じゃないですか今も語り継がれるねうそれ はやっぱりねまたえ裏方だったけど俺は あのそこにこう端っこにいただけでもねま 選手たちのね引きここもも全部見てるし うんで最終的にああいう形で勝ったって いうのはねもうそれはものすごい思い出に 残ってるしうんもうね藤田さんがさ あの日本一になって決まってさ帰りのバス の中でさお前ら今日は生きて帰ってこい よって言って言ったでしょうんうん言った 言ったあれ藤寺から竹園まで結構距離が あるんですよバねあのシリーズに積み込ま れたものがなんかうんジャイアンツなんだ なっていうかなで時もなんかバブルの時代 であいい時あのあの僕ねその銀座のパレー ドドっていうのは34回多分経験してる けどあのパレードは異様だったですようん 日本テレビまでまだうんがある時に銀座 から出てため池三のの方回って工町まで 行ってもうすごかった人がすごいであの今 みたいにバスじゃなくてオープンカーだ からもここまで人が来るわけですよもう 帽子なんか全部取られちゃってユニオンも 引きちぎられちゃってっていうな勢いで そうそうそうそういやでもあれはあの時代 はすごかったうんうもう来ないすねあ時代 はま本当そのその時いられて幸せだよ昭和 から平成和って大阪さん野球見てきてはい こうなんかこう変化みたいなもん感じます か野球選手のうーんまあまあ様々じゃない ですかよく技術上がってるけど精神力弱く なってんじゃないかとかいう人もいるじゃ ないですか時々うんうんうんどういう風に 思いますあの抽象的な言い方例えばそ今 言ったうん その精神力がとかねうんうんま昔よく 気合いだとかてうんうんでそういうもので 補ってかんいくっていうことがなかなか できなくなってくる時代あとはそのだから あとはねそのうん能力を数値化したりとか まそれはすごく抽象的なことじゃなくても うんはっきりしてるでしょでもうそれに 全部切り替わってる数値出ますもんねそう あのもうスマホとスマホがあるのと同じ そうなもうこういう便でもができてだから もう世の中があのすごくこう合理的でうん えあの分かりやすいに走僕でもなんか思う とちょっと言葉がいいか悪いかわかんない けどちょっとゲーム感覚になりすぎてて そうそうそうなんかもうちょっと人間身的 なあんな感じみたいながあっていいのか なってなんか全近代的なこと思うんです けど抽象的なことを抽象的に表現して人に 分かれさようとかすることはうんあの通用 しない時代ですよねそうですよねそうです よねだでも俺古い人間だから例えば根性だ とか努力だとかに行きつくと思うのよだ けどそれは表現にっちゃいけなくてそこを もっと分かりやすいようで最後戻るように に思いません思うんだよだから思うんだ けどうんまあ今僕コーチのあのクラブ チームでコーチやってるけどそういうもの に行きつくところをやっぱり分かりよいに 相手の立場に立ってやっぱり教え込んで いかないとダメじゃないですかそうすると 指導者は分かってなんぼだからうんねお前 近長なんだよなんてってダメなんだから どんなに回り道をしてもどんなに大変でも 分からなかったらで勉強してでそこをこう まあそうだね進めてあげるっていうそう いう うん昔はありえないことうんだけどそれを やんなきゃいけない時代だからそうですね ただそれはあの本当はやんなきゃいけない んだようんでプロの世界って優れてる人間 があの勝って優れてない人間負け るっていう世界じゃないですかだ結果結果 だからしょうがないよっていうのもあるか もしれないけどだからプロはあのそういう 抽象的なこと言ったっていいと思いますよ うんだってそれ厳しいとこだもねだけど やっぱり一般的にはもうそういうのしない んでね大谷翔平が気と根性だっって言って くれないか な野球は何ですか大谷さんて大谷さん野球 の原点なんですかそれ気と根性だあって ダルビッシュ大谷翔が行ってくれたらいい のにねうんそそうだね大坂さんが候補やり 始めた時って誰がゆる看板選手だったです か91年なった時91年1年ま原さんか原 そうですよ原達典も主軸でまあとほらえ もうそれこそ玉川のうんいや僕らいやいや 僕らはいいよよいよだって駒田がさ やっぱりドラフト2でしょ高校生から来て だそれでるスターていうのは原さんまだ 時代ですね91年だいやもうそうだね スターはねうんうん原さんはどんな感じ だったですか候補の時ま小坂さん先輩だ からね言うこと聞くだろうけどねいや言う ことっていうかやっぱり彼は特別だから やっぱりその同時代のもうまあ序盤だもん ねあそうですようやっぱりまもう1人で 支えてうんね応の後ねそうですよだから もうそういう時代だだしうんただ俺がなっ た候補になった最後の年1年の時の腹立つ のりはもうちょっとこう万年だったんで 91体も悪くし万年だってねもうサード からレフトにりそうですねそうですねうん まスーパースターとしては辛い季節だ期間 だったと思うけどねうんだからうんそう いうところしかちょっとやっぱ見てない彼 が苦しんでるところしかもう僕らの暴不倫 だったすもんでしょ全部負けても原さんが 全部受け止めて僕らは後ろでていう感じ だったですもんねそうそうあのみんな悪い ものはね守ったよねそうですだからそう いう意味では今のこう例えば岡本和とは ちょっと違うんじゃないかなって感じは なんとなくしますよね当時うんうんうん うん松井とさ長嶋さんミスターが一緒に なったじゃないですか93年にミスターが 復帰した年に松井が入ってきたでしょ次 そうね春にあん時のキャンプ僕ももちろん 現選手だったけどあのひかのグランド キャンプすごかったですねあれよく候補で やれましたねあんなの取材とかすごかった でしょいやいややれましたじゃやれないよ ね何もできないいやすごかったですよね あれだって人がもうすごかったよね僕らも 動けなかったもんでもね人が多すぎて移動 がだまさんはちゃんと知ってるんだよその うんうんうんメディアのまあね もうお手もでもう島さんはちゃんと考えて やるからそんなにうんうんでもまだあの 監督担当のお松さんが次のシーズンから だったのであの秋のあたりはちょっと俺は パニックって言ってね何もできなかった けどねあん監督担当いなかったんですか秋 秋だけね長島さんが収あのドラフあの中入 してから高坂さんがやってたのうんあの秋 のキャンプとかああもうすごいあんなもう あんな人が来るになってあいやもうねあれ 疲れたな本当もうね何が起きてるかわかん なかった何者ぐらい来るんすか取材って いやだから全車プラスアルファだから全 全車でだスポーツとかラジオ毎日あるん でしょ毎日まあまあ会見がやるし長島さん 対応するしでただそそのどこでどこで話を 聞いてもらってどこで写真を撮ってもらっ てどこでインタビュー取ってもらってって いうのがま共同会見っていうま囲みとかっ て言うんだけどそういうものを設定する だけだって数が多いからそれミスターに 言うんでしょこれこう今日は何時からここ でここでここでいやいや大体事件だけ言え ばもうここで喋ればいいんだねってうん それはも全部覚えてんのミスターあ全部 覚えてるすごいねでももうそれでお松さん にバトンタッチしてから俺はもう今度暑い あああ松井松井が入ってきた今度あ今度春 春松井どうだったですかいややっぱりさ5 打席連続経営の松井だからさでドラフト1 位で長嶋さんが引いた選手でしょうん いやいやいやいやもう松井番のが当然いて で毎日話は聞きたわけでしょで松井はね まだそのなんだろうねわ若くて高校生 でしょほぼほぼそうするとあんまりその ことの重大さっていうのはなんかピント来 てなかったのかなと思うけどと思うんだ けどだけど周りがそう許してくれなくてで 1つ困ったのはねあのなんこいつどういう やつなんだと思ったのはね初日のキャンプ 終わってうん全部 あの囲みが笑ってでほら早くさあのそう いうところから解き放ってあげたくてうん うんで彼が野球に集中できる環境を作るの も候補の役目じゃまそうですねなんだけど うんそ練習終って全部終わったと思って ほっとしてたらさその記者がさ松井があの すぐそばの喫茶店で担当記者が囲んでなん 話聞いてますって言うからさうん入ってき た1年目のさ高校生がさキャンプのの初日 が終わってさ担当記者集めてお茶飲んで るってさうんないベテラン選手だってやら ないでしょないねやらないしだ俺は ちょっとマスコにやめてくれてたのそう やってもうちゃんとこち会見場を設ける からね彼ら釣れ出すのやめてくれって言っ た違うんですようんうん釣り出して僕ら そんなこともちゃんと仕切ってもらってけ いいんですけど松井さんが行きましょう みたいな言ったっちゅうわけへえ大物だな やっぱりださうんなんだこいつはとうんだ からまやっぱりちょっとマスコミがこって くるとさどうしてもその新人なんか特にね あのこう逃げる逃げるというかさ得意じゃ ないからあいつは違うんだよふでもその時 にあこれちょっと普通なんじゃねえかて いうかキった育ってやつだなと思ってだ からそういう面ではなんかその彼は スポーツメディアを理解しようとしてた プロ野球を理解しようとしてたうんもう 高校生じゃないんだっていうことからま どちらかというと高校生である環境から 早く抜け出さなきゃいけないとか抜け出し たいとかっていう次のことを見てるような そういう高校生で若者だっただそこはねあ こいつはやっぱりあのなんて言うのかな変 な表現かもしれないけどこ現代的モダと いうか石川県なのにねそれはいや言い方 おかしいけど東京とかこ都子じゃない じゃん田舎じゃどっちか言ったらねだから 非常にそういう面では うん向上心というかそう何か新しい自分の 人生のステージに来て あの大きくなりたいいやだからプロに入っ て何年か経って力をつけて4番に君臨して やっぱりこのジャンスの予盤としてあの マスコみっていうかそういう風にしなきゃ いけないっていう風に後から思い始めん なら分かるけどまだプロになって1ビップ もヒット打てない時からそういう気持ちが あるてやっぱううんすねあの自覚があった んだかどうかわかんないんだ けどなんて言うのかなうんさっきも言った けど向上心っていうか新しい自分を探し たいとかでやっぱり少なくとも高い目標が あったんだろうね高坂さん松井が入った時 からそれこそ松井がメジャーに行く時まで 多分1番近くにいた人だと思うんですよ 松井のま確かにね坂さんね僕も時々近くで 見たけど坂さんにだんだんだんだん松さ れるごとにま慣れがあるのかも結構名口 聞いたりとかしてたじゃないですかだから そういう意味ではま数少ない心を許してる 人だと思うんですよね高坂さんが松井に とってうんそうかねその入団して引退する まで松井っって変わらなかった部分と 変わっていった部分ってあります かうんとね変わらなかったかな基本的に 変わらなかっただからさ今言ったのはうん そういう風にその常既にその次のステージ を見据えてうまくなりたいとかあこういう こと知りたいとかっていうものがあっただ けどやっぱり自分を支えてるものっていう のはもうこの硬いね意思というかさあの 気持ちがあったんですよでそれがね えっと1番はっきりしたのがねえっとね彼 は3年間経ってうんそれでまね高校生 上がりとすればま えホームランの数もね11本20本とうん 増えていったて言ったでしょで3年目 終わった時の最終戦が終わった後に ロッカールームでで高坂さんもうあれだ あのシーズンオフは1日も休まず練習する から あのマスコミからの妖精は全部断って くださいって言ってきた3年目3年目もっ てへえって言ってきたのオフ毎日練習 するってしたんだよで北のバッティング ピッチャーをとまシ契約してってたで1年 1日も休まずに練習をするって言ってやっ たでこっちはもう防波堤になってあらゆる 案件を断ったうんていうことがあったん ですよであれを行っきた時にあこいつ やっぱやっぱりたもじゃねえなと思って じゃオフのイベントとかテレビのこまどう してもねダメみたいなま多少あったんだ けどまあこっちに来たものはやりません からってことでね断ってへえそのぐらい はっきり言だから彼はまあん時まだ21歳 とかそうですよね3年目だからそ21歳の 若者がさね終わった時にねはっきりこね 候補に向かってオフは1日も休まずに 打ち込みしますんであの取材等は断って くださいってその言った行為行動うんあ 驚いたねそんなこと言うんだってだ やっぱり硬い決意とか意思とかがあるわけ ですよねで俺そん時にあやっぱりこいつは もその3年経ったってまだまだ先をね見 てるなと思ったしそん時も4番打って3ま もちろんもう2連目か3番打ってたから3 番か4番でしょうねそうそうだただ落ち さんがやっぱ入ってきたのもあって うんうんまねおちさんが34番打って うんうん3まうんだからやっぱりいろんな 人の姿を見て思うとこがあったんだろうな 最初からその高い目標っていうのは例えば メジャーとかもその時から試合に入れてた のかなうんまあ個人的にはなんかそういう ことを感じたな常に高いところ常に高いと ころっていういうことはでも常に高いとこ っていうのって言葉としてはまあなんて 言うかな すごく美しい言葉だけどある程度のとこ まで行ったら僕らはですよ凡人はその現状 でちょっと満足してちょっと一服したいて いうのがうん人情じゃないですかまあまあ まあそうだね少なくとも日本のもうトップ 10ぐらいまで来たら行ったらねちょっと いいかなみたいな感じになでも彼は付き合 1ナンバーワンでは多分納得いかない でしょうねうん突き抜けたいんでしょうね そうだね一郎とか松井とかま大谷も多分 そうなんでしょうけどもうすごいん でしょうね次から次へと自分に対する欲求 が現状に満足しないってことだろうねこれ でいいんだってのはないんだと思うね非常 に満足しないっていうのは簡単だけどそう だからそれを行動とか言動でこっち感じ ちゃったからさっきほら仕事で1番 楽しかったとこはま何がね楽しかったとか 辛かったみたいな話したけどま俺個人的に はやっぱりそのマスコミ対応ってのはね 非常にデリケートでうんあのとにかくあの 忙しいわけですよマスコミ休みないから こっちは休みあってもうんうんねだから 休めないわけですよそうですねだからそう いう意味ではすごく大変だったのねうんだ からね早くやっぱり俺は野球やってた人間 だからスコラやっててスコラも自分が 面白いと思ってやってたわけですよだけど さま人事というかそれで後方ってなっ ちゃったでしょでやっぱり嫌だったのよ 正直ってやだったもだってだった候補って でも結構僕の中ではフロントの花ですよ いや巨人の候補は現場候補はねま大変なは 分かる大変なのは分かるけどなんか フロントの花みたいな感じがあるけどない いやもうね俺はちょっとそういうのはなく てで3年ぐらいやってもうやめなんとかも もういいだろうと3年やったんだから なんか変えてもらいたいなとテビから接待 とかあるんでしょこうなんか飲み行き ましょうとか食事行きましょうとかこっち からだってありますよこっちからだって ありますありますありますぱお付き合いだ からあるうんうんだからそうまはっきり 言ってそういうことそれはもう煩わしく なってきてまめどくさくなるねあ俺は証に 合ってねえと思ったんだけどでやめたかっ たん で何何がやりたかったのじゃあフロントの 仕事いやっぱり野球に関するさ実際のほ 現場に関するスコアラーとかさちょうど スコアラーがあスコアラね7年ぐらいやっ て油が乗ってきてさ何でも分かるように なってきてこれからもうちょっとこう想像 的なことをやりたいなになったことになで もなんでさ人事移動ってあんのかなて俺 思うんだけど僕スカウト3年やらして もらったのかなって思うんだけどやっぱス カウトって仕事は長くやった方がいいん ですよ人脈的に広がってなんでさそうで ぐえそうだ不思議でしょうがなく積みさた もんがあるんだから人とこう関わる仕事 ってま候補もそうだしそうあのスクワラも そうなんだろ専門職っていうのはその なんて言うかな長くやればなるやるほど こう人脈も増えていくし自分の目も実力も 上がっていくのなんで23年で買えんのか なって俺それす不思議なんだけどねまそれ は会社の考えなのかもしれないけどま正直 言って俺はもうやめたかったんですよの さっき言った松井のねうん俺は安松練習 するからって言ったその言葉こんなねまだ ね20そこそこのね若いやつがうんそんな そこまであの腹くってやってんだっていう のすごくないよこう胸打たれて大学3年生 だもんねそうよ自分が大学3年時って思っ たらねだから俺それがあったからうん なんかじゃ俺はなんなこの親父はなんだな て自分であれだめだなこれことこんなそれ 選手がねいるんだよと思った時にちょっと 俺もうそんなにあの変なこと言ってらない でも特別ですねそんな選手1人しかい なかったでしょだでしょま心に決めた人は いたのかもしれないけどああやって はっきりメと向かってうん言え るっていうことがうんあのすごいあのすご 衝撃を受けただから俺はあれでよしじゃあ もう俺は泣き言なんか言わないでやめたい なんて言わないでやろうなる覚えてます なるほど清原入ってきた時候補だったすか もちろん清原僕と入れ替えなんですよ僕 90えっと6年あで5番があれかそうです だから6がやめて清原が入ってきたんです よああそっか清原ねああ清原どうだった ですか清原はでもすごい僕シャイな人間で うんまああのシャイでねやっぱネすごく いいやつだなって番第1印象はあったけど うんうんうんうんうんだからあとはまあな んだろう なうんその うんね放っしの強お兄ちゃんだよね彼は 自分の野球で築き上げたことを守ろうとし て頑張ってる姿勢ってのはやっぱこれも なんかこうやっぱさすだなっていうのも あったしねただうん個人的には清原和弘と いう人間がどうしてもジャイアンツに入り たいんだっていう気持ちが強くてでまうん 色々あったけどもフリーエージェントで 巨人をまたねドラフトのこともあったけど でジェントで巨人に入ってきたわけですよ でそのね巨人まそれこそジャイアンツア っていうかうんうん巨人愛がそこにあった わけじゃですま彼をそこまで駆り立てる ものは何か分からないんだけどそういう やつを大事にしてあげたいっていうのが あったジャイアンツの人間としてうんだ からまあね色々あったけどそのあとは高校 時代からこう築き上げてきたその野球 ファンがたまらない彼の魅力園活躍もそう だし分に入ってからもそうだしそういう なんか彼の行きみたいなものは俺は大事に してあげたいなとでそれはジャイアンツに 来たことによってそれが途切れたりとか あのそれがもうあの違った方向に行くこと はま少なくとも個人的にはあの守ってあげ たいうんいう気持ちがあったそういうやつ だったまはちゃめちゃのこともいっぱい やったしうんあったけどもねなんかあいつ を見てるとなんかねこうあいつのさを大事 にしたいなって気になっちゃうんだよね ああ清原って彼は素こ生きてるんですか それともやっぱり自分の見せ方みたいな ものを考えて自分をちょっとプロデュース してこう考えてああいうああいっていうか その行動的なものを含めて取ってるどっち のタイプだと思います両方だねあ両方俺 長島さんは絶対後者だと思うんですよね 自分の見せ方をつ俺最初全車だと思ってた のずっと僕とがねうんきはねなんかね結構 柔らかい頭持っててへえうんあれって なんかマスコミに対してはこう怖表な顔を してマスコミを拒絶するようなところが あるわけよねうんでも受けたいのよでも 受けたい受けたいの受けたいの無視され たくはない無視されたく寂しいんだよあ 寂しいんだで自分のコメントなんかはもう 絶妙なあのそののフレーズをさなんか ちょっと考えて自分で披露したいだから 準備してるちょっとそうあそうな俺は思っ たああああうん長嶋さんちょっとそういう とこあるじゃないかあさんあるだ俺そう いうのなくてもうベタだと思ってたの最初 俺もベタだと思ってたうんずっとだけど なんかこう付き合ってみると普なんか やっぱやっぱ関西人やなっていう ああなんかおもろないよっていうこと言い そうなやつでうんうんうんうんただどうせ 汗はちょっと言わないけどねうんうんうん でてるとこいつ一生懸命ボケを考えてるな とか思ったにあってそうでそれがさなんか あの頃って新聞に一面になっちゃったりし たじゃんまあ毎日きらだったでしょねで 最初特にうんもっと違う出来事が起きても だやっぱそういうキャラクターってうん そういないなと思ってうんうんだから俺 あの後の方は非常に興味深いうんかったし 面白いやつだなと思ったしうんうんただ まね直球だったよね最初ねうん僕やめた次 の年にキラがジャイアンツ入ってきて5番 つけてジャイアンツ球場ジシトレをジシ トレ合道ジシトレやってたんですで僕は もうやめて次の年からマスコミの仕事して たからま資材がてら見に行った時にブーっ て僕と走ってきてうんうん原が急に橋団体 からこう集団から外れてダッシュしてきた からどこ行くんだろうと思ったら僕のに来 ておお来年から背番号ご番いただきまし たっておおもうね本当びっくりしただから さびっっくりした僕はパセラには言わ なかったその言葉はパセラパセラの後ご パセラいなかったんですよもうたねパセラ パセラいなかったパセラにご番もらいます 言おうと思ったらもパセラアメリカに帰っ てたからいなかったあその話知らなかった いや本当そん時にあもうリチな人だなと 思ってうんいやもう本当頑張ってくださ いって言ったんだけどジャンでまそういう とこあるんだと思ってだそれも素なのか 作ったのかどっちなのかわかんないけど それは素だと思うなあだからやっぱり なんて言うかなやっぱああいう人っていう のはこう色々考えさせるんだよね周りに そうそうそうそうそうどっちなんだろうっ てそれが魅力なんですそうそうそうそう そうそうどっちでもいいやと思われちゃっ たって残念じゃうんその通りその通りその 通りやっぱスタースター性っていうかま もちろん実力があってのことだけどああ いうタの人っていうのはなんかやっぱり 違うんでしょうねそのオーラっていうか うんそうそうやっぱりあの人に興味深いと 思われることってすご大事な偉大なことな んだよな 特に野球選手はね今日この取材してる日に まさにマジック1なんですよジャイアンツ 今日にも決まるかも今日にも決まるこの 記念すべき日にうん後輩ですよねなんつっ ても安倍当時さんは先輩だけど安倍新之助 監督は後輩じゃないですか輩ですねすごい ですね高坂さん中央大学来てますねていう かあの仮もいるその安倍監督のお父さんが 先輩でお世話になった時はまだこのように 安倍新の好はいないんですよねまそうです ね大学生まさかさうんその先輩の息子と 一緒にね仕事をそれも巨人っていうとこで するなんてま夢にも持ってなかったんだ けどうんだからでもやっぱ安倍之ってって いうやつはね本当なんて言うのかなま野球 が本当大好きでまお父さんの影響もあるか もしれないけどでも俺と年が離れすぎてる のでうんもうなんかそのうんあんまりこう あのこちらが話しかけるのもなんかこう年 が離すぎてなんかあんまりなかったんだよ ねうんだからこっちとすればもう心配で しかなくてうんでそれがいきなり巨人に 入ってきてえキャッチャーとして開幕戦 からマスクを被るなんていうことあれ大変 なことだと思うんだよねいやありえないし ありえないでしょ特にキャッチャーって いうポジションでしょうんでそういう スタートを切っててそこにね先輩だからと かねあのなんかそういう感覚でものを見る よりももうただ心配で心配でうんそうする とねま覚えてんのはねもうとにかくねあの 明るい男がねもう毎日ね多分野球のことを ちょっと考えてんだろうなうんああ もう辛い表情をしてるのしか覚えてなくて さそうするとたまに言ってさおい新之助 大丈夫かみたいなことしか言ってあげらん ないっていう思い出しかなくてうんただ シズ婦なんかにあったりするとねうんあの ダジャレがダジャレというかあのあの モノマネなんか得意なんだよねあねああ そうめちゃくちゃうまいのうんやったら人 のも携帯持から バッティングああいうのうまいで表なんだ ようん明るくてでそれがさ今度シーズン 始まるとさキュッと人が変わったようにさ ま監督ですからねあのあの選手の時もねあ 選手の時もうん今年の采配見てどどういう 風な感じしますか1年目で監督1年目です よいやすごいねまあれは少なくともや監督 の求心力がなければ駒は動かないっていう 典型だなと思ううんプレもいっぱいあるね うんだから結局先方もそうだけど戦力的に もまピッチャーもそうだしあとま補強も そうでしょせか外国人も含めてそうだけど うんそこそこに一応課題をみんなあったの にも関わらずしっかりとちゃんとあの ピースが入ってきてでそれをうまく コントロールしてるだけ野球のスタイルた 非常にシンプルでやれるべきことをやる すごくシンプルですですよねでも野球って そうじゃないそうでそれを曲げないでしょ うんあの監督はねだあれでもみんなそう いう監督やってこういう役やるんだなって ことを理解してるっていうのは大きくてま それを1年目に新人監督がやっちゃうって ことがすごいかなと思うですねすごい やっぱりこうまキャッチャー出身だけあっ てま初めてらしいですねジャインの監督で キャッチャー出身の人ってあそうやっぱり 守りをきちっと抱えましたよねそうだよね やっぱりでも基本まそれまでま原監督も そうだけどもちろんそうなんだけど やっぱり野球の花はホームランみたいな うんうん島さんも含めてやっぱこう派手な うつの見せて勝つみたいなものが両方 追いかけたところあると思うですよね原と 食べろ場合はその派手さっていうよりも とにかく勝つんだ野球っていうもはこう いうものなんだってこっちにもフォーカス しちゃったから選手も楽だったと思うんす よねそっちにこう分かりやすかったと思 ですよねそうだね1個だからスタイルが こっちもこっちもって言ったら選手どっち やなやんってなるけど1個だから分かり やすかったそう分かりやすかったと思う うんそれはすごくまシンプルイベストで 野球は 守りで入るしかないってわかってる中で なかなかできなかったものがうんそうねを やったっていうとこはすごいなと思そうだ からあのいろんなプレイに対してコメント してるじゃないうんなんで次の座席あいう かあの打ち方するんだとかうんであいう のってやっぱりさあの野球してる人がさ それそのことに対して興味落つじゃんじゃ 何が1番理想的なバッティングだったん だろうかってだからそういうこと教えて くれる意味ではあ安倍監督のコメントって 興味深いと思うだよねで聞いてみると ちょっと小さいことに見えちゃうかもしれ ないんだけどそういうプレイが繋がってき て初めて野球って結果に繋がるじゃんうん だからなんかそれを考えさせたるあのこと を言うなっていうのを俺は感じててうんま 本当ほシンプルでなんかバサッと言うから いいよね嫌みっぽく言わないじゃん コメントがなんかきついなとは思うけどだ ねらしい言い方をしないからそっちの方が いいと思うそうあのきつい期待してねえ よって言われた うんそうだねなんか分かりやすくてそうだ ね相手もあの言われた方もくそっと思い やすいと思うなんかうんなんか嫌みっぽく 言われると言われた方って違う感情が目 れる時がぱあると思うんだよねたそういう 意味ではあの人心理学もやってんのかなと 思ってね中央大学の何学部なかわかんない けど勉強もしたんだろうなと思ってね中央 大学でもやっぱり分からないけれど その最初からそういう 要所なとこで使われてさうんあの本当に いろんな先輩方にねいろんな指導を仰いだ 姿だけは見てたのでうんまそれやっぱり よく噛みしめて自分のものにしたんだなと 思うけどなうんうん今コーチしてるん でしょあ俺あコーチコチねピッチンコーチ ですかまあピッチャーだからねピッチング まそんなねいちいち細分化されてないです からクラブはああま全部的なだけどあの オール府中っていう中にある俺だって人 出る でしょ対の予選も出るでもやっぱりクラブ チームっていうのはあのどうしても色んな 仕事を持ってたりしていてもうんうん公式 野球やりたいんだうんでやっぱり大学や あの高校大学からま独立リグでやった人も いればみんなあそうねみんなやっぱり できればプロになりたいっていう出しの ある人たちがそうそうですあの仕事の 終わってもせっせせっせと球場に来てね それで あのま野球が好きだからしかできないと 思うんだけどまそういうま俺にとっちゃは 息子みたいな年代うんのやつもいるけどね でもそういうとこでやっててで一緒に野球 やってるとさやっぱりあのすごくこう心が 通うっていうかあのやっぱ野球好きで みんなで勝とうなっていうのはどこも一緒 だよねうんプロでもさ町屋でも何でもそう だしだそういう中に入れれるとの幸せで まあ今年幸いあの全国大会でベスト8まで 行ったんでねへえすごいじゃないですか うんクラブ選手権でね社会あのベスト ベストエクラブ選手権であのクラブチーム だけのうんうんだからそれでもやっぱり もう選手たちのもう行動言動ね変って変っ てくる結果が出れば絶対変わってきますよ ね人あのでもえいなと思うのはみんな やっぱり自分たちで考えて何をやったら いいかってことをみんなやり出したうん必 結果がついてくることは目もて感じたけど ねうん高坂さんもう65ぐらいになりまし たかいやいや6ちょっと待って僕よ4つだ から67かうん77の年まだだったけどね ああでも本当最初に僕今日久しぶりにお会 した時思ったけど若返りましたよねいや ありがとうございますいやいや本気で本当 あ良かったこれはもうあの社交事例でも なんともなく僕そのおベチャで言えない タイプなんで知ってると思うけどいやいや このさんあった時も柴さんも80うん ぐらいか若いなあと思ったんだけどうんあ さ高坂さんも本当若返ったなと思ってあ それは嬉しいななんかあったんすかいい こと生活でいやないけどあの 多分まやっぱりあの現役中はストレスは あったなっていう感じなか今ストレス あんまないんでねなんかかやもいいし顔色 もいいしあちょっとこの辺があだけどその 辺はしょうがないです僕ももうそれはもう しょうがないけどいやそれありがたい そんなこといいやいやいや本当にもしかし たら若い時苦労しすぎたのかもしんない 違うあの結構精神的にあんま強いらんこと もやったのかなみたいなでももうそれも別 にもう過ぎちゃったからいからさ終った ことはいいですこれからですよ我々大事な のはも先に近いんですからねいやいや先に 近だいやいや先に近いってか折り返し地点 は当に過ぎてるじゃないですか10年 ぐらいままあまあそうねうんだでもこう やってさね同期で12人の入団の鋭たちの 中で今こうしてここで会えるっていうこと が本当に幸せだしいや僕もねこの チャンネルいやいや本当にまた皆さんに あえてこんななかったら会えないかもしれ ないじゃないですかいやそうそうそうだ からまこれもご縁でね本当ありがとう ございますいやいやもうほんと今日 ありがとうござしかったです今日もうこれ 台本ほとんど無視して後で説されると思う んですけどこれ編集大変だと思うけどな坂 さんとあってめにこう取り喋ってもしょう がねえなと思っていやそいやそ良かった あの喋りやすかったです いやねもう本岡崎さんにはもう本当に色々 お世話になっていやそ本当に僕その喧嘩を やめててやついやそれ今言おうとしたん ですけどもう川井直子さんの曲を覚えさせ ていただき直子さんスーパースターですよ 当そうですよビバ昭和ビバ昭和ありがとう ございましたも当いや本当にありがとう ございまし [音楽] た3 [音楽]

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◆香坂英典さんプロフィール
選手歴
埼玉県立川越工業高等学校
中央大学
読売ジャイアンツ 1980 – 1984

コーチ歴
全府中野球倶楽部

◆アスアカ総集編★一気見SP
【アスアカ総集編 一気見SP vol.1】満塁男の超野球技術論 駒田徳広

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【アスアカ総集編 一気見SP vol.3】ミスターパーフェクト 槙原寛己

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【アスアカ総集編 一気見SP vol.6】孤高の天才野手 篠塚和典

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【アスアカ総集編 一気見SP vol.18】駆け巡る赤き疾風の追憶 高橋慶彦

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【アスアカ総集編 一気見SP vol.25】大分を舞う熱き父子鷹 内川聖一

【アスアカ総集編 一気見SP vol.26】プロ野球からクリケットへ 木村昇吾

【アスアカ総集編 一気見SP vol.27】紺碧の巨人キラー 川崎憲次郎

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【アスアカ総集編 一気見SP vol.29】LAから愛を込めて 高橋尚成

【アスアカ総集編 一気見SP vol.30】ポジティブキング 前田“チョコ”幸長

【アスアカ総集編 一気見SP vol.31】平成のスライディング王 亀山努

【アスアカ総集編 一気見SP vol.32】因縁の国士無双 加藤哲郎

【アスアカ総集編 一気見SP vol.33】天才投手のダンディズム 牛島和彦

【アスアカ総集編 一気見SP vol.34】龍が如き豪速球の咆哮 小松辰雄

【アスアカ総集編 一気見SP vol.35】紅蓮のトリプルスリー 野村謙二郎

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【アスアカ総集編 一気見SP vol.57】猛々しき野良犬の咆哮 愛甲猛

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【アスアカ総集編 一気見SP vol.60】下町マコちゃん 益子直美

【アスアカ総集編 一気見SP vol.61】闘う紳士が歩んだ激動の野球人生 田尾安志

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【アスアカ総集編 一気見SP vol.63】黄昏アイアン・ホーク 下柳剛

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【アスアカ総集編 一気見SP vol.66】若虎四天王回顧録 藤田平

【アスアカ総集編 一気見SP vol.67】巨人軍在籍30年プロ用具係の流儀 大野和哉

【アスアカ総集編 一気見SP vol.68】巨人軍フロントの全てを知り抜く影番長 香坂英典

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