プロ野球ヤクルトは、2月19日、球団マスコットのつば九郎の担当スタッフが亡くなったことを発表した。ライターの広尾晃さんは「つば九郎の活躍は唯一無二だった。日本球界は選手だけでなく、プロ野球を盛り上げた存在の功績にもしっかり評価をすべきだ」という――。


ホーム通算2千試合出場を達成し、帽子を使った恒例のパフォーマンスを披露するヤクルトのマスコット「つば九郎」=2022年8月、神宮

写真=共同通信社

ホーム通算2千試合出場を達成し、帽子を使った恒例のパフォーマンスを披露するヤクルトのマスコット「つば九郎」=2022年8月、神宮



筆者が見た「つば九郎」と選手たちの絶妙な距離感

東京ヤクルトスワローズのマスコット・つば九郎の「担当者」が死去した。2月4日、春季キャンプからの帰途、那覇空港で倒れ16日に亡くなったという。


ディズニーランドが国民的な人気を博し「子どもの夢を壊さない」という世界観がひろがるとともに、着ぐるみ、キャラクターの「中の人」については、言及しないことになったが、功績を考えれば「中の人」に対しても、情緒的なものだけでなく、しっかりと讃えるべきだと思う。


筆者はほぼ毎年、沖縄県浦添市のヤクルトの春季キャンプを訪れるが、練習の合間にグラウンドに姿を現すつば九郎は、キャンプの風物詩のようなものだった。


つば九郎は、NPBシーズン最多本塁打記録を持つバレンティン選手など外国人選手にも物怖じせず、メイングラウンドの一塁側で身体を動かす彼らにのっそりと近づいて行き、話を聞いているのか、ときおりうなずいたりしていた。


春季キャンプは、単なる合宿ではなく、レギュラーやポジションを争う「真剣勝負の場」でもある。中には、緊張している選手もいて、報道陣が声をかけるにしてもそれなりの配慮が必要だが、つば九郎は、ヤクルトの選手たちと絶妙の距離感で接していた。


NPB初のマスコットは「燕」

プロ野球のマスコットは、MLBに倣って始められた。MLB最古のマスコットは、1964年に登場したニューヨーク・メッツの「ミスターメッツ」だとされる。その後、多くのMLB球団にマスコットが誕生した。


ヴィラロボス・ブラザーズとミスターメッツ
ヴィラロボス・ブラザーズとミスターメッツ(写真=Wikibubbles/CC-BY-SA-3.0/Wikimedia Commons)


中には複数のマスコットがいる球団もあるが、ニューヨーク・ヤンキース、ロサンゼルス・ドジャース、ロサンゼルス・エンゼルスにはいまだにいない(エンゼルスにはラリー・モンキーというマスコットがいるが、着ぐるみは作っていない)。確かに大谷翔平に絡むマスコットはあまり見た記憶がない。


NPB球団のマスコットの始まりは、1979年、つば九郎の先代のヤクルトのマスコットである「ヤー坊」だとされる。同じく燕をモチーフとしていたが、プロポーションはより人間に近かった。


その後、全球団でマスコットが作られるようになった。


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