【読売ジャイアンツ】篠塚和典✕中畑清・特別対談 今だから話せるドラフト秘話

[音楽] じゃあ本日はよろしくお願いします はいよろしくお願いします えっと本日はあの中畑清さんのえご自にお伺いしております [音楽] 本当だよしかもギャラギャラ回ってないよあれ [笑い] ちょっといつもってば雰囲気で進めさせていただければなと思ってますんで どうぞ
お願いします 貸してあげるよちょっとだけ はいえっとあのまずはお2 人にまつわるエピソードを色々お聞きしていきたいんですけれどもうん まずお2 人は同期入団っていうところでま入団当初のお互いの印象色々あると思うんですけれどもえ [音楽] まずあの性格面
ありすぎだよ あの性格面をからまずちょっとお聞きしたいなと思 え性格面っていうよりそに 大事なことがあるんじゃない?同期入団になる理由とかさうん 俺は篠塚俊とその存在っていうのは全く知らなかったから野球会でもやっぱり 9 会の先輩としてもさ甲子園で活躍したっていうのも実は俺は見てないのよ長嶋さんが 1 本のホームランを見てこんなボールをホームランできる選手が体が小さいのに細いのにというのでえ見つけ出した原石みたいなもんだよね [音楽] 俺はだからわかんないんだよでそれが急に ドラフトの当日に変わっちゃったからほん で俺だってくれちゃうわけよまグれちゃ うっていうかさ評価俺のドラフト1位って いう評価でさ新聞でそういう発表されてさ その気になってるわけじゃん俺なんかその 俺に対して誰も知らないような知ど年を ドラフト1位で逆転指名されるわけですよ 俺の立場ってどこにもなくなっちゃうわけ け そっからスタートしてんだよ俺と死ぬの人生はうんだから本当なかなか絶対良くない良くないはずなんだけどいいんだよな [笑い] どんどんね付き合いま付き合いっていうよりね人間からクソ真面目なやつでとにかく野球大好き人間俺も好き好きは好きなんだけど練習はさこ好きじゃないねとにかく練習をやる選手っていうのはね俺の第 1印象だなう俺はもう玉で練習する十分 練習終わってるという気持ちだったんだ けどその弾が終わってバスで帰ってきた後 からがし塚図の時間帯なんで練習を練習が 始まるわけよ俺はう終わった瞬間に麻雀卓 に座ってるというチーポンチーポンやって んだけどそのチーポンをチーポンやってる 部屋から聞こえるんだよカンカンカンカン 売ってる音が その音が死ぬ年の Tなんだよなああこの差でまま後々主車を取ったりするんだけど俺は影の出者って言われて終わりなんだけどさあのサをなチーポンチーポンとカンカンカンのな こっちのカですか そうそうちポーンって言ってる お前がカンカンカンカンうるさいんだよまそれがスタートかなうん新塚さんは 僕はそうですねやっぱあの元々あのプロ 行くあれはなかったんでだからあんまり このなんて言うんですかね新聞なんかも見 なかったしこれで1週間前に当時 の監督斎藤さんからそういう話の 聞いてからですねはい 新聞見るようになったのは でその時はまもう中さんの まドラフトのあれでね名前が出てましたからま実際にねプレイ見たわけじゃないしその当時でも大体そういう感じで他の選手ってあんまり見たことをね同期で うん
方向せてやってれば見ますけど で当日本当にあのドラフトのあれでもね中 1っていう放置新聞うん出てましたから なあ大人の世界を俺は信用できなくなった一瞬だったよ しかも法新聞っていうのはさに読み系の間違いなく情報としては 100% 確実な情報しか載せないわけですよ うんだから子供心によま大学 4 年生だけど何が言葉だわもう十分大人になってんだけどなその大人さん引っかかるような詐欺みたいなこと俺から言わせればさうんその当者にしてみればねその 1面の新聞を見た瞬間に人間変わっちゃったんだよな それまでの評価はドラフト3 位ぐらいに上がればいい選手だという話だったんだけど一気にドラフト 1 位のしかもジャイアンツから指名される選手なんだっていう風に安示にたんだショックが大きい大きい本番当日ななじゃない 僕はショックじゃないですけど お前逆転逆転されたそのいい方の立場だからさ 大だったろいや僕は喜べなかったんです 行くつもりなかったじゃないですか そう言い方やめてくんな俺俺の [笑い] 2 つからすごいすごいショックなんだけどそのコメント いやいやでも
ちょっと撤開してくんない じゃあ撤開しますはい まあのね体病気もやってたしで大陸的に うんうん うんやっぱりこうジャイアンツの練習ってきついっていうのがもう うん
自分の頭の中でも印象があったし うん やっぱりある程度やはり 2 年くらいねきっちりまた体を作ってあのもうノンプルに行く社会人たの もう決まってましたから日本石 あ日だったの あ今の先輩たちもよくみんな行ってましたから あ本当?俺は議員だったんだよ ああ
もう今は今はな卓職銀行だけどさ まグランドの反対側じゃないですか あ本当だ
ネオすね
うんだっていうか うん
あの行って
うん 練習もちょっと参加したりとか 練習も
はいあそう してやってもうもらもう番号も 3点もらってたんすよ
ああ だそういう感覚でたんで へえ
うんだただもうね ああいい球団は球団だよな うんだから指名された時はもう逆に言ったらもうそっちの方が心配で自分の体の方がね で周りはみんなわって喜んでくれましたけどなかなかちょっと喜べなかったんですよ でもその体の心配って言うけど俺はその体の心配という情報を聞いてたんだよな 6万円であ
三角が入院して プロ通用するような体じゃないなんだよっていうことをさ 上聞いててで見るからにそんな風に用意で生めてやった時にさあやっぱりそうだと思ったんだ 的な弱さを感じるさそして蓋開けてみたらめっちゃ強いんだよ冗談だよねふざけんなってランディングはあれだしさ長距離も強いしさそれで [笑い] 1番嫌なのが1対1 であのマンツマンっていうかさノッカーと選手守備側の特殊特殊たんだ特別守備練習っていう時間がそれが 1 時間後ぐらいやったらもう下手下手なんだけどこいつ全然へんなんのよ 俺も下へ下手なんだけどさでどどこがお前 6 件で入者選手なんだっていうねその返任もないね一緒にあのロック受けんのが嫌で嫌でさこいつコビ組み立なかったのそのどんどんそういう面ではあの俺世の中が信用できなくなってきた騙されっぱスみたいなドラフト始まる死ぬ時とまた話した [笑い] みんな騙されたよなうんもうそういう意味じゃなあいい意味ではあのプロプロ向きなんだなと思うけど悪意味じゃあの人を騙すタイプはみんな んことないっすよ 撤開します
うん やっぱりみんな体ねやっぱり入った時でもやっぱ大きいしでやっぱり気持ちだけは負けないようにっていうそういう思いがねやっぱり中さ見た時とやっぱり でっけえなと思ったし だそういう感覚で入ったんでねやっぱり今から大きくなるってことも大変だし 確かに元気良かったろ表抜きにはいいんだけど中身は弱いんだよ [音楽] だも中さんもそう元気がいいっていうねそういうまちょっとこうタイプは違うんですけど まその点元気がいい中でやっぱりこう体力的に 負けないようにっていううんそういう気持ちでなんかやってたんうん [音楽] 感じがしますよねその時代はね あ最初はな
うん でもあの時代がもしかすればあったからその後の人生あるわけだから うんもう真っ黒なってましたもんね日本は とにかく練習量っていうのはねえ今の 2 軍の時代って言うとそれこそコチが騙してでも戦を騙してでも練習をさせるっていうのかなそういう環境もあったよな今それそれを感じるところはないな [音楽] うん だからコーチに後で感謝するっていう人生の出会いがあったらいいなと思うな本当はなうん 今時間を なんか 決められた時間で決められたような練習し て淡々と終わってしまうっていう練習量の なさっていうのかな俺から見るとあこれ じゃやっぱりうまくなってかないだろう なって人は向けていかないだろうなって いうそういう環境うんジャイアンツ見ても そうだしさうんいろんな球団が怪我を させちゃいけないみたいな
うん そんなメニューを組んで練習してる内容な んでね今1つ強い選手ってのかなうん 生き残る選手がなかなか 大型になってんだけど大型は上つだけで 薄いていう弱いていうかなうんま弱いよね 的にねうんそこがね俺ちょっと事例って いうかこれからあ先週教育していく中でえ 参軍とかそういう環境が整ってきただけに ね余計市場者の厳しさっていうかうんうん やらせなかったら うまくなら強くなられっていう方針みたい なものがやっぱり昔何が良かったかつった ところいいところはやっぱり継続して 欲しいよね伝統として それさえもなくなってきてる野球会だから今俺ああてパされてもやったしなあんなき奇粋練習やってたんだよなって思う練習を最近見たことないどの球団でもうんそれが自連マうん その練習のうきつかった部分っていうのはやはり伊東キャンプっていうのもあの まあれは物格だけどねあれは物格だけど俺は入った当初から 2軍でやってたような気がする
うん
うん それの相まとめの1日中その厳しさをあ 練習したっていうかキャンプを貼ったのが 伊藤キャンプ伊東キャンプの内容ってのは やってたと思う1日それやってたわけじゃ ないから普通の練習はでも随所にその 厳しい練習ってのはあ毎日の2軍の練習の メニューの中には入ってましたようん それを1 ヶ月にで凝業凝縮してやり続けてやったのキャンプがもう地獄の国の伊東キャンプです うん
そう思うけど
うんそうですね だファームなんかでもまその上下会計なんかもやっぱり結構厳しかったしだそういうとこからやっぱりこう練習してても うん やっぱり高校と一緒ですよもう先輩の顔を見ながらねこうやってたっていう まそういうのもやっぱり若い人って結構きついんだよね うんだそういう中での練習のあのなメニューでもやっぱりきついしやっぱりやらなきゃいけないっていうそういう思いをやっぱり 1年目2年目3 年目味わっての伊東キャンプだったんで確かにそれはもう伊東キャンプはきつかったですけどうん やったその3 年間のものが伊東キャンプでうん うん あれ怪我みんな怪我しないできたっていうのはやっぱりそういうとこだと思うんだよね だそれは元々そういう練習をね うんメニューをある程度はこなせれていた選手たちなんだよね それでなかったらねあの伊藤キャンプはみんながみんなやり通すことはできなかったと思う 故障者が何人も出てうとなる選手が出てきてえトータルで何人が残ったぐらいの [音楽] 練習量の内容だよ
うん うん地獄だよ本当に地獄だった 怪我なんて考えなかったですもんね うんで生のほとしすることしか考えなかったし次の日がもう起きのやでな次の日が絶対来てほしくないみたいな 早いなよまた次の日が寝たらもう朝だから うん それも門源の中門の中なんで決めたんだろうみたいな 10 時の門で起きてるや誰もいないよもうバタン球だもん 9時9時頃でも
本当ですよ うんもう朝が嫌で嫌でさあんな日を過ごしたってのはやっぱ後にも先にも伊東キャンプの 1 ヶ月しか経験してないよねでもそれが俺たちの財産だったよね うんでその伊藤キャンプに参加したベンチ は全員成功してんだから 2軍で終わってないんだから1半みたいな やつも半分ぐらいいたんだからそれが全員 成功してプロ野球のいい思いをしてえ 終わってるわけだからさ本当に感謝だよね 伊藤県に感謝ってのはうんこの人がやらし たんだけどさうんその人生に自分の人生の 中でやってきた中の1番の良かったものっ ての何だったっていう哲学を持ってたから やりきれた伊藤キャンプだと思うんだよね それかかったらメニュー作れないと思う あの練習メニュー作ったの誰だって こないださ話 になったんだよ誰だあそうですかうんお前 お前きたか いやいやそんな考える疑もないですよ 青田さんだろ そうですよねま蒼田さんはちょっと後から来てましたからね 青さんヘッドで後から来たやろどいさんか どさんとか
あとはよ峰さん いやまずは親父だろうなぱそうでしょうね ああミスターが作ったメニューじゃないかなっていう感じがするけどあと環境うん あのバのダイラとかさ階段登りとかさ あの日はトレーヌコチ見つけてきたんでしょうね そうかな俺はあのキャンプ春前に行って 出して色々聞いて聞いてですかね そうそうそうそうそう準備した環境っていうかさそれなかったらあんな環境整わないだろお前ためにやってんだもんそうそうそう あれめて本当今だったら訴えられるよ 完全にでしょ
うんまあいい思い出ですよ 思い出てっていうか最高の人生を野球人生を送らしてくれる原点を作ってくれたわけだから うん思い出だけじゃないよな感謝だよな そうですね うんみんな感謝してると思うよね うん その後お互いにあのレギュラーとして長年巨人でご活躍されてましたけれども [音楽] ま守備チも例えば中田さんがファースト下塚さんがセカンドっていう時代もなかったと思うんですけどお互いに そのお互いの守備とかとかバッティング どう見てたんですか ああこれはね色々あるわけよねうんそれ俺は 3 人士だからね元々ホアストなんて早く言っちゃってくれてるけどあれ飛ばされてホアストに塗ったんだ その前に俺サートに言いたかったんだサートにできたポジションを掴んだんだからそれは腹というやつが入ってきていってこなかった同じ人生どうなってたかっていうぐらいうんでも出会いっていうか真のライバルをやっぱ腹立つのだろうな俺にとってはうんそれが関係してるわけよしのと俺のにあの人生の中でも大きく関わってくるわけですよ で死のも腐ってる腐ってないんだよねこれうんは最初セカンドにいたからねその前の年は白塚俊おはだ間違いなくセカンドのレギュラーで決定してるような状況の中で原長には入ってくるわけだから俺たちにとって目障わりなポジションポジションにたのが腹立つの俺たちにとってよ だそれが俺の企画することによって サードに腹が入りでセカンドにし塚が 収まって俺が新しくふわっていうとこ ポジションに入るわけよその生殺を言わ なきゃだめよ うんその流れを分かってくれないとうん腹 が全部悪いみたいに思われるじゃんだから 俺そうやって言ってんだけど ででもそのことで結局俺が怪我願したって ことがすごくチームにとって大プラスに なるわけよ万弱な内野人の夫人になって いくわけだシ空気ってのはいっぺにあ払拭 していいさ屋に収まったっていうのかな 非常に重しのいいチームになっていって1 つのジャイアンツの黄金時代って言ても いいよなうんうんそれぐらいの選手の顔に なってくわけですよ だから俺は怪我してくれてありがとうって死野俺に感謝してるわけようんで俺は腹立すのに怪我させてくれてありがとうな思ってないよ俺は思ってないよもうわけねえだろみたいな [笑い] だから腹立つ腹立つよ [笑い] でも本当ジャにとってはあ最高の流れを作ったっていうかさ俺の怪我は天が与えた怪我だって自分に言い返してうん気持ちを切り替えて頑張りましたはいそんな自分を褒めてあげたいと思います本当自分大好きな人間だからな天部自己中だからということではいお前なら死んだで はい うん 何さんは中さんのあのそういったバッティングとか守備の印象っていうのはいかがですか いやひどかったよな守備なんかな え 俺守備の練習してないもんな放送なんかな そうですよね1
回もしてないんだよ ぶっちが本番なんだから プロケだよプロケでさいきなりお前サーブのグラブからホアストミット持たされてホアスト行けって言われて こんな取り方してちゃったよ [笑い] ああさんVTR 見るんだよ初めて守った時の早京受ける時とかがド素人だド素人 結構こうやって探してキャッチしたありましたね それそれじゃダメだって言われて でベースについとけって言ってそう でそれも試合中だよ でわかんない練習したことないんだから で 2 ベースなんか出た時にな本当はセカンドにベースカバーに行かなきゃいけなランナーについてって 俺はポカンとさ立ってたさ何してんだって言われてさなんですか?何にもわかんないからもうパツンとホストの上で立ってたらめちゃくちゃ怒られてさあの怒かしいぜ 俺に何も教えてないくせにさ本当だって松さんいなかったらどうしようもなかったね松さんがファストミット貸してくれたり なんかして応急処置みたいな感じですよ それによく耐えたと思うよねなあうまくなったろ うくなりだ5年ぐらいね7年連続7
年連続 すごいよね そこ強調してくれもうちょっと うん うんでも邪魔したらしいなお前のな 何
守備の邪魔をしたみたい ま時々ね 時々いや俺聞くんだよし今邪魔かったみたいな いやどんどん来てくださいどんどんもうね本当乗せんのうまいんだよいいコンビだったね [音楽] [拍手] [音楽]

特別対談②はこちら>>https://www.youtube.com/watch?v=7fEImBC8QdA&t=206s

中畑清(なかはた・きよし)
1954年1月6日生まれ、福島県出身。駒澤大学を卒業後、1975年のドラフト3位で巨人に入団し4年目から一軍に定着した。通算打率.290の打撃、ファーストでゴールデングラブ賞を7回獲得した守備で勝利に貢献。長嶋監督から調子を聞かれ、試合に出るために「絶好調!」と答えて「絶好調男」としても人気を集めた。1989年に現役を引退。2012年から4年間、DeNAの監督を務めた。また、2004年のアテネ五輪ではヘッドコーチを務めていたが、チームを率いていた長嶋茂雄氏が脳梗塞を患って入院したあとに監督を引き継ぎ、チームを銅メダルに導いた。

篠塚和典(しのづか・かずのり)
1957年7月16日、東京都豊島区生まれ、千葉県銚子市育ち。1975年のドラフト1位で巨人に入団し、3番などさまざまな打順で活躍。1984年、87年に首位打者を獲得するなど、主力選手としてチームの6度のリーグ優勝、3度の日本一に貢献した。1994年に現役を引退して以降は、巨人で1995年~2003年、2006年~2010年と一軍打撃コーチ、一軍守備・走塁コーチ、総合コーチを歴任。2009年WBCでは打撃コーチとして、日本代表の2連覇に貢献した。

インタビュアー 浜田哲男
撮影編集 市川陽介
ディレクター 池田タツ

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