ヤクルト、巨人、阪神を渡り歩き、そのすべてで四番打者を経験。そして3人の名監督と接した男、広澤克実。彼が見た3球団、そして監督たちの実像とは。球界でも稀有な体験とそこから得た学びを訊いた。FA移籍したジャイアンツで憧れの人、長嶋とともに戦うことになるも、広澤を度重なる故障が襲う。〈NumberWebインタビュー全3回の2回目/つづきを読む〉

「僕は長嶋茂雄という人に憧れて野球を始めた人間ですから……」

 1995(平成7)年、広澤克実はヤクルトスワローズから読売ジャイアンツにFA移籍した。その理由を尋ねると、広澤は「長嶋茂雄」の名前を挙げて、その理由を説明した。

「……長嶋さんから、“うちに来ないか?”と誘われたとき、“チームメイトやヤクルトファンに申し訳ないな”という思いもありました。だけど、僕は“やってしまった後悔”と“やらなかった後悔”のことを考えました。ジャイアンツに移籍してからも、そして現役を引退してからも、“あのときの決断は正しかったのかな?”と考えることは多かったですね。そのままヤクルトに残っていれば、怪我もしなかっただろうし、キャリア的にももっと打っていただろうし、もしかしたら監督になっていたかもしれないから……」

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 FA交渉の際に、長嶋が「なぁトラちゃん、おいで」と語りかけたことが決断の決め手となったのは有名な話だ。しかし、本人の言葉にあるように、ジャイアンツ時代の広澤は、故障に泣かされたこともあって、スワローズ時代の輝きを披露することはできなかった。

勝負勘のいい人は賭け事をしている(笑)

 そんな95年から99年までの5年間、広澤の指揮官となったのが長嶋だった。単刀直入に、「長嶋野球とはどんな野球ですか?」と尋ねると、少し考えてから広澤は口を開いた。

「ひらめき野球とか、勘ピューターと言われることもあったけど、意外とバッターとピッチャーの相性とか、データを重視していますよ。ただ、野村(克也)さんのように、常にデータを意識しているような自分の姿を見せたくなかったんだと思います。

 それでもやっぱり、天性の勝負勘はすごかった。脳科学者の中野信子さんが言っていたけど、“勝負勘を鍛えるには勝負を重ねるしかない”ということでした。それには、ギャンブルをするのがいいのかもしれない。僕が知る勝負勘のいい人というのは、やはり賭け事をしていますよ。もちろん、オフィシャルの(笑)」

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