松坂大輔と大谷翔平。平成・令和の世で大きなムーブメントとなった2大スターだが、1年目を迎える前のドラフト会議前後、プロの世界に入るまでは紆余曲折があった。〈NumberWeb特集:スーパールーキー伝説/全3回。第2回からつづく〉

日本ハムが「2年連続強行指名」で大谷獲得を目指した背景

 日本ハムは2012年、大谷翔平をドラフト1巡目指名したが、その前年には東海大のエース菅野智之を1巡目で指名した。菅野は伯父の原辰徳が監督を務める巨人への入団希望を公言していたが、日本ハムは強行指名。巨人とのくじ引きで菅野の交渉権を引き当てたものの、菅野は入団を拒否して留年した。

 じつはこの年、日本ハムの高校ドラフトは大豊作だった。帝京高の松本剛(2巡目)、東大阪大柏原高の石川慎吾(3巡目)、横浜高の近藤健介(4巡目)、専大松戸高の上沢直之(6巡目)と今も一線で活躍する選手を引き当てていたのだが、それはのちに明らかになる話だ。

 当時は、2年連続で1巡目指名を逃すわけにはいかない上に、この年メジャーリーグへと旅立ったダルビッシュ有の穴を何としても埋めないと――という危機感を抱いていたのだ。東海大を留年した菅野はドラフト前に「巨人以外なら渡米する」と他球団を牽制した。こんな中で、日本ハムは、2年連続の「強行指名」へと決意を固めていたのだ。

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 10月21日、大谷は父・徹とともに記者会見に臨んだ。

「自分の気持ちを重視したい。両親や佐々木(洋)監督との意見の違いはあったけど、自分の中でずっとメジャーでやりたい気持ちが強かったです。メジャーへのあこがれは高校に入学した時からあった。(日本代表として参加した)今年9月の世界選手権でも、自分よりすごい選手がいて、そういう選手に負けたくないと思いました」

 高校生では、過去に例がない決断だが、という質問に対しても、こう答えた。

「マイナーリーグからのスタートになると思うけど、その中で自分自身が納得できるようにやり、できるだけ早くにメジャーに上がりたいです」

メジャー挑戦を阻害するわけではないが、リスクは承知

 大谷の言葉を受けて、ドジャースの小島圭市日本担当スカウトは当時「勇気ある決断をしてくれた。大きな一歩だ。日本のドラフト会議があれば、同時進行で交渉を試みることはできない。その場合、彼のスタートは遅れることになる。日本球団からの指名はないと信じている」と、牽制ともとれる発言をした。

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