1980年代から90年代にかけて「最強軍団」と称された西武ライオンズの黄金期。正捕手としてチームを牽引し、現役引退後は西武、ロッテの監督を歴任した伊東勤が明かす、監督・広岡達朗の素顔――。『黄金時代のつくり方 – あの頃の西武はなぜ強かったのか -』(伊東勤/ワニブックス刊)から抜粋して紹介する。《全3回の初回/第2回、第3回に続く》
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広岡さんの野球というのは、守備重視でしたから、とにかくプレーは基本に忠実であれ。日々基本練習の反復でした。基本練習って本当につまらないんです。キャッチャーは特にそうです。これを毎日徹底してやらされました。
シーズンに入っても休みというものがありませんでした。移動日でも、移動した先で体を動かしていました。グラウンドがあれば、そこで練習もしました。本当に休むということがありませんでした。
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試合のない月曜日も練習していました。こんなに休みがないチームも珍しいと思いました。特別な休みといえば、オールスター休みぐらいです。それだって1日だけとかでしたが。
楽しい思いは、ほとんどない
一番強烈だったのは、レギュラーとして出た1983年の日本シリーズのあと。そこで頑張って日本一になって、これで少し休めると思ったのですが……休みはわずか2日ぐらい。日本シリーズが終わって3日目には、西武第2球場で、秋季練習が始まっていました。
もちろんベテランの選手は、ある程度休み期間はあったように思いますが、我々は練習に参加させられました。
とにかく暇さえあれば練習というのが、その時代でした。ベテランも最初のうちは顔を出していたかもしれないですが、逆に練習の邪魔になるんです。厳しいハードな練習をするのですが、その練習に当然付いてこられない。だから毎日しんどくて、楽しい思いというのが、ほとんどありません。

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