日本プロ野球の長い歴史の中で、ただ一人だけ50歳まで現役を続けた男がいる。1983年のドラフト会議で指名され、中日一筋のプロ生活を全うした山本昌だ。今年、ついに還暦を迎えるレジェンドにとって、30余年のプロ野球人生は果たしてどんなものだったのか。本人に話を聞いた。《NumberWebインタビュー全5回の5回目/最初から読む》

 前人未到の50歳現役。

 通算581試合登板219勝165敗5セーブ。

 球史にその名を刻んだ山本昌の野球人生は数々の挫折や故障から這い上がった苦闘の軌跡でもあった。生涯で打たれた安打数は3226本、本塁打数は341本。失敗を糧にして、遥か遠くまでたどり着いた。

落合監督から「ここまで来たら50歳まで…」

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 初めて「50歳現役」を意識した日のことを山本昌はいまでも鮮明に憶えている。

 13年のオフ、ゼネラルマネージャーに就任したばかりの落合博満が名古屋市内の球団事務所で行われた契約交渉の席に現れたのだ。落合は11年まで8年間、監督として山本昌を起用しつづけた。06年9月の阪神戦でノーヒットノーランを達成した直後には珍しく脱帽して出迎えるなど、ベテラン左腕に一目置いてきた。面と向かった落合は思いもしないことを言った。

「もうここまで来たら50歳までやれ」

 落合はさらにつづけた。

「辞めた時に50歳までやった意味がわかる」

 山本昌は48歳になっていた。落合には「その代わり、給料を下げるぞ」とも言われた。その言葉通りに大減俸を食らったが、現役をつづけられる喜びが勝った。

 32年の歩みを振り返るとき、中日ドラゴンズへの恩義を忘れたことはない。ひとりで歩んできた道ではないのだ。だから、山本昌は偉業を誇示することもなく、飄々とした口調で振り返る。

「ひとつではなく、いろんな要素がからみ合ってね。環境に恵まれたことや中日ドラゴンズだったことも大きかったですね。もともと、プロ野球選手になったこと自体が奇跡のような選手が50歳まで野球をできたことは、人生を100万回やり直しても、もうないでしょうね。それぐらいの確率のことがこの1回の人生でできたのは本当に奇跡的で、奇跡ですまないぐらいのことだと思っています」

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