栗山英樹×井上康生 ~ジャパンメソッド[世界で勝つための方法論]【GETSPORTS特別編#2】<地上波未公開トークあり>
何よりも結果が求められる中、選手たちに主体性と高い人間力を求めたい上。そこで重視したことの 1つが見出し並 言葉遣い。本当に まずは日常生活から選手の意識改革を進めていったという。 [音楽] 果たしてそこにはどんな狙いがあったのか。 [音楽] 選手たちに向かって具体的に行動士みたいなも出していく。 で、ちょっとおきすると、あの、例えば挨拶であったりとか、服装だったり、言葉遣いだったり、 これっていう 僕、あの、こさん、あの、実はあの、チーム戻ってプロ野球の方であのファームはあの、まだ一になってない選手は茶禁止っていうまず髪の毛ちゃんとしようみたいなことから入ったんですけど、 ま、これ色々あるんですけど、まずあの、その柔道の世界トップの皆さんがいるジャパンにおいてまずはそういうのちゃんとしろって。 うん。これどういう意図だったんですか? あの、ここはそうですね、まずはなんて言ろうかな。私自身のま、報酬の中ではうん、いわゆるこう死体性っていうものをいかに持つかっていうところ。ここを非常にこう なるほど。死体性 持ってたところがありました。 しかしながらその主体性とあとは色々個性というものを磨いていく中でもやはり私は起立というものはイコールされるところがあるという風には思ってたので はい。 まあ一見してこうバラバラなていうかあの反対な感じではあるんですがしかしながら非常にこうリンクされてる ポイントだという風には思ってます。 ですから、ま、そういう分においては、 あの、この起立っていうところをどうして いくかっていうところを考える中で、え、 そういうルールっていうものをこう1つ 設けていったというところがありました。 で、私があの一緒に戦わさせてもらった 選手たちやスタッフの皆さんっていうのは 本当に素晴らしい人たちばっかりでその 選手たちをよりっそなんかみんなから応援 していただきたいっていう風な思いで、 えー、ま、そういうこうルールルっていう ものも設けさせていただいたっていう ところも1つあったというのが正直な ところでもあるかなという風に思います。 [音楽] でも、あの、今の言われたその死体性や個性を生かすためにも、えっと、起立っていうのがイコールにあるっていうのと、それから今選手たちをあ、プレイヤーを愛しているので、 みんなに愛される人にこんなにすごいやつなんだからみんなに分かってほしいとかでもそういう愛情がうん。 何か彼らをもっと良くしたくてっていう風なのをなんかすごくうん。 僕もそういう感覚ちょっとあるんで、あ、 あのでもこういうルールを設けた時にはちゃんと選手たちには説明し話をしていきました。コミュニケーションというのが、ま、非常に私は大事だという風には思ってましたし対話と競争いわゆる競争っていうのは共に作るってことですね。 はい。競争、 あの戦うっていうわけじゃなくて共に作る方の競争。 これが私は、ま、私の指導というか仕事の部分においては、あ、大事にしたい。 あ、 え、ものではありますから、そこは非常に現場においては、あの、大事にしていった部分っていうのはありましたね。ですからルールは決めていく。 でもそれぞれの個性もあるんでですから 色々とこう全体の部分で皆さんとま選手 たちとスタッフたちともいろんな話をして いくこともちろんだったしこでも色々話し ていきながらあなるほどなとここはま柔軟 に対応していけるものはあるなと思った時 には柔軟に対応していくというような形で あの色々と運営はしていった部分はあった ようには思いましたね。なるほど。はい。 ただその、ま、選手側から見るとですよ。監督がその思いでもうわ、井上高晴さんやみたいなちょっとなんか色々あるじゃないですか。その そこの本当にこうコミュニケーションを取るっていうのが 意外と僕は簡単じゃないという風に思っていて、その辺りってどんな感じだったんですか?うん。 ま、今の選手たちうん、そうですね。あんま、あんまりわーってなってませんでしたよ。 意外と普通な感じですか? はい。同でした。あ、そうですか。 じゃあ意外とこう監督が話しかけていって こうまじ目線でいると比較的こう本音で喋れるような感じていう。 そうですね。で、先ほどお話し合ったあのうん、なんて言うのかな。うん。いい意味でこの壁を作らないことも意識はしてた。 常にこうドアを開いてたっていうところも私自身は意識はしてたんですけど、しかし こう仕事をするこう一戦私をちゃんと引かなきゃいけないラインっていうものあるという風にはあ思ってたのでだからこそ大けの場っていうとこにおいては例えばスタッフだとかコーチだとかそういうとこにおいてはコチとか先生とかあとは 3 とかいものをしっかりとけた上でやりなさいよっていう風な話も実は [音楽] してたところではあったので、その使い分けうん。 あの、オンとオフじゃないしですけど、ちゃんとこう我々やるべきところはやる、また、ま、少しリラックスするとこはリラックスするっていうところの使い分をちゃんとあの、使いこらせれるように、え、そういう風な、あ、こうルール決めっていうものも行っていた経緯っていうのはあったかなという風には思います。じゃないと全てがこうナーナーになってしまう。 うん。うん。 少し、ま、以前の部分でそういうところがナーになってたところが非常にありましたので、 私の中でやっぱり非常にこう気を使った 部分ではあったなっていう風には思いましたね。 ですから練習の部分においてもなんかこうもちろんこうん、なんて言うかな、リラックスして、え、脇あえとやることも大事なんですけど、やっぱりあの空間では集中すべきことが集中してやることも大事ではあるかなという風には思ったんで ですからあの練習中においての心が甘えだとかそういうところも選手たちに全体ミーティングともとしてもなの発信していきまここで もう気になった部分においては対応していくっていうような形であの色々やっていきましたね。はい。 なるほど。その言葉遣いなんかそのある一戦を引くための そうです。もので確かにそれありますね。 はい。はい。 ああ。その形のルールを確かに柔道ってもしかすると一流選手同士は結構指導者とマンツーマンで行くことも多いのでちょっとこう線が難しくなるケースあるかもしれないですね。 あ、それは非常にあるんですね。はい。 ですから、ま、あの、なんて言うかな、仲良くなるなっていうわけじゃなく、 あの、コミュニケーションを取っていく中でやはりこう、信頼関係を気づいて、え、やっていく。 ま、その形として、あの、いろんなこう下 の名前を使うとか、あだ名を使うとか、 それあって全然いいとは思うんですけど、 でもちゃんと、ま、私自身がやってもらい たいのは、あ、いわゆるプロとして、え、 線を引くところはちゃんと線を引いた上で 、え、高いを持求めていきましょうよと いう風なもので、そういうルールを設けて いったところはあったようには思いますね 。はい。なるほど。で、その中でさっきも 自立するうん。 という選手になってほしいっていう思いがあったと思うんですけど、これで実際に具体的に自立するために監督がこう手を打つというか、こんなことやってみるっていうのはとはどうだったんですか? なんかやっぱうん。 これは柔道選手だけじゃなく、いろんなスポーツ選手だとか、ま、いろんな 分野でも活躍してる方々のお話だとか、ま、本を読んだりする中でもやっぱり最終的にやっぱこう自発的に動いてる選手方々っていうのがやはりこう様々な世界でこう活躍されてるなっていう風には思うところがありました。 で、現に世界のこう戦いを見ていく中でも やはりそのやっぱ自分自身でやる、自分 自身で乗り越える、自分自身で戦える るっていうものを根本的に持っておか なければやはりその世界でのトップをする ことはできないなっていう風には私個人と しては思うところがあったので、ただし あのやはりいろんな高知たの方々だとか スタッフの方々の後押しというものがまた 大きの力になることも間違いないので うん。 あの、なんていうか、何でもかんでもその自分自身でやらなきゃいけないっていうわけではなく、 いろんな人たちに頼ってもいい。しかし やっぱり根本的なあの部分においてはその要素ってものが俺は必要になってくるよと。 あの先生がいないとダメだとか、この人 から教えてもらえなきゃダめだとかって なると結局は自分自身では切り開いていく ことができなくなるとそこだけあのま、俺 が求めていく指導指導者像というか選手を 育成するまた組織を作っていう中ではそこ を求めていきたいということは伝えさせて もらいました。なるほど。はい。 で、ま、具体的に言うと、例えばあの、世界に普通指導者と一緒に行ったりとか、こう世界色々回ったりするのがもう無者修行じゃないですけど、なんか 1 人で行ってこいみたいなそんな感じのこともなんかやらせた。やりましたね。 これも面白かったのは、ま、私その海外 留学生かさせてもらう中で1人でいろんな とこにこう行ったりするケースもあったん ですけど、1人でなんか知らないとこに 行くものすごく不安ですし、 ものすごく孤独ですしでもやらなきゃいけ ないと、もう切りかなきゃいけない、 こう心を持つができたんですね。ああ、 ですからそういう部分においてはあの誰に頼ることもなくろんな練習方法を学んだりまた時にはいわゆるライバルたちから色々こうサポートしてもらうことの温かさていうかありがたさなんかも感じていきながらあの学んで欲しという風な思いですね、企画していったというところがありました。 ま、あまり綺麗な環境というよりすごく厳しい環境にあえて送り込んではい。選手たちをたましくですね。 はい。 育していったっていうところの事業をやりましたね。 はい。 [音楽] 当時 20歳の安倍ひはヨーロッパで単心無者修行。 およそ3週間滞在し合選手が 600人近く集まる画宿に参加した。 身の周りのことは多分全て自分で練習に行ったりとか練習メニューを考えたりフを自分のどのタイミングで入れたりっていうのは全て自分なんで 他にも井上は後にオリンピック連覇を達成する王野長瀬高典など様々な選手に海外での無者修行を体験させた。 例えばあの、え、リオリンピックですね、え、同盟を取った賀選手なんかはなかなかもうその賀選手もずっと子供のとこからエリーを歩んで行ってた。ま、 [音楽] はい。 そういう中である時スランプ、ま、怪我もあってですね、スランプに陥った部分っていうのがあったんですけど、ま、私の目から見た時に私もそうだったんですけど、非常にこうもろさを感じたんですね。 [音楽] ああ。 で、でも彼自身を見た時にはこの選手は間違いなく世界で活躍できると ああ だからこそま可愛い子には旅をさせろじゃないですけどじゃあモンゴルの地に行ってきなさいっていうことでマイナス何十度の極寒の地に モンゴル送り込んでモンゴル はい そうなんですモンゴルは十柔道もとっても盛で強いですし はいはい でまあえて真冬ゆの時期にですね送り込んで 時り写真を送ってきましたけど、あの、今 山を走ってますとマイナス何十度、何十度 のところ走ってますってつらをこうやり ながら走ってましたけど、なんかそうやっ て、あの、彼自身を送ったんですけど、ま 、その後それだけじゃなく、彼がまたあの 、いろんな面で成長し、え、その 遠征後ではあったんですが、世界 チャンピオンになったっていうところが あったりとか、ま、他にも例えば60km 級の高選手なんかはい。 彼んかはすごくこう柔度が高い子なったんで ある時にあの 60km級っていう会級なんですけど 66km級って先生出たいですと試合にと はい。で、そん時にもう1 つ先生、あの、条件があると工事ボックスに誰も入れさせないでくれと ほうということでもう1 人で戦って、あの、 1 人で、え、その現地に行ってで練習パートナーもいらないと海外の選手たちと試合前もやると はい。という風な環境で自分自身でその クリエイトして彼自身戦って、ま、最終的 にはその66局でも優勝したんですけど、 ま、そういうこうチャレンジもさせて もらいましたが、あの、本当いろんなこと を選手からも学びながら、また一緒にこう 作、え、戦えたことがまた新たなこう 全日本のこう形を作れた部分でもあったか なとは思いますね。はい。はあ。 でもそれはなかなかできないすね。 そうなんです。 すごい、すごいですね。高選手。すごいですか? はい。もう彼らからもいろんなことを学ばしてもらいましたし、ま、が家他の選手からもこう携われば携わるほどあのこう刺激をもらったというところあったかなとは思いました。 で、監督当初は私も若かったし、本当に こうトライアンドエラーをこう繰り返し ながらやらさせてもらってた部分っていう のがあったんですけど、で、最初の段階は もうやっぱ監督イコール全て自分自身が 理解して全て分かった上で、え、物事を 進めていかなきゃいけないっていう思いが あったんですけど、でも携われば携わる ほど選手とまたスタッフと携われば携わる ほど、あ、別に自分自 自身が全部できなくていいんだと。彼らと共に作っていければいいんだっていう風に 思い始めたところがあったので ああですからまあ 2012年とか13年のあの頃とか14 年の頃の自分自身の監督の姿を見えているとちょっと恥ずかしいことがいっぱいありますね。 はい。 いや、いいや。でもそれがなんかこう色々経験しながら作られていくという風に思うんですけど。で、そんな中でえっとこう先ほどこう組織という話もあったんですけど うん。 どっちかというと名門じゃないですか?東海大って柔道ではところがさっきに やっぱどうしても偏ってしまうその組織をつくに偏ってしまう可能性がある。ま、この辺りもすごい気にされました。やっぱり。 そうですね。あの全日本チームでありましたので はい。そこはあの東海大学っていうもの だけの組織ではない。 やはりこう全体のバランスを考えた上での組織運営っていうものしていかなきゃいけないところがありましたからですから、ま、所属というかいわゆる大学の所属、また企業の所属の方々に、え、そのコ知というものに入っていただいてで一緒に、 え、この日本柔道会というこうものを盛り上げできれるような、そういうこう組織体制をしていたというところはあったかなという風には思います。 井上が行った2つ目の大改革は 組織改革。 こちらは井上が率いたオリンピック2大会 の主なスタッフ。 代表チームのスタッフを決める際、所属や 出身大学に関わらず様々な背景や能力を 持った人材を選んだ。 ここにはどんなメソッドがあったのか。 あの、今の現事点でこの組織にどういう人材が必要なのかというところを考えた上で、 え、高知の人選というものをさせていただいたと。 ですから過去に、え、世界大会で優勝したとか、また、あ、ですね、日本一になったとかというところには縛られないようなあの校長人戦ってものを行っていった部分っていうのはあったかなっていうのがまず [音楽] 1点目と、あともう1 つはスタッフっていうとこにおいてはいかにプロフェッショナルの人たちを はい。ああ、入れて で、世界一を目指すためには世界一の組織を作るというか、コーチスタッフ陣営っていうものを作っていくってところも意識したところがありましたから、ま、そういう中では、え、栄養だとか、あのフィジカルのトレーニングだとか、ま、情報分析っていうとこにおいてもそうですけど、 ま、その分野分野で、え、スペシャルの人たちにもご協力いただいてたというところあったかなという風には思います。 [音楽] 監督になるとどの競技でもどっちかていうと自分やりやすい形って作りちゃいがちじゃないですか。なんか自分の言うこと聞いてる人とかところは今の話伺うと最初若く監督になってるのに 自分のやられさ捨ててうん。 とにかくチームは勝すために選手のためになるっていうのにこう走れた。 はい。 これって簡単そうで意外と僕難しいと思うんですよ。これどうすか? それは難しいですが はい。でも1つやっぱ条件はあって、 やはり、 え、銃のことを愛し、そしてこのチームっていうものをいかに勝たせるかっていうところの思いを持ってくださる方、これがないとあの組織的には難しいと いう風には思ってますので、いくら能力があっても違う方向見られたらこれもう うん。組織権運はもう崩壊してしまうので はい。 ま、しかしそれぞれの考え方というものは私はあっていいかなと。特にプロフェッシャルな人たちなんで やっぱそれぞれの独自の考え方っていうものがあるということは間違なく私自身は理解はしていました。でもう [音楽] 1 点伝えたのは最終的にはいろんな議論があったとしても俺が決めると うん。 最終的にそこに決めった以上はみんな同じ方向で進んでくれと。 だからこそこの石場ではどんなことでも 言い合えと何でもいいと特に喧嘩しても いいとそれぐらいの議論を重ねた上でえ 最終的にはあて決めた以上はですねみんな ついてきてくれ最初の段階で伝えていった 部分っていうのもあったかなと思いますね 。はい。はあ。 あの、すごくあの、理解はできるんですけど、小さん、あの、それって、ま、僕も経験ありますけど、なかなか実際にそういう風にこう思ってても行動しきるっていうのは結構難しいんですけど、 特にですよ。申し訳ないですけどうん。 相手が井上構成ですよ。申し訳ないですけど。で、それでいいやいやいやいや 監督違いますよって柔道家があんまり言えんのかなと思うと、そこでなかなか本音が議論をさせるって難しい。 感じもちょっとするんですけど、その辺は結構そういう雰囲気はなったですか? うん。いやあ、私はやっぱ幸運だったのは、あの、幸運だったか不幸だったのかよくわからないですけど、まあよく攻められました僕。 本当ですか?本当ですか? それどうなってんですか?監督って言われるケース結構ありました。本当にいいんですかって言うて。 いや、じゃあ、じゃあどこっていうのをもうみんなにやっぱりこう聞いていきながら はあ。 ああ、でもそれは監督の持ってるのか雰囲気ですね。あの、辛かったと思いますけど言ってもらった方がいいですもんね、意見。 はい。おっしゃれ通りです。だからもう意見を言わない人はもう本当会議場から去ってくれっていう感じでした。 はあ。 はい。なんでもう私が一緒の議長じゃないですけど会議をスタートするった時にはもうなんかのはい。審議事項になった場合には絶対みんなに振ってましたんで ああ、 意見を言ってくれ、言ってくれ、言ってくれって形ではい。 あ、 私しその会議に参加するにあたってはちゃんと準備した上で来てくれっていう形は言ってたんではい。 そういう形で、ま、作っていった部分っていうのはありましたね。で、時にはあの自分の意見が過されることもありましたんで。 あ、そうなんですか。 ありました。ありました。はい。 ありました。ああ、なるほど。ま、それは自分が理解した上で結されてこの方向で行こうっていうケースもあったので。はい。 でもそれ嬉しいですよね。みんなが必死になってくれたら はい。おっしゃるとですね。はい。 そうですか。はい。 でもなんかそれは監督、あの若い時にね、ま、僕らのこ年齢重ねた上で 指導者になっていくとなんとなくろんな意見があるっていうのは理解できるんですけど、若い時って特に特にもう金メダル取られた監督が うん。 人の意見自分と違う意見もこれ大事なんだと思うって結構大変だったと思うんですよ。それでなんでできたんですか?その頃から。 うん。 いや、根本的に今もそうですけど、自分が大した人間だと思ってないんで、あの、もうそこが全てだと思います。はい。あの、本当にうーん、意見を聞けば聞くほどああ、そういう考えあるんだ。すごいな。 [音楽] こっち聞けばあ、面白いな。例えば選手の話聞けばああ、なるほど。そういう風な発想もあるんだなっていう風に。 うん。 なんかこう壁を作らずにすっと入るところが私自身の中ではあるんではい。ですから そこに対するなんか大変さっていうのはそう うん。感じることは私の中ではい。 なかったですか? なかったなていう風には思いますね。はい。 はい。ま、それがあの監督らしさなという風に思うんですけどさっきのその組織のところでプロフェッショナルを置くと うん。 例えばその岡田さんであるとか石井さんであるとか、ま、僕らも素晴らしい人だなていう風に思うんですけど、この辺りをお願いしていく、こういうところでお願いして、こういう効果があったっていうの教えてもらってもいいですか? そうですね。岡田さんに関しては はい。うん。 ちょうどそのロンドオリンピックの、ま、反省というか振り返りっていうもの、ま、我々中でこう色々と議論していく中でやっぱ 1 つの課題としてはフィジカル面というところ、この課題っていうのがありました。で、 世界と戦っていくために、ま、我々がやはり非常に大きな必要な要素と要素の 1 つとしてはやっぱり技術っていうものを世界最高峰で維持し続けるということ。 ただしじゃあそれだけで勝てるのかとまえば昔の重すという言葉だけで今のルール上での中でも勝てるかと言うとそうじゃないとやっぱこう 10と5 をもう一体となった選手をいかに作っていくかっていうところがえなるところとして我々と必要とされることだということで、え、そのためにはプロの力を借りようとで、え、で、そのボディビルダーであった あ、また柔出身であった岡田さんの方にですね、え、お願いをしてで、ま、改革を行っていってた、行っていってもらった部分っていうのがあったんですけど、 [音楽] 井上が行った3 つ目の大改革はトレーニング改革。 そのキーマンとなったのはボディビルダーバズーカ岡田としても活躍する 体育科学拍士岡田孝志 その腹持ちをよくするために弾取るていう 筋肉に関する豊富な地見を生かし井上が最重要課題としていたフィジカルの強化音になった。 [拍手] 今もう当たり前にウェイトトレーニングなんかはみんなやってるんですけど はい。 その前まではそうですねぐらいだったんですね。 あ、そうなんですか。 はい。あまりやってなかったんです。 いやばの体力っていうのは柔道の道場で作るべきだっていうところがあったのでももちろんその考え方も 大事なんですけど、 ま、しかしながらあの非常にありがたかったのはあの彼氏はまず理論から話すんですね。 うん。なぜ柔道においてウェイトトレー ニングっていうかフィジカルが必要なのか 。え、またこのトレーニングっていうもの は何をこの重度っていうものに必要として いるのか。またそのトレーニングと食事の あり方っていうものはこうであるとか、 あと給養睡眠というものがやはり1つの セットなんだというものをまず理論で説明 してそこから実践に移していったケースっ ていうのがあったので、あの選手たちに とってはこう話を聞く中でもあそうなんだ とで実際に移してきあなるほどなっていう ことでこうすんなりと彼らはこうそういう ものの重要性をこう理解する環境という ものを、え、得ることができたんじゃない かなっていう風には、あの、強く思います 。しかし、ま、経験等がなかったんで、 まだ選手たちもこう阪神半議の中でやって いたんですけど、そこにやっぱり結果が こう徐々にこうついてくることによって みんなああ、なるほどと、これが必要なん だっていうことをより理解することができ たので、ここはすごくイコールの部分は あったかなっていう風には思いますね。 それはま、岡田さんといろんな話をしながら体ってこうかなみたいのも監督が感じられるだけでこう進化させていくそんな感じではあったんですか? そうですね。あのそこが非常に大事なポイントではあったかなっていう風にはあの思います。はい。ですから、え、先ほど言ったように理論的なものをやり、実践的なものよりをやっていく。ま、トレーニングの実践的なものをやっていく。 そしてこう柔度とリンクさせていくかっていうところの作業をあのしっかりとセットで、 え、考えていきながらあの進めていた経緯ていうのがありましたんで、ま、そこをあの岡田先生が面白おかしくまた分かりやすくですね。 はあ。 え、ま、選手たちに解いていったと。 で、その先にはあの選手だけ、いわゆるナショナルチームの選手だけではなく、柔会全体にもですね、こう発信していくような場というものもこう設けていきながらやっていったところがありましたんで、 非常に彼自身の力っていうものは大だったなっていう風には私個人としては思ってますね。あ、あの、昔というか岡田さんとこう監督が色々話し合って効率化していく前は例えばものすごくただ走ったりとか うん。うん。 えっと、ただひたすらこうダンベル持ったりとかなんかやっぱそんな感じはあったんですか? ありましたね。やっぱなんて言うのかな?うん。どっちかというとこう質という風なものを考えた時にはこう両重視というか量でええなんていうかな形をこう気づいていくというところ。ま、これ [音楽] はい。うん。日本のスポーツ社会もそう でしょうし、ま、いろんな部分にもこう 共通するところでもあったのかなっていう 風には思うんですけど、ま、昔はやっぱり 1本でも多く、え、ゼ々母事やることが 強くなるみたいな形だったのをちょっと 視点を変えてあの取り入れていったという ところあったと思います。 あの、そこが多分、あの、今日本のそのスポーツ会だけじゃなくて、日本全体の社会として、 そのリーダーのあり方っていうか、そのトップのあり方っていうのはすごく若い人たちも含めて今すごく注目されてる中でちょ申し訳ないですけど、あの、井上高晴という選手は多分世界を取った時っていうのは違うやり方をしていたわけですよね。 で、それが監督になってそこまで自分の頭を柔軟に進化させていった。 これってなんか今話をお聞きしてるとすごくみんな多分普通に聞いちゃうんですけどこれ僕的にはすごく大変だった いろんなこう葛藤が合わたんじゃないかなという風に思うんですけどこの辺りいかがですか? これま監督なった当初も先ほど言った通りこうトライアンエラーを重ねた中でま結構こうきつめの部分も入れたりしてたところがあったんですけど はい。 しかしながらやっぱ世界で戦っていく中でじゃあそれだけで勝てるかっていうとそうじゃないなっていうところを非常にこう感じるところがありましたから そういう中ではこう質と量のこのバランスっていうものを考えた上でまプログラムさせていきそしてえま試合に望んでいくっていう風な発想になっていったというところはあったかなと。 ま、それは、ま、私は、ま、その海外留学というものを見て、あの、経験させてもらう中で、海外の人たってものすごいやっぱ効率的なは、 あの、やり方っていうものを、え、プログラムされてたところがありましたんで、あの、それを見た時にも、あ、これって我々もあの、より想日本柔道会が発展させていくためには必要な要素だなっていう風には思うところがありましたから、もう 1 つは、ま、ちょうどロンドオリンピックの頃っていうの は、いわゆる東海大学と私は校長をやらさせてもらったんですが、その時に、え、監督をされてた、ま、今のもされてますけど、あさんっていう方がいらっしゃるんですが、その人と非常にこう超効率的な ああ、 あの、トレーニングプログラムを考える方だったんですね。 はい。 それをこう身近で目させてもらう中でもあ、これってすごいあの日本柔道会が必要とされるもんじゃないかっていうところを感じるところがありましたから ああ。 そこもこう、え、簡単にならばパクりながら全日本にも活用させてもらった経緯もあったかなという風には思いましたね。 はあ。でもそれはでもそういう発想を持ってみてないとそれも実際近くでやっててもま、そういうもんかで終わっちゃうケースとあ、これって非常にいい形なんだって風に感じられてたわけですよね。 はい。そうですね。 実際問題じゃあここまでのじゃって必要なのって思うこともありましたし ああ、 あの逆に言うならばああなんか質だけ求めるとやっぱり貧弱になってしまうなっていうケースもあったのであの これって決して全否定してるわけではなくて私は やっぱその効率性だとか非効率性のこのバランスっていうところここは十分に持った上で選手の育成っていうものをしていかない と時にはこの質だけを求めることによってものすごくこう細い 選手になりちな部分っていうのがある。 はい。え、逆に言うならば太いけど 細かいことに対応できない選手にもなって しまうっていうところもあったので、どう したらこのバランスをしっかりと保った上 で、え、いかにこの大部隊で活躍できる 選手、日本チームムっていうものを作る かっていうところの視点でこのプログラ ムっていうものを作っていったところあっ たかなと思います。はい。 [音楽] なるほど。 そこのそこが指導者のなんか分岐点っていう難しさでもあるとそれが例えば効率をすごく求めながらも非行率の例えば自衛隊に連れてったりとかちょっとすごいすごい悪い環境のとこで画宿やったりとか なんか そこのなんか幅の広さが井上監督すごいなっていう風に感じた分そういったところも含めてってことですか? 実際にやっぱり世界を見た時にはあのそれがやっぱ必要だっていうところをとっても感じるの で、 様々な改革を行う中で、 井上は選手たちに自衛隊の交訓練を体験させるなど、 一見柔道とは関係のないプログラムも取り入れた。非効率的とも思える取り組みだが、そこには明確な狙いがあった。 した。 [笑い] もう実際にやっぱあの生きた はい。 試合の中であの綺麗事ごでは済まされない世界観っていうのがあったりする。 はい。はい。 そのためにはなんかもう綺麗に整理された中で選手を育成することがそれに対応できるかそうじゃないなというところをすごく感じるところがありましたしかといってじゃあ、え、強さだけを求めてやることが、ま、やっぱろんな大会でのレギュレーションが変わってくる中でじゃこれに対応しるのかなとその強さが反減されてしまうんじゃないかっていうところもありましたです からそのバラン スっていうものを考えた上で、え、ま、その成のプログラムっていうのを作っていくってことは非常に大事ですし でもそれは例えばなんかそのタフな選手を使うんだっていうのでそのえっと例えば自衛隊あのすごくすごい高いところまでりましたね。 あ、まさこうああいうのってあれそういうのにやってくれって別に言われたわけじゃないですよ。 じゃないですね。ま、これはま、でもこれって はい。 実は現役時代はあのもうお亡くなりになられた斎藤先生 はいはい えがまが現役時代の監督だったんですけど斎藤先生が自衛隊トレーニングで導入されてたんですよ。 あ、そうなんですか。 そうなんです。でも僕それが嫌で嫌でしょうがなかったんですけど。 そうなんですか。 はい。あの台の高いところがダメな人間なんではい。 そんなことしなくても勝ってやると思ってたんですけどまあでも はい。 あので、そのなんていうのかな、え、列学 な環境の中でも良きの環境の中でもタフに なってもらいたいところも非常にこうある のでもう1個の別なこう視点としてはこう チームビルディング的なものあったんです ね。あ、 ですから高校の選手のその強さを求めていくこととあと日本代表として戦っていく。ま、あの戦いなんていうのは、ま、いやば、あ、全員がメダルを獲得できたっていうのは 1人1 人がそれぞれのあの自分たちの思いで戦ってきたことと日本チーっていうところの思いで戦ってきたからこそ相えてうまいトンタッちっができたんじゃないかなと。 それが個の能力も高め、そして組織の能力も高めていけれる部分っていうのもあるのかなっていう風には思ったんで、ま、そういう目的もあ あってですね、あの、ああいうトレーニングを行ったっていうところがありました。で、もう [音楽] 1 人ちょっと僕が気になってるのが石井さんなんですけどうん。うん。 やっぱりその今データと分析と、ま、いろんなことができないと世界で勝てない。 うん。 全てのスポーツがですね。やっぱ石井さんの存在もやっぱすごく大きかったんですよね。
地上波で放送した栗山英樹×井上康生の名将対談の完全版!
未公開トークを含め計3本に渡り特別配信!
リオ五輪で全階級メダル獲得、東京五輪で史上最多5個の金メダルを獲得した日本男子柔道。
低迷期を乗り越え、お家芸復活に導いた井上康生の「世界と戦うメソッド」に栗山英樹が迫る!
#2では井上が掲げた4つ目の改革のうち、『選手の意識改革』 『組織改革』 『トレーニング改革』 について語り尽くす!
【ハッシュタグ】
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