中日時代に落合博満監督の“温情トレード”で楽天へと旅立ち、野村克也監督の下で首位打者を獲得した鉄平氏(現東北楽天リトルシニア監督)に、当時の記憶を聞いた。〈特集:プロ野球監督という人生/敬称略。全3回の2回目/3回目へ〉

落合監督の指摘は大正解…でもなぜ分かったのか

 中日時代、初昇格した一軍で見るもの全てが初めてで緊張していた鉄平は、「お前は元々、左打ちではないだろう」という落合監督の言葉に「はい!」と答えるのがやっとだった。発言の理由を聞く余裕はなかったという。

「落合監督の指摘は大正解なんですけど、なぜ分かったのか質問できませんでした。今考えると、何となく分かる気がします。左打者になり切れない不完全な左打者に映ったんだと思います。右から左に転向した打者はスイングに、よどみがあるケースがあります。落合監督から見れば、どの打者も不完全なスイングかもしれませんが」

 鉄平は小学2年生で野球を始め、6年生までは右打ちだった。左打者に転向したのは中学1年生の時。テレビで見たイチローが理由だった。オリックスで日本記録を更新する210安打を放った姿に衝撃を受け、左打者になると決めた。

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 当時は現在のようにインターネットやSNSが普及している時代ではない。鉄平はスポーツニュースで報じられるイチローの姿を頭に焼き付け、そのフォームを再現するようにバットを振り続けた。

「イチローさんのような打者になりたい一心でしたね」

 本格的に左打者の練習をしてから、試合で安打を記録するまで1年を要したという。落合監督は“元右打者”だった鉄平の名残を一瞬にして読み取っていた。

“地獄のキャンプ”で「そうだろう、そうだろう」

 もう1つの記憶は、2004年の春季キャンプにさかのぼる。“地獄のキャンプ”と呼ばれた沖縄・北谷でのキャンプは、当時では珍しい6勤1休のハードスケジュールだった。内容も過酷で、若手野手はひたすらバットを振る。鉄平は「沖縄にいたのに色が白くなるくらい、室内のバッティングマシーンで打ち続けました」と懐かしむ。

 キャンプ期間中は選手個々のタイミングで昼食を取る。ある日、食事の時間が落合監督と偶然重なった。鉄平は、こう話しかけた。

「夢にもマシンが出てくるんです。夢の中で自分がマシン打撃をしていて、うわーっと目が覚めました」

 すると、落合監督は声を弾ませた。

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