1980年代から90年代にかけて「最強軍団」と称された西武ライオンズの黄金期。正捕手としてチームを牽引し、現役引退後は西武、ロッテの監督を歴任した伊東勤が明かす、ロッテ改革の舞台裏とは? 『黄金時代のつくり方 – あの頃の西武はなぜ強かったのか -』(伊東勤/ワニブックス刊)から抜粋して紹介する。《全3回の最終回/第1回、第2回から続く》
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韓国でロッテの重光オーナー代行と会食
(韓国・斗山ベアーズからの)退団の申し出をした1週間後くらいの8月のある日、ロッテの重光昭夫オーナー代行(当時。現・オーナー)の秘書を名乗る方から電話がありました。「一度、代行と食事をしてください」とのことでした。
韓国にいて、韓国で食事をするというアポでしたから、いまひとつ調子が悪かった韓国プロ野球、ロッテ・ジャイアンツの監督? コーチ? そんな話じゃないかと当たりをつけていました。韓国の状況はわかったし、なかなかうまくいかないことが多いのも痛感したので、「勘弁してください」とお断りするつもりでした。
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韓国のホテルで代行とふたりで食事をしたのですが、なかなか用件にたどり着きません。やがて、日本の千葉ロッテマリーンズの話題になりました。
「伊東さんはロッテ、どう思われますか?」と聞かれたので、「今年は見ていないのでわかりません。2007年に対戦していたときまでは、思い切って若い選手をもっと使ってもいいのではないかと思っていました」と言いました。すると、「ぜひ手伝ってくださいよ」と言われたので、「機会があったら、私でよければいつでも力を貸します」と答えました。
前日か数日前に、西村徳文監督の続投という記事を読んでいましたので、近い将来の話か、あるいは来季は二軍監督として準備か……そんな想像はしました。ところが、「では、来年から監督をお願いします」と切り出されて、驚きました。
西村監督続投と記事が出ていましたが……と言うと、「そういう事実はありません」というお返事。そして、急ぐのでできればすぐに、遅くとも1週間以内に答えをくださいということでした。
正直なところ、すぐにユニフォームを着てという気持ちでもなかったのですが、こういうものはタイミングだというのはわかっていました。
韓国では、何か自分の存在を否定されたような気持ちになっていたので、このままでは終われないという思いは強く持っていましたし、NPBにしかない監督というポストのオファーですから、名誉なことです。

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