ダイエー(当時)からヤクルトにトレード移籍し、故・野村克也監督と出会って才能が開花した田畑一也投手。「野村再生工場の最高傑作」と言われた右腕がたどった、波乱万丈の野球人生とは——。現在は富山県の通信制高校、AOIKE高等学校で今春創設された野球部の監督を務める田畑さんに聞いた。〈全3回の2回目/つづきを読む〉
「“火事場のバカ力”というのかな。崖っ縁に立たされた人の姿は美しいよ」
野村監督は当時、「野村再生工場」と言われた手腕の醍醐味についてこんな言葉を残している。
プロの世界に飛び込むも思うような結果を残せず、崖っ縁に立たされた選手が環境を変え、『野村ID』の薫陶を受けることで覚醒する。その物語の主役となり、後々まで「野村再生工場の最高傑作」と言われたのが田畑だった。ダイエー時代の4年間でわずか2勝の右腕が、移籍1年目に先発ローテーションでフル稼働し、チームトップの12勝をマーク。オフの契約更改では年俸が約3倍に跳ね上がった。
崖っ縁から再生したわけ
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田畑が振り返る。
「フラットな状態からできたということが良かったのかなと思います。ダイエー時代からずっと先発がやりたくて、ヤクルトでその機会が得られるとなった時に、とにかくがむしゃらに頑張ろうと思えた。そこで野村監督に褒められて、自信がどんどんついて調子に乗ったんです。
もう一つは家族の存在ですね。家内は博多の人で、関東に出てきても誰も知り合いがいなくて不安で、本当に大変だったと思う。元気づけるためには俺が頑張るしかない。あなたのために頑張ったんです、なんて当時は恥ずかしくて言えなかったけどね。でも実際にその思いは強かったんです」
まさに名将の言葉通り「崖っ縁に立たされた人の姿は美しい」。前に進むしかない田畑は『野村ID』を素直に吸収し、求めていた働き場所でしゃにむに腕を振った。自らの価値を証明したい、そして家族を路頭に迷わせたくないという必死の思いがそこにはあった。

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