1992年10月12日、監督復帰会見で保科昭彦球団代表(左)と握手

1992年の9月末か、10月に入ってからだと思います。読売新聞社の渡辺恒雄社長(当時)から電話をいただき、東京都内の料亭でお会いしました。

当時のプロ野球界には、初めてといっていいくらいの危機感がありました。巨人戦のテレビ視聴率は低下し、観客動員は頭打ち。翌93年には、サッカーのJリーグがスタートすることが決まっていました。渡辺社長は僕の両手を握り、「球界の存亡をかけたおれの要請だから、長嶋君、ひとつ(巨人の監督を)引き受けてくれ」と。

巨人から声がかかるのを待っていたわけじゃありませんよ。〝文化系〟(浪人時代)は楽しかったからね。その間もずっと、日本球界が良くなっていかないと、と思っていました。そして、もう一度プロ野球の監督をやるなら、巨人以外にないともね。復帰は渡辺社長に1度お会いしただけで、あっという間に決めました。

《巨人は10月7日に3位(最終順位は阪神と同率2位)で全日程を終了し、翌8日に藤田元司監督が勇退会見。当時56歳の長嶋氏は同9日、監督就任を受諾したことを明らかにした。復帰会見は同12日、東京・飯田橋のホテルグランドパレスで開かれ、長嶋氏は約300人の報道陣を前に「スピード野球を徹底し、全力を尽くして強いチームに再建したい。近い将来、すばらしいチームとして多くのファンから信頼と評価を受ける時期が来ることを確信しております」と語った。背番号は後日、「33」に決まった》

渡辺社長からは「方法論は君に任せるが、選手は1、2年じゃつくれないだろうから、長期的な視野を持って育成してほしい」と要望されました。育てながら勝つというのは、前回の監督時代も考えていたことで、その難しさはよく知っているつもりです。僕はそういう巡り合わせになっているのですよ。男として、やりがいのある仕事だと思います。

93年の宮崎キャンプで背番号「33」のユニホームに袖を通す

2001年まで9年間ユニホームを着ましたが、契約年数はなかったような気がします。細かい話は一切していません。現役時代もそう。お金のことでもめたことは一度もありませんでしたから。

監督復帰後の最初の大仕事は、11月21日のドラフト会議でした。

(2014年12月13日付紙面に掲載)

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