公開日時 2025年06月03日 14:21更新日時 2025年06月04日 13:18

長嶋茂雄さんと沖縄 V9メンバーの巨人、奥武山で広島戦 米統治下、那覇空港にファン殺到
那覇市で開催された巨人―広島の試合に先立って行われたサイン会で、サインをする長嶋茂雄さん(左端)ら=1968年11月29日、那覇市のデパートリウボウ(写真はカラー処理しています)

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古堅一樹

 3日に死去したプロ野球・巨人の終身名誉監督・長嶋茂雄さんは、選手時代の1968年に那覇市の奥武山野球場でプレーし、沖縄のファンを魅了した。

 68年11月30日、12月1日の2日間、巨人―広島の試合が琉球新報創刊75年記念事業で実現した。当時の沖縄はまだ米統治下。巨人は長嶋さんや王貞治さんら当時のV9メンバーのスターたちが勢ぞろい。広島は、巨人キラーで県出身の安仁屋宗八さんが2戦連続で先発した。

 試合2日前。那覇空港に到着した長嶋さんらを熱狂的なファンが出迎えた。当時(68年11月30日付)の琉球新報には、那覇空港での出迎えを受けた長嶋さんのコメントが載っている。

 「そりゃ、これだけの熱狂的なファンに出迎えられれば、力がこもるのは当然ですよ。よく巨人のチームはどこへ行ってもファン攻めにあうといわれるが、沖縄は別。日本から引き離された沖縄という『違和感』から出てくる同情のようなものではなく、初めて沖縄の人たちと会い、巨人の試合を見たいという純真な心にみされたからです。ジーンときましたね」

 現役引退後の87年には、多くの講演会の出演を断っていた中で宮古青年会議所の招待に応じて宮古島で講演し、高校や大学時代にはプロ野球へ進むと決め、米大リーグからの指名についても心中で考えていたことも明かし、「天才」と称された自身の努力についても語っていた。

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