【アスアカ総集編 一気見SP vol.62】実直なるミスターロッテが語る魂の打撃理論 初芝清
アスリートアカデミア学長の岡崎香ですえ 本日のゲストはミスターロッテ初芝清さん ですよろしくお願いしますはいよろしくお 願いしますもうあの俺僕らの時代って あまりこう多球団の選手と交流ってなかっ たじゃない今みたいにまほとんどないです しでしょもうあるとすればキャンプ終わっ た後のオープン戦うんぐらいしかなかった ですねなかったよねでまプラもちろんそう だけどプライベートで話をしたりとか飯 食ったりするなんて今の選手ほどなかった じゃんほぼオフのなんかテレビ局の企画で ねゴルフやったりとか歌合戦とかあそう そうそんな感じぐらいしかなくてあのま僕 がジャのスカウト部長してる時に当時初芝 さんはセミの監督されててその時にま2度 伺ってちょっと話をするぐらいでそうです ねその時に初めてというぐらい岡崎さんと あの話をした時にすごい緊張してたの覚え てますいやいやいやいやだって監督だから こっちがもう本当に緊張していやいや そんなことないですよ全然いや本当にセの 時もいい監督でちょっとこうちょっと引い た感じでこうみんなを見渡してるみたいな 姿がすごく印象的であそうでしたかはい あのすごい人なんだなと思ってもう是非話 を聞きたいと思って今日よろしくお願いし ますはいありがとうございますよろしくお 願いしますまずあの皆さん聞いてるんです けどはいそののう小さい時からどういう 野球に関わってきてあの今があるかって いうところをこうちょっと駆け足で聞いて いってるんですがまず野球との出会い みたいなところていうのま野球の出会いの 部分ではあの自分東京の池袋出身なんです けどあの当時はあのまだ原っぱも結構池袋 がはいありましたはいまだサンシャインが 立ってない頃なんですけどああそうしてだ からあの学校とか終わってそこに行くと もうなんか野球やろうみたいな感じになっ ててそれでまそれぐらいしかなかったです ね野球やるっていうのはそれって何歳 ぐらいの時えもう小学校のも2年生とか3 年生ぐらいの時ですかねあ兄弟はま妹だあ じゃあお兄ちゃんの影響とかそういうんに はなあないですただその原っぱに行けば なんかこう自然とみんなバットとグラブを 持ってなんか勝手に集まってうんうん来た のでそれでなんかこうま野球の真似事 みたいな感じではやっていてでその後にえ 埼玉県の坂戸というところにあの引っ越し をして坂うんでそこからえ当時はあの ボーイスカウトの下のえ株組織のカブ スカウトスカうんえ池袋のやっていたの ですがでその後に埼玉行ってもそれを継続 してやりたいなと思ったんですけど周りに なくてうんでたまたま編入したクラスに 少年野球のチームに入ってる人がいてそれ にの人に誘われてから野球を本格的に始め たっていうのがもう4年生の終わりぐらい ですね4年生の終わりはいなんかお父さん がこう野球を教えてくれたとか何にもない です何にもなかったんですかはいへえただ そのスカボーイスカウト系がなかったので まあのその友達があの少年野球チームがに 入ってるんだって1回遊び来てよって言っ てへ行ったらそのままなんか入ったみたい なは僕ら九州で八さん僕より5つ年し たっていうことで僕ら九州なんではいもう 本当野球しかない時代だったんです僕昭和 36年生まれだから40年とかそれぐら いって東京でもそんな感じだったですか もうそんな感じですね他にやることって いうのはなくてうんま当然夜はもう ジャイアンツ戦がもうついてるので必然と その中継をなんか見ているっていうような ぐらいの感じだったですねうん他の遊びは もう全然へえはいなかったです池袋って 感じがなんとなくしないなんかなんか山を かけ駆け巡ってその体を鍛えて強さを養っ たんだなみたいななんとなく勝手な イメージがあるのなんかはい全然ないです ねへえあだから小さい頃まやっぱその カブトムシとかクガとか見たことがなくて あ本当はいまそれはあのデパートにいる 昆虫という違う違う山裏山にたくさんいた からいや裏山がないですから少年野球を 始めてはいで中学はどうでしたか中学は 普通のあの部活の野球部で野球部のはい うんじゃリトルとか公式とかじゃないでも その当時あまりそういうのは普及がま東京 でもなかったいやその時は埼玉にちょいた ので埼のはい1チームはあったみたいなん ですけど当時はほとんど部活の方に行くっ ていうようなイメージで学校以外の他の チームでやるうんっていうのはほとんど なるほどねなかったですねあじゃ軟式で 軟式ですはいああでどうでしたあのその 埼玉の時ははもうあのその自分たちの死の 大会から出れなかったですあの1チーム だけもうそこに全部負けて大会をあ坂年の 強いチームがあってそういそこもう新設校 で今までなかった中学校だったんですけど うんそれができてからそのそこの野球部に 全く勝てなくてだからもう全然無名です 中学ははいそうじゃあ二小学者に高校は 行くんですよねはいはいそれは スカウティングとかではないんですかいや それはもう自分がま埼玉のうんいた時に 中学の1学期までそこの埼玉にいたんです けどちょっとあの親の関係でま夜逃げを するような形でうんはいあのそっからもう 出ていったという形でそれで元々東京にい たのでそこに戻ったという東京に戻った はいですからはい高校も何も全く東京は 分からずにああはいですからその2小学者 という高校もあのいこが言ってたんです けど全く知らないというか名前もうえ そんな高校あるんだっていうぐらいの 例えば野球で甲子園行きたいからこう校に に行きたいとかあるいは自分が自信があっ てプロに行きたいからここの高校に行って こういうステップでとかそういうのは全く なかった全くないですねはいへえもうその 野球をやれるようなもうちょっと家庭環境 がそういうあそうなんだものもあも やっぱりできないというかだからその野球 をやるっていうその感覚もあんまりうん なかったですねへえはいでまいこが言って たから二小学者に行こうっていう感じじゃ なくてえちょうどまた戻ってきた時の入っ たクラスの担任が二小学者大学出身の先生 ででたまたまたまたまていうのも変です けどあの選抜にちょうど選ばれるうん強い ですよね時で自分の2つ上のえ年代なん ですけどその選抜に行くっていうのでこの うちのあの大学の付属高校が甲子園行き そうであの練習参加ってのがあるみたいだ よって言われてそれであそうなんです かってじゃ受けてみるかって言うからあ じゃあ受けてみますっていう感じで行った だけですポジションはピッチャーです ピッチャーはいでもバッティングはまま 良かったでしょだってままバッティングは ま普通にば良かったまでも中学ぐらいだっ たら当たり前だけど1番うまい人が ピッチャーするもんねああ多いです高校 ぐらいまでもそういうとこあるかもしれ ないけどねはいただ高級を投げたことが なかったのであだからそのセレクションに 行く何日か前に初めて高級でピッチングを したぐらいでへえはいそれでその練習参加 というかセレクションですかねその セレクションはどうだったんですかまでも 当時やっぱなんかこう自慢じゃないです けどいや自慢してください40以上は出て たのでその高級を初めて投げた時にマジで 初めて高級握って140kmはいいや こんなにボールって投げやすいんだって そん時はは思いました軟式より投げやすい 軟式だと投げる瞬間に逃げるとぐにゃって こう潰れるじゃないですかそうなると加減 して投げなきゃいけないので潰れ るっていうのは相当強いからですよ普通の 中学生潰れないと思うけどでもそういう 感覚があったので高級は潰れないんで投げ やすかったっていうのはああはいその時は まその合格とかどうかっていうのは全く 分からずに後に聞いた話ですともう監督 さんがそのピッチングすぐ取るっていう風 に決まってたっていうそうよねでも全然 東京でも野球もやってないですしうんだ から周りもは大体もうシニアとかボイズと かの方からもううんうんうんうんも形推薦 というところでま有名なねはい地元では 有名な選手がこう入ってくるわけだそうな んですけど自分はやってないので誰が誰だ か分からない名なんだはいそこでぶち抜い ていくんだかっこいいじゃんいやぶち抜い ていやぶち抜いていくでしょだってみんな まただその最初に入ったその量っていうの はえ3年生から1年生まで合わして10人 しか入れなくて10人はいはいその中に もう入学前から入れられたというかその量 っていうのはやっぱ有望な選手でしょ レギュラー2年生3年生のレギュラーがえ そのジジ合宿という形であああの学校え グランドは柏に千葉の柏にあって学校が あの武道館の裏なんですけどああはいです がそっからあのその12のメンバーはえ 通うという形であとは他のメンバーは全員 家から家からグランド学校っていうそう いう感じであ常時合宿だけはもうグランド から学校グランドで戻るっていうそれ入学 してもうすぐですかも入学前にもう入学前 ににはいまでも中学校中学生で140km 出したらやっぱり高校の先生もびっくり するよね監督もねあでも自分はそういう 感覚が全くなかったのでわなくても周りは ビビるよやっぱ140km中学生に出さ れると今だって高校今の高校野球だって 140km投げピチそんなにないよ全国で はいまでもそうま公式で試合をしたことが ないので全くその感覚がで最初はもう ピッチャーで高校ピッチャーではいもう いや結局は最後までピッチャーでやったん ですけどはいだから最後の3年の夏の決勝 はもう先発してますしへえはいでも入学し てすぐじゃ試合で投げてたもん1年生でだ 高校の時で大体あのダブルヘッたじゃない ですか試合は1試合目は大体3年生とかが いって2試合目はあの結構投げてました 予選はどうだったの甲子園の夏のの1年生 の時え1年生の時はええ3年生が選抜で 優勝して帰ってきたえ春の大会でえ負けて ノーシードでえ行ったんですねそれでま 当日当時の荒木大輔さんああが2つ上荒木 はい2つ上だからそことあと1つ勝てば 掃除とぶつかるとこ路で負けてしまいまし たああ1年の夏は1年の夏はですはいあで 2年3年とゴシは出てないんですかない ですはいああじゃ当日がやっぱ強い時代 ですか当日がもう後期全部行っているああ 時ですねはい荒木さんがもう1年生から 後期全部うんうん行きましたしでその荒木 さんが抜けた時に え甲子行けなかったんですよねでその時の 負けた相手が相加の小野さんその近鉄に 入ったピね左日が負けてで甲ですねでその まま小野さんは甲園行ったんですかねが はいうんうんいピチだったよねちょっと 細くて早くてね早かったですこんな早い左 ピッチャーっているんだと思いましたその 時うんだってプロでも活躍したしねはい へえで3年間ずっとピッチャーでもホーム ランをちょっと調べたら30本ぐらい打っ てる高校3年生通算はいそれどういうこと いやピッチャーで4番だったってこと大体 ま3番とか火の時は5番を入っていてって いう感じですねはいピッチャーで呼ばんで キャプテンでいやキャプテンではないです よあのキャプテンではなかったはい副 キャプテンではありましたけどもあでも ピッチャーで呼ばでキャプテン全部やると 大変だもんねそういう意味でだからそう いう意味ではい副キャプテンだったんだね いやでもちょうど自分たちの年代があの2 小学者の歴代の中でも1番人数が多いへえ あのまOBというかその卒業生が大体1 学年って10何人じゃないですかで自分 たちの台が35人最後まで残って最後まで 30人それはすごいわはいそれでもう ちょっと個性が強いのが多くてうんうん うんま結構ま悪い連中が多いというか個性 が強いイ悪い連中ってことだねまそうです 子さんは個性がないもんねだねどっちか 言うとはいそうですねはい個性的 じゃ高校の時は甲子園に行かないででも 30本ホームランまピッチャーでも良かっ たんでしょまあまあまでもピッチャーは もうま最後までやりましたけどもう今後 野球をやる上ではもう絶対ピッチャーは もうでもさ入学する時140km出て3 年間やったら3年生の時150kmぐらい 出てでしょ10kmぐらいアップして でしょだっていやもう1年の夏に肩を壊し てあが出なくなりましたし当時はあの痛い というこの言葉を絶対に言えないという 岡崎さんもそういう昭和やなはい水を飲め ない痛いと言えないなからもう痛くてもや るっていう部分ではもうだんだんやれば やるほどおかしくなるっていう形でもう ボールはそうね昔はそうだよねそれでこう 壊れていった人って多分たくさんいる だろうねはいだからそれで肩を壊して しまってもスピードはやっぱ出なく出なく なったなりましたはいあでもピッチャーし ない時は内野とかガイアとかやってたん でしょいやはい内野ですねはいやサード ですかもう初千葉さんってもうサードしか 俺イメージないんなんとなくはいもちろん サードではいサードでやっててピチャじゃ ない時はで30本打ちましたただもうはい あれあれでしょうあの中学時代は無名でも 高校3年間で一気に有名になるわけだから はいあの社会人とかま大学とかいっぱい 誘いまもちろんプロからもあったでしょま でもま先ほど言いましたけどあの家庭環境 がやはりなかなか難しいのでまず大学は うん無理ですしもう当時もプロ1本でお 願いしますということを監督さんにはもう 話をしていてもうプロもちゃんとあの来て いたのでうんもちろんそうでしょうねはい だからその時にはもうドラフトの 前日にある球団からあの明日4位で指名し ますという連絡があったというのは後の 聞いたんですけどはいそしたら3位で指名 を打ち切りで終わりまして3位で打ち切り 打ち切りですはいへまその時の えそのチームのドラフト1位がデーブです 西武ですねはいでもデブキャッチャー でしょはいでじゃ2位と3位はを取っ たってこと2位が田辺です内野ねショート ねはいで3位が誰だったかちょっともう 覚えてないんですけどそこで指名が終わり ましてでもうプロ1本でというところだっ たので就職も決めてないま大学はもう絶対 にもう他の球団からも指名なかったんです かじゃはなかったですはいその時はうん はいなんだかな内野を取れたからってい 意味なのかなまあそこはドラフトでも当時 の西武っていっぱい選手取ってるイメージ あるけど3位で打ち切りはい唯一その年が あまり聞いたことないよねそで終ってねだ からもう行くとこなくなっちゃってもう うんもう野球もいやもうやめるしかない なって いうでそれから社会人ですかあのもう 社会人しかないじゃないですか野球やろう としたら大学がないプロがないって言っ たらやろうとした社会人しかはいだその時 にえ二小学者の方からえ東芝府中に2人 ほどあのOBの方が行ってましてうんうん でその方の方にえ監督さんがちょっと話を 持ってってくれたみたいでうんあの練習 参加という形をまず取ってもらえるように えなってもうドラフトの後なのでうんで 就職するとなるともう10月にはう景色 終わってるんですよねだからドラフトが 終わった後にえその練習参加を11月の 終わりかにえ東芝府中さんの方に行ったら まもちろんやっぱピッチャーもやっていた のでまずピッチングを見てもらうという形 でもう自分はどっちかもうやる気ないです からピッチャーはもうでボールも投げて ないんでその日の練習まで1気も投げない で練習参回行ってうんもうでブルペン行っ たらもうもうキャッチャーはずっと首かけ てるっていう感じででバッティングやった はもうバッティングはもう好きだったので そうはいだから当時はもう金属ですから ああそうか金属かあはい社会人もだから それで結構ま飛ばすのはあの全然できたの でまそれで会社の方がわざわざ枠をもう1 個増やしてくれて取っていただいたいです うんへえ東芝府中って言ったらこの 落ち合いさんていうおちさんもちろんもう 抜けた後ですよね前ですから俺思うんだ けどねあの飛ばす人っているじゃんはいま ゴルフなんかでもそうだと思うんだけど 野球でももちろん飛ばす人っているじゃん はいあれてなんか先天的なのはなんか気が して足の速さと同じような感じではい なんか鍛えたら飛ぶようになるっていう風 にあんまり思えないんだよねそれ飛ば ちっちゃいてから飛ばしてるでしょだって だからそれが普通なのでうんあまりはし ないですよね飛ばすことに関してああうん だからあ自分って飛ぶ方なんだっていうの はあんまり自分の中では当時はなかったで も人と比べると1人も飛んで るっていうのはそれははいありますけども はいでもその飛ばす人をやっぱ見てると ハキとかうんやっぱハゲが太いうんって いう人がやっぱ多いなっていうのは思った ですねよく王さんが僕若い頃に上がったこ 王さん監督でハうとにかく後体の後ろ側 鍛えろって言われたはい前とか腹筋とか あの胸筋とかあんまり関係なくてうん やっぱ配筋とこうハムストリングとふって いうかうん体の後ろ側鍛えなさいって言わ れてたような気がするあでもやっぱそうだ と思いますはいすごいもんねふねいや自分 ではそんな太いと思ってないですけどいや いやいやいや普通の人の太ももぐらいあり ますいやいや今わからないけど現役中はね 中ははいあだからそれはやっぱり自分を 意識して後ろ側は鍛えてはいましたはいあ やっぱ鍛えてたはいあ配っていうのは 社会人は結局何年いたんですかえっと4年 ですあ4年かはいじゃあ結構社会人の中で はプロに入るルトとしては結構ま大体高卒 は3年だもんね3年で解禁解禁だもんねで 3年後は行けなかった行かなかったいあの 行こうと思えばうんけどえっと自分の方 からもう1年やらさせてくださいとああ はいちょっと自分の成績に納得もいかな いっていうのもありますし都市対抗でえ そうですね都市大綱の予選っていうところ ではやはり自分のチームで出たいっていう 気持ちがその時まだまだっていうのも変 ですけどあったのでうんうんうんでも結局 年た子は補強で3回しか行ってないのでで も補強で3回行ったったら3年行って るってことじゃんそうですはいすごいね それはもう選んでいただいた1年目から 行ってるってことええ2年目からです2年 目3年目4年目2年目3年目4年目補強で 行ってるんだはいえでも東芝府中はそん時 出れなかったってこともうやはりちょっと 弱い時期ですねえ弱いのかはいなんか代表 決定戦も経験したことがなくてあそうなの なんか東芝府中すごい強いメジしかないん だけどま昔はやはりそのちさんがいた頃と かはやっぱ強かったっていうのは聞いて ますうんけどうんうんうんもう当時はDH もなかったのでピッチャーが出席にあそう なんだはい入ってたっていうのもあって その攻撃的な面でもなかなか難しいところ も川崎の方に東芝もう1個あるじゃんそれ はあの自分は本社って言いますはいそっち は強いの本社はもう強いそっ強かったはい もう全然強いですああ本社ははいでも本社 は川崎だから神奈川だよね神奈川です東京 はじゃどこが強かったんですか府中え当時 ですとプリンスホテルプリンスNTT東京 うんえあとは熊谷組あ熊川組はいあと自分 の時はだからスリーボンドスリーボンド はいなくなってるとこ多いですねまそう ですねその時はもう2次予選がもうその 大体3チームがあの都市大鼓に出ていく 順番が違うだけで出てってるっていうよう なそういう時代ですねああガスとか下宮今 でいうあのJR東鉄だったですけどもう そこら辺がもう二次予選出てくれない ぐらいのへえ感じでそうなんだはいだから そこでま補強NTT東京さんに19の時に 初めて呼んでいただいてうんで3年目4年 目はプリンスホテルさんの方にうんはい もちろん社会人は東芝府州入ってからは もう内野1本ですかもう内野だけです サードだけですあーセレクションで ピッチャーしてたら首かしられて バッティングして採用されたからやっぱ そうねはいはいそうなると思いますはい うんもう1年目からレギュラーですかいや あの最初の都太の予選はボールボーイやっ てましたああま1年目だもんねはいはいで その夏から終わった夏からはもう レギュラーとしてていう感じでへもう いきなりもう4番という形でも 入りましたはいはいそっからはある程度 順調に来てますよねま順調なのかわかん ないんですけれどもうんままその後にま プロに入ってからっていとこは東芝府中で のこの練習量っていうのが相当行きました あすごかったんだ練習量いやもう本当死ぬ かと思うぐらい社会人の練習そんな厳しい のえ当時は厳しい中でもある程度上の方に 名前が上がるぐらいで自分らは高卒なので あまりそういうこと知らないですけど やはり大卒で入ってこられる方はみんな あそこだけは行きたくないっていう大学の 練習は相当厳しいんだねああでも自分ら 高校から入ってるのでその大学の練習って いうのは全く分からないこの方がやっぱり 厳しいのかな練習でよってどうなのかな 大学といや自分2小学者はそこまで練習は 厳しくないですでも元々体力やっぱあるん だあそれはあの社会人入ってそれは感じ ましたそうだよねはいただ高校の時 ピッチャーだったのでもう1時間半から2 時間はずっと走ってるのでほど体力がね それでついたのもあったと思いますしだ から社会人でま最初1年目練習結構 きつかったですけど他の同期はみんな しんどいしんどいっていうですけど何が しんどいのって最初はうんもう1日寝たら もう疲れ取れてるっていうな感じだったの で確かに野手の練習の方がやることが たくさんあって大変そうだけどはい ピッチャーの練習って結構走ってるから ピッチャーの方がやっぱ体力あるもんね ありますね当時はもう高校の時にやってた ランニング以上に社会人のピッチャーはこ そんなに走るんだっていうぐらいさらに 走ってたのでうんうんそれでま社会人3年 解禁になったけど納得いかなくて1年残り ますで4年目がはままあまあ納得行ったん ですかま納得行ったっていう部分よりも もう絶対にプロに行くっていう意識の方が あまあ高かったですねはいまもう1つの 理由としてはあの仲良くさせてもらってい た社員の方にもう体を作るっていう名目で 言えばかっこいいですけどもや当時お金が ないのでお金を借りまくっててもうプロに 行かないと返せないと景もらないと はいだからもうそこを必死にああはいもう 絶対このお金を返すっていうあえまあとは ま親をなんとかあの片親なのでえなんとか 楽にさしてあげたいっていうものはもう 中学の時からも片でしたのでだからその 部分が大きかったですねうんうんうんじゃ そう意で本気のハングリーなんだ やっっぱりま4年目が一番そういう気持ち は強かったですねはい間違いなくプロに 行けるという風なまもちろん3年目から そういう話があったんだろうから あのいろんなとこからスカウティングが あったわけでしょま当時はあのはい いろんな方とまお話はあのまお話っていう かまちょっとご挨拶程度のスカはい方たち とはあの挨拶はさせてもらいましたはい うん希望はどこだったんですか希望は セリーグま あの東芝府中の中でも何人かプロ入りされ た方もいてうんヤクルトが1番いいぞて いう風に言っててなんかあヤクルトなんだ あヤクルト行きたいヤクルト行きたいって だんだんそういう風に何がいいんだろうね ヤクルトあ雰囲気かなま雰囲気とかあと その野球を辞めた後とかああそういうもの があのしっかりしてるらしいよっっていう それだけでなんかるとかだていうイメージ がありましたやめた後会社がななんとなく 面倒見てくれるって意味かなそうですね 社員にっていうはいとこもあったのかなっ ていうのはじゃ役と希望だその時はあの 気持ちがあって当時のスカウトの方が安田 さん安田さんあピッチャーのピッチのはい 安田さんがあの担当 あだからやさんが来た時によっしゃと思い ました ああも来てくれたんだっていうほほほほま でも結局はまあの何球団かは来ていただい たんですけれどもていうとこですうんで 最終的にはセリーグに行きたかったま当時 やっぱりパリーグって全くわからない パリーグもでも3チームあったのか関東 関東が良かったんでしょだってまま関東 出身ですからま関東っていうのは西上も まだ2番もはい後楽園ですからの時代が はい後楽園にあったありましたはいリアム とま西武と西武とロテですねはいまこの6 球団だったらまあまあかっていうところま でもあでもセリーグかセリーグもですね 当時はやはり放送があるのはもう ジャイアンツ戦だけなのでもう ジャイアンツと対戦相手っていうところ しかほとんど見れないのでうんでパリーは まず放送もうんないですしだからパリーグ の選手自体がよくわからないうんうん見て ないもんね見れないですからはいうん 分からなかったですで蓋を開けたらロッテ にされてはいはいでもプロっていうプロ入 りっていう1つの目標は叶ってるわけじゃ ないですかでもまはいセリーグがいいな在 のセリーグがいいなっていうところで ちょっとま微妙なところなんですかね どっちが強いんですかねまプロに行く以上 はもうかかればもういけるわけですから そっちのが強かったですねうんまあそう ですね絶対そうですようねはいうんただ 会社の方からその条件を出されていたの でっていうところですねドラフトの時はあ 東芝府中の方からそうです条件とはあの 会社からあのままず出さないよっていうの から始まるわけですよ会社からすればあ そのドラフトに上がっても出さないあの そんなことあるんだあでも当時は多かった です結構指名されて当時は指名されてから まだ1年間保有権うんうんうんあって自分 の上の先輩がその前の年にロットで ドラフトサインで指名されてたんですけど シーズン終わってから入団うん昔あったね シがねはい伊藤正さんっていうピッチャー なんですけどが行ったっていうところでも あドラフトに上がってもまだこうやって 社会人でうんプレイしてるんだていうのが あったのでだからそう簡単にはあの出さ ない出せないよっていうのはもう最初言わ れていてへえでもプロに行きたいのでもう 絶対指名ありましたらもう行かして くださいもう会社ダメだっていう話から じゃあ条件を出しますていう話でうんうん え関東の球団うんえドラフト3位以上うん ロッテ以外っていう条件だったです 会社がなんかななんで会社ロってがダメな たなんかなんかあったのかなそれまでいや 当時はおじさはまベストだっておさん行っ てるじゃんねでもおさんも最初試出てない んですよロッテ知ってる1年目1年目は1 年目の夏ぐらいまで軍にいた俺一緒にやっ てる軍ではいだからそれがもう会社の イメージからするとロッテに行っても使っ てくれないいやでもも夏以降一軍に行って バ すごい打ったよもうそうなんですけどでも なんかそういうイメージがあったみたいで もう単独使命でしたロッテ以外っっていう のはあそうなの会社のイメージではい イメージだったと思い ますでも条件2つ外れてるんだ関東だけ しか合ってないです関東だけしか合って ないんだはいえそれ会社ってどの辺の圧力 なんすかあでもやっぱ監督さんですよね はい当時の監督でどうなるんですかね結局 入るわけだけど監督やっぱ説得するわけま そこからはままずそのドラフト上がった時 に大体周りって喜んでくれるじゃないです かでももう周りその条件を知ってるんで みんなため息だったですうんでも自分は もうプロ行きたいってのはま周りはもう 選手たちは応援してくれてたんですけど もうそれを知ってるものなのでうんうん ドラフト上がってるてみんなではあって こうため行きうんでも3位までていう条件 が出されてるから はいあうなん だっんに4位のロッテてかかるわけでしょ いやでも当時はその中継とかそういうもの 全くないのであドラフト1ぐらいはなんか こうありましたけどそれ以下だと分から ないのでだから当時はその両の方でその ミーティングみたいなのをなんかグループ ディスカッションみたいのをしていたんで マネージャーが部屋に入ってきて指名あっ たぞっていううんうんでどこですかロって うんえドラフト4位 えでいたそのメンバーが はあああねああでそこからあの当時 マネージャーだった方がその高校の先輩 うんうんっていうものもありましてそこ から監督を説得するっていうのが始まった ああ大変だったですかもうしょっちゅう話 に行ってうん最初はもうダメっていう感じ ですかもうだ条件出したよねああもうそり そうですよねはいだから最初もうその話を されるともうあのその席にまでもついて くれないというかなるでももうどうしても もうプロに行きたいっていうのもあって 当時のマネージャーの方と毎回作戦を練っ てうんうんうんうん来いっていうぐらい 言ってで最後の最後に折れてくれてていう とこですうでも監督の中でもちょっと試し たのかもしれないよねその本気度みたいな のそういうことじゃないのかなじゃないと 思いますはい単純に言ってほしくなかった んだいやあのやはり主力じゃないですか予 を打ってますしでチームも低迷してますし そううんやっぱ1番こうあの言われて答え たのがこの弱いチームをお前は見捨てて いくのかいう風に言われてそれはちょっと きついなその言い方はきついねないま当時 はやっぱりそういうことま普通に言われる じゃないですかはいうんそんな責任のない 男なのかとかうんやっぱ言われるんででも 当たり前だけど主力がスカウトされるわけ だからね脇役は申し訳ないけどスカウトさ れないわけだから出ていくのは全部高校で あろうとま高校は卒業大学も卒業なん だろうけれども社会人の場合は視力が全部 出ていくんだからさ仕方ないよねまそれは ま仕方ないですけどこっちはこっちで個人 的な理由もありますしっていうあ感じです からとにかくもうプロに行きたいっていう でままいろんなことがあって結局説得をし てプロに行きました監督誰だったですか 有藤さんのえ3年目の時ですさん3年目 はいだから最後の年ですね有藤さん3年 やってるんだはいああ前愛子さんに来て もらってね有藤さんの監督の時代の話聞い たら結構やばかったっていう話をいやでも だいぶ練習量は多かったんですけれども それ以上に東芝府中のが練習量多くてうん ああ最初キャンプ行った時に練習が物足り なくてマジでめちゃめちゃ体力あるんじゃ ないはいだからえプロの練習って楽だなっ てもう最初入った時に思ってでそれでま物 足りながらやるじゃないですか残ったりと かうんうんでそういうのがあったのがま目 に入っていただいたっていうのは後でアト さんに聞きましたまあこさんも言ってたん ですけど自分入ってオールスターまで1日 も休みなかったです移動日も練習あもう 全部必ず川崎に戻るっっていう感じですね すごいねはい有田さんて自分も多分そう だったんだろうねなそんな感じがするよも やっぱ厳しいですね強そうだもんね体ねあ 強いですはいはい ああだからそれでまえ自分も最初ちょっと 怪我をして開幕は入れなかったんですけど 5月から行ってえそのシーズンは最後まで ずっと1軍はいいましたはいあのキャンプ も1軍でで競してオープン戦かなんかきた オープン戦ですはいで開幕は1軍入れ なかったけど5月から1軍でずっと1軍で 70試合はい当時サードサードでしょ サードが水上さんあさんでものイメージだ なねはいでもその時はもうサードに佐藤 さんじゃあ佐藤さんがシト2軍でね佐藤 健一さんも俺もファームで一緒にやってて 佐藤さんもま水上さんもすごい上手だった けど佐藤さんもうまかったなだから当時は 試合が壊れないと出れないうんいうさんだ もんねはいだから大差がつくともこの試合 に出れるっていうあま普通考えちゃいけ ないですけど早く大ならないかなみたいな 考えちゃいけないこと あプロの自分が出てないとさチームが勝っ てもさ正直さそらうんそら表向きはね喜ば なきゃいけないけどやっぱ生活かかってる わけだからプロだからアマチュアじゃない しねはいうんだけどま表に出しちゃ あんまり良くないけど一応チームプレイだ からはいでもやっぱり怪我しねえかなとか あの超不調になんねえかなライバルがあっ てそれ思うのが普通よじゃないとなかなか チャンスがこないもん自分にうんないです ね昔は本当来なかったってはい今はさすぐ ね調子が悪かったら変えてくれるけど昔 なんかレギュラーの人なんてスランプでも なかなか変えてもらえなかったでしょない ですねはいうんで大佐になると水上さんに 変わって時々出れたいはい最初はそういう 感じだったですねはいう初ヒット覚えて ます初ヒットはあのえ京都の西強国西強国 はいあはいそこではい 初ヒットを打ちましたへえもう早い段階で もう試合合流してすぐすぐだったですね はい初ホームランは初ホームランもえ 鹿児島鴨池が初ホームラですあこれもね初 ヒットと初ホームラやっぱ覚えてるそれ 以外はもうほぼほぼ覚えてないけどはい はい初ヒットが斎藤明夫さんでおで初尾村 が山根さんっていう広島カーブのね広島 球場で西武の方にそうだっけなはい自分 初めて打点あげたのが山根さんなのであ本 スライダーピッチャーですカってスライダ をああっと思ったらカもうなんかポンって マシンに当たってライトスタンドに入って 未だにその弾道っていうのをはい初ヒット と初オムだけは覚えてるのかはい覚えて ます覚えてるよねはいその初スタメって いう初スタメンはいのがやっぱ印象が強く てはいそれがま鴨池鴨池なんですけどま 当時ロッテは鴨池でキャンプをうんしてい てえまシーズン中もその鴨池で鴨池やって たんだはいやることがはいありましてま 当時はダエホークスが九州福岡なんです けどうんうんえそちらの方で試合をや るってい大優戦をはいそうですはいでその 時にえ練習アップっていうか練習中に マネージャーが来てあの監督が呼んでる うんちょっと行ってくれうんって言って その監督がいるだろうっていう部屋に行っ たらいないんですようんあれいないなあと 思ってそしたらマネージャーがシャワー室 行ってくれってはいシャワー室でシャワ室 ってこう分れてるじゃないですかうんうん でそこの1番端っこにうんあの椅子置いて うんドーンと座ってるんですよあシャワ 浴びてるわけじゃないじゃないですよ ユニフォームとこで座ってるんですようん いや普通監督がま監督 室そこじゃなくてシャワー室でうんボーン て電気もつけずにうんボンって座っててで おい今日からスタメンで行くから変なこと したぞてその一言 です本当にはいそれでそれスタメン行き ましたでも今日からって言われたはい今日 からって言われましたはい今日はじゃなく てはい今日からああだから変なことしたら て本当にますからね でもさすごい嬉しい言葉だよねスタメンで 使ってもらえるっていうことはレギュ ラーっていうことだだろねはいそれはあり ましたねですからもいいよねうんまあ大体 練習でもやってましたしはい何回ももん はいそこはもう近距離のなんかもう最悪 です からもうこんなに手加減しないでこんな近 距離で打てる人って初めて見ましたあそう なのはいだから内野の累感じゃないですよ 累感まだ前ですああそこフルスイングで ノックしてくるんですからああだもま もちろん正面来ないと思うじゃないですか 正面も落ちますからない当たるとこは来 ないよね普通普通はですけどはい全然関係 ないすへ体で止めろといや体で止めた グローブそのためにグローブありますから グローブで取らなきゃねまだから必死です よね体当たらないようにどうやって動くか とかああ体で止めろっていう指導だったよ ねまずねあの掃除ってねはいそうですはい ああでやっぱそういうところから始まり ましたねうんでもそれを体感してるとさ 普通試合でそこそこ早い打球来てもさ やっぱスピード感的には楽だよねまそれは あり ましはいですからまサードっていうところ ではま当時右のプルヒッターも多かった ですしうんブーマーとかはあまやっぱカグ は特にすごかったよやっぱ本当多かった ですねサード頃があこよりもじゃあ4つ3 つ下なんだえっと4つですかねつああいい 先輩でしたあでもいい先輩でしょあの すごい人当たりはあのすごいいい人うんで あんまり自分もなんか変変なこと変な ことってないですけどだから周りの方は すごいもう愛子さん悪い人だ悪い人だって やっぱ言うじゃないですかま不良っていう 風にま本人も結構言ってましたしでも全然 うんうん何もそういう人に限って面倒みが 良かったりねはいはいまでも当時は あんまりこう上の人とこう喋るっっていう のがなかったななかなかないですしやはり 当時は西村さんもいましたしああはい西村 さんねはいセカンドセカンドで自その後 センターの方に行ってますけどはい行です から大体もうその上の人に自分の方から声 かけ るっていうのはまずないうんですからうん うんうんただその2年目のえ入った時に あの川崎のロッカーが3つありまして野手 のレギュラーロッカーピッチャー人のバま ピッチャー人ロッカーと え自分らビコ隊って言ってたんですけどビ 体はい要するに入れ替わりが激しい メンバー2軍と1軍のねていううんそ固定 のロッカーと入れ替りのロッカーあるわだ それが2年目にそのロッカーにあの配置さ れましてえいいロッカにそうです固定の ロッカーに2年目にはい2年目にだから もう上の人しかいないじゃないですかああ 嫌だねなんかいやもういられなかったです 嫌な感じだねはいだから常にあの体の方で いいよねいやそっちはそっちでダメなん ですよあはい入れ替わりが激しいのであだ からもう休憩時間なんていうのはもう ほとんどあの球場の事務所の方に行って ましたああいたくなくていやいるとうん やっぱりこう何か買ってきてとかこう色々 こう走りにされるわけ頼まれるじゃない ですかそうラーメン美味しかったので球場 ねそれは知ってる俺も言ったことあるはい それもあったのでへえはいだからほとんど ロッカにいないようにはしてましたけどで もやっぱ言いなきゃいけないじゃないです かでも上の人にこう自分から話しかける なんていうのはもう西村さんいる愛子さん いる博さんいるああていう感じですから 西村さんってでもなんとなく優しそうな イメージがあるじゃん話すると今はすごい 優しいですけど当時はやっぱもうピリピリ ピリピリしてましたからそう監督した じゃんその当時僕話したことあるけど すごい優しい人だなと思いや優しいです はい九州の人だよね鹿児島かとかはい 鹿児島ですはいうんでも当然やっぱ現役ん 時はまそれは現役のレギュラーの人って なんかピリピリして勝手にこっちがなんか そういうイメージを作っちゃってねはい ありますねああえやぱ当時はもうロッテだ と西村さんと愛子さんってもう看板選手 じゃないですかあそうなその上はもうい なかったのじゃその上はなかなかこの レギュラーっていう年齢ではいなかった 横田さんであったりとかあいうことたね はいあじゃあ愛子も結構上だったんだもう 当時はもうレギュラーですからうんうん うんうんもうそういう感じでしたねえも じゃ落ちさんもいないおちさんいないです はいじゃあ入ったとから6番背番号あ最初 0です背番号はえ0はい俺6番って イメージだな6番だよね最終的に最終的に は6番ですけれどもゼロはいあああんまり イメージ何年つけたゼロ6年ぐらいはえ そんなつけたはいつけてますはいま川崎3 年間 やっでその後えマリンに移ってあのピンク のユニフォームの時はまだ0番でうんうん あそうかで当時はあのま落ち合いさんがけ ててその後上川さんが神川さんはい6番を けておさんと変わってきたんだもんねそう です中日からねうんはいでその上川さんに あの結構面倒を見ていただいてで神川さん が辞めるタイミングで球団の方にあの6番 くださいて言ったらすぐいただけたので へえやっぱ神川さんがもうお上がりになら れたのでやっぱそれでなんとかお世話に なった分頑張りたいなっていうのもあって へえまそれも1つありましたしえ当時山本 浩司さんがコーチでいたんですけども0 なんか数字じゃねえっていきなり言われて うんなんでゼロなかつけてんだて言われて いやこれいやよいされた番号なんで自分が 希望したわけじゃないですからだから0は 数字じゃねえからずっと頭に残っててうん うんうんそれでまちょうど上川さんが じゃあゼロはロッテの初代え初代は坂巻 さんというピッチャー日本ハムにいたさ ピッチャーなんですけど巻と言ってうんで この方があの2学者の高校の先輩なんです 先輩なんはいその方が0番をけてたのが 初代初代なん2目でちょうど自分が入る時 にえやめられて裏方さんの方になったので まあなんか0番をへえ引き継いだような形 にはなりましたなるほど ねとさんの話をもっと聞きたいななんか織 さん面白い話ないビターのにと夜とか 出かけたりするじゃないですかうんで やっぱこの街中でもう文言時間が過ぎてる 時にやっぱあったりするわけですようん するよねそうするとなんでお前まだ帰るな とか帰るなはいまだ行っとこみたいな監督 でしょはいだから監督も文言破ってるじゃ ないですかうんうんだから監督も監督だっ て文言ないでしょ監督あるのかなまでもま 応まチームの中では言ていうのはわ うん隠れるないれでも隠れられないって あるじゃないですかもうそん時はもう やばいなと思ってもうでもそれでももう 行け今からとかてやっぱそういう感じだっ たですね豪快な人なんだなやああもう当時 やっぱそういうのありましたねだロッテて もう選手もだってすごかった じゃんあのちょっと前のそれこそリさんと かハモさんと はいなんかさんがさんに見えるような メンバーだったじゃんちょっと上ってさ はいなんかすげえんだろうなと思ってあこ が普通に見えるまあこさんお酒あんまり 飲まれないのでだからそういう部分では あまり名前上がらないですよねその文言を 破るとかっていう部分ではもうそれ以外は 結構酒飲む人が多くてうんうんその次の日 のウォーミングアップま特にキャンプ中は この連帯補聴でこう走ったりするじゃない ですか当時すごいねあのてポール感をそう するともう休み明けの時はもう後ろにい たら前からもう芋焼酎の匂いがもう すんごい来るていうような状況だったです ねああだからもう結構飲み行かれる方 多かったなっていうのはそ時代はでもま 当たり前だけど時代が変わってもそれって もう30年40年前の まそうなんだろうけど個性っていう意味で は絶対あったよね昔の個性っていうかな なんて言うかな右向けって言ったら右向き 人が少なかったような気がするなんとなく はいはい昔はそれはやっぱ感じてたですね あはいだからもうある選手なんでこんなに 練習してないのに試合になったらこんなに 打つんだろうとかああもう下手したら ウォーミングアップも何もしないで いきなり試合出る人とかうんやっぱいまし たからうんだからなんか真面目にやってて 叶わないって何なんだろうっていうのは 思ってましたねああだからそこのギアの 上げ方なのかうんそういう部分っていうの はどういう状況でもそのえところには しっかりしていなきゃいけないっていうの はもう結構勉強になったですねなんか ロッテのに入団してこのコーチにこれを 座って何か掴んだとかこの選手のえに影響 を受けたとかそういう人っていますかいや まずはあの池部さん池部さんはいはいはい はいコーチバッティンコーチの方にうんえ 94年の時に結構あの教えていただいてま もちろん技術もそうなんですけどその年に もう常に言うことがオールスターでろ オールスターでろてていうのもシーズンの 最初からもううんうんあの言われました すごいでななんでですかって聞いたらまず オールスタン出て名前を売れとうんもう そういう風にしていかないとパリーグ なんて目立たないからうんでもオール スタンでればそれだけ認められた証拠だ からねっていうのを言われてまずそこを 目指せていうのはずっと言われててま もちろん技術もあの教えていただきました けどもでそこである程度え成績上げること ができて初めてオールスターの方にうんえ 生かしていただいてでその次の年に中西 さんが中西さん太さんが知になってその人 のバッティング理論っていうものを教えて もらった時にえ自分がこううまくはまっ たっていうのはうんありますねうんだから この2人はもう本当バッティングに関して はっていうのは選手誰かあります目標にし たとかなんか影響を受けたような人ってま 影響っっていうところではやはり西村さん が西村さんはいやはりあの一緒にやって いる中で周だしを取られてまもちろんあと 上川さん川さんていうところでこの影で すごいこう練習を西村さんはそこまでは僕 はあのその練習とかは分からないですけど やはり神川さんはそのグランドだけじゃな いっていうところも本当に教えていただい たのでええ自分がこう文言を破って帰って きてエレベーターで部屋の方戻るじゃない ですかチーンって履いたら目の前で神風が バッと降ってるわけですよへえ宿舎ででも はいだからもうこういうのがもうその時 神川さんにもうやはバッと振ってなんぼ だっってうんいくら酒飲んでもいいけど バッと振れよって一言すっとはいいい先輩 だよねやっぱそういうのが伝統だよ やっぱりねはいそうですねはいで95年に はい打点を取るじゃないですかはいあの 打点を最後に田中幸夫選手と一郎はいと 争ってはいあれ確か最終戦の最終打席はい そうですにホームランはいあ何なんですか その漫画のようななんか普通はないじゃ ないですかでもその最終戦の時にはあの 当時ボビーバレンタインバレンタインのえ 監督だったんですけどあの 打率の話に最初なってうんで2打席3打席 分体2打席分体したら一応3割はキープ できると2打席うんはいただキープは できるけれども2割キューブ輪7もあ 繰り上げて3割っていうとこでだから2 座席本体した時点で呼ばれてえどうします かうんあのここであの試合出なければあの 3割はキープできますうんでも自慢も打点 の方やっぱうんうんあの気になっていまし たし自分たちが当時その田中幸夫と一郎 よりも先に試合がシーズンが終わ るっていう最終戦だったのでうんああそう なんだその時にえ田中幸夫と打点が現地で 並んでたんです並んでたはいだからそれで 選1打点でもあげないと え絶対はないのでえもうその打点を絶対に 1打点でもあげたいのでもう打率はもう あと何年経ってでもそこは目指せるけど 打点っっていうのは自分1人の力ではもう どうにもならないのでそちらの方にあの チャレンジさせてくれとうんいうことでま オて言われてうんでもその試合4打席経っ たんですけど4打席とも1人もらいなかっ うん です底上げのホムランしかないもうない ですしかと言ってでも3最初の3打席はま ホームランはま狙ってないですねどっちか とその時はランナーいないので1本ヒット てば打率が確定するのでそういう気持ちで サダス行ってたんですけどやっぱダメでで もサダス分体した地点ではもうヒット打た ない限りは3割乗っからない打点上げるに はもうホームランしかないあでもう初めて そのホームラを狙いに行ってあのダスは 迎えました初めて初めてですねもう絶対に ホームランしかないっていう状況でホーム ランを狙ったま状況的には間違いなくそう なんだけどいつもホムラン狙ってるでしょ いや狙わないですはい打席ではどういう 気持ちなのもうとにかく普通にシンプルに 打とうっていうよくヒットの延長がホーム ランっていう人とホームランの打ちそな ヒットっていう考え方の人っていると思う んだけどはいヒットの延長がホムランって いうタイプですかでも自分はあの長距離 じゃなくて中距離と思っていたのでプロの 世界ではだから長距離ではないなっていう のはえ長距離ってイメージがあるけどいや でも自分はもう中距離っていう気持ちだっ たのでそのホームランを狙うっていうのは あまり考えることがなくてでその出席だけ はもう相手のピッチャーが豊田うんなんで はい抑え当時抑えをやっていたのでで出て きてもう吸収コース高さ弾道それも全部頭 の中に思い浮かべたものが全て出たのが あのダスです へえすごいなもうはいそれでもう打った 瞬間あこれで1点取ったっていうああで もうこれでもう逆転されたらもうしょうが ないっていうところで自分たちが自分たち が試合終わった後に田中幸夫があと1試合 一郎があと2試合うん残っててシーズン その時は終わりましたうんでその後に田中 幸夫が最終戦で1田にワンアト3塁で レフト前にヒット打ってで並んだで2試合 残ってる一郎はえ最終戦までまだ2打点 少なかったうんうんあこれもしかしたら 一郎はそのままは来ないかなと思ったら その試合でツラ打ったんですへえはいそれ で3人並んだはい並んで終わったっていう ところですでもその座席って自分のプロの 全ての座席の中でもベストに近いですよね はいベストですねはいあれ以上いろんな イメージができてイメージ通りに行くって いうのはねのはないですねはいうんまそこ まで考えることも逆になかったですしうん だからなんであのダスだけそんなことを 思えたのかなっていうのはあますでも 2003本以上ホームラン打ってたら長 距離バったですよいないでよプロ野球歴 200本以上売ってる人そんなにいない よこれを長距離って言わなかったらみんな 短距離になっちゃうよだっていやいやでも そまあ上の方はいっぱいいいやそ上の人は いるけど200本打つっていうのは なかなかいないよななだから本当にいない でしょだってロッテで2本上俺の周りも あんまりいないよ2ポ上ほまい ないはいそうですねまロッテはまたあの 特殊な球場ですからホームランが出づら いっていうのも川崎の時だったらもっと すごかった川崎暗くてボール見えないです いや川崎はでもちょっと狭かったけど暗い の暗いですはいじゃデゲームが良かったの まデゲームは良かったですけどナイターに なるとスカーボードの文字とか見えなかっ でも当時はラガンでやっていたのでナイ タってそういう風に見える だろうなっていうなて目が悪かったの目が 悪いと思ってないんです自分があ知ら なかったの自分の目が悪いことはいそれで あのどうしてもナイターはもうスカー ボードも見えないですしいやいくらなでも プラ野球の球場で暗いとかスカボード見え ないってないよ自分を疑わなきゃだめだよ でも全然そういうのがなくてでも当時は車 の運転も昼間は眼鏡かけないけど夜はメガ かけてたんですようんでふとしたことに 眼鏡をじゃあかけて見てみようかなって 思って出席にそのまメガネをかけて行っ たらボールってこんなによく見えるんだと 思ったですああはいそっからもう眼鏡は ずっとだんだんだんだんやっぱり知らない うちに目って悪くなっていくよねと思い ます結局野州は目が追いつかないからそう あの現役はピッチャーの片よりも早いじゃ ないですかうんうんうんだからやっぱその 目っていうのは当時そんなに気にするっ ていことはなかったのでコンタクトじゃ なくてメガだったもんねだってコンタクト もあのやったことあるんですけどあの マリンは風が強くて守備につくとあの前 から風が来るのでベンチに帰ったらもう目 の中のコンタクトなかったんです よ飛んではい飛んじゃってそんなこと自分 も何回もあったのでまドライアっていうの もあったと思うんですけど俺もドライの人 コンタクトできないって言われたんだけど あ当時言われましたそうでしょぎちゃう からはいはいであとは乱の強制があまり コンタクトできなていう風なまだ時代だっ たのででも眼鏡よりはコンタクトで見えれ ばっていうので試したんですけどいやでも うんでもあの風でもう帰るたび にないんですよコンタクトがそうなのはい だからもういやもう眼鏡の方がいいやって いうでも目ってさ普通にさ生活してると 気づかないけど知らないうちにやっぱ知 送って落ちていって僕ジャイアンツの ヘットコチしてる時にね東京ドムって やっぱ乾燥するのよ俺もドラ合ではいこう いつも住血してんだけど充血してる時って やっぱ視力も落ちてるらしくてもうサード 紅茶かんだりさもう打球がこう左中感飛ん でいくと見えなかったりするわた当時ま原 監督ではい村田っていうコーチがいて村田 新一はいどこな見えないのっていうから ちょっと見づらいんだよなて僕の目鏡 ちょっとかけてみてよてパッてかけたら うんもうレフトスタンドのお客さんの顔は いやそれぐらい見えたはいあこんなに俺 主力落ちてたんだと思ってその後もメガネ す作ってやっぱ連子あの乱しの円子があっ たみたいで視力は1.5とかあるんだけど やっぱ遠くが見えなくてはいこんなに違う んだと思ったその時はいあじゃ同じそれ から話しられないですねはいでまた自分も 眼鏡かけてあのユニフォームもこうあの 上げてていう当なんかタゴサスタイル みたいなタゴサって言われてたのでうん畑 仕事するようなこういうなんかでそれで 当時メガかけてプレイするっていう プレイヤーもそんなにいなかった古田さん ぐらいしかいなかったのでああだからそう いうのもあってなんかこう1つのトレード マークみたいな感じになっちゃってても なんかもうメガネがもう外せないなって いうま危ないって言われてたよね野球が 当たったりするとさやっぱりが割れて みたいなはい言われ方はしてましたよね その恐怖感はでもなかったうんあそれは なかったですねあのボールよく見えるよう になったのでまそうはいはい打席でもはい 雨が降ったりするとあそれはやっぱ きつかったですねはいだからずっと曇っ たりあユニフォームのポケットに ティッシュを入れていっつもこうやって前 を拭いてああであと湿気ですね曇って しまうそうだね特にあの当時はだから西武 ドーム行くともう出し入るために前が白く なってしまうので何回もタイムかけてこう やてパタパタパタパタねで当時の伊藤さん にお前いい加減しろよて言わワイパーけ ろって言われなかった言われました鉄板や なワイパーけろけ鉄やロッテ初の1億円 プレイヤーああなかなか1億円もらえ なかったよあの時代当時はそうですねはい うんなかなかもらえなかったジャイアンツ でも原さんぐらいしかいなかったんじゃ ないあの当時1億超えてる人ってはいはい うんまその打点を取った時ですかそこです ねはいああいくらから一億になったの えっと当時6000ちょっとぐらいから 4000万ぐらいあったんだですねもうあ そうですねそれぐらいではいでも打点を 取って3割もクリアしてはいねそれはなる よねはいまでもその時にどうしても田中 幸夫と比較するじゃないですかああでチは 2位で行ってるわけですその年うんうん どってかねはいでも田中幸夫の方がうん アップ率が上だったんですよ自分よりも 1000万ぐらい多分上だった日山はどう だったのそいや5位か6位あはいそうであ ちょっと納得いかないねでそれでちょっと ブーブ言いましたけどうんうんうん向こう は向こうこっちはこっちって言われました 当時は うんまあでもそうだねだ他のチームとこ こうなんて言うかな比べちゃいけないん だろうけど比べたくなるしでも打点同じで タイトルを取ってるわけじゃないですかで も自分らが若い頃はチームが勝ってないの 給料なんか上げれないよあそう言われ たってずっと言われたのでいや一応チーム も初めて自分入ってAクラス入りましたし タイトルも取りましたうんもうどれぐらい 上がるのかなでも4000万ってなかなか 上がらないよま当時はそうですねはいも今 とも全然違いますからま今とは違うけどね はいじ当時の方が多分球団儲かってない今 の方儲かってんのかないや今の方が全然お 客さん入りますしうんでもどうなのかな今 の方が儲かってんのかな例えばジャイアン ツって今の方が儲かってないと思うけど昔 のが儲かってると思うよそうああでもなん で今の選手のが給料高いかすごく疑問なん だよ昔どんだけ球団儲かってたんだと思う よねないだって昔はだって知オファ毎あっ たんだよはいありましたねはい今の方が 上がってるかもしれないけどうんあの絶対 昔の方が影響あったと思うんだよなわかん ないけどまでもあの大監修の中でやられ てるのってすごい羨ましかったですうん あのすっごい生息で申し訳ない言い方だ けどやっぱ慣れってあるよ [笑い] ね当時やはりジャイアンツさんはもう常に 上昇の中での戦いじゃないですかあ当時の ロッテは大体5月ぐらいでもう消化事 始まるわけですよ5月ぐらいに始まらない けどねいやもう大体5月に大連敗してうん で大体もう無理ですよねそっから1回さ そういえ近藤さんの時にさ1818連敗 あん時言たでしょはい言ましたどどうだっ たのあの雰囲気いや全然選手感はない何に もはいなんま最初はなんかわてないよねっ ていう感じからうんだんだんこう周りが こう騒ぐじゃないですかかあの何連敗に なった何連敗になったっていうので だんだん選手たちもあれなんか全然勝てな いっていうような雰囲気にはなりました けどうんだからその試合の終わり間際に もう負けてるとあ今日もかっていうような 雰囲気やっぱりありましたねうんまでも 負けが続くと本当勝気がしなくなるしない 勝ちが続くと負ける気しなくなるしあれ すごい不思議ですよねありだ自分がそう 思ってるってことは多分うんチーメみ同じ ようなこと思ってんだろうからはい やっぱりフのレンサーっていうのは絶対 あるよねあると思いますはいなん勝てる気 がしなくなっちゃうと本当勝てないよねし ててもそはいだからそれがもうそのよく 有名なシーンの黒木がプリアに打たれた ツラもうグリーンスタジアムでねはいう あれでこれでも勝てないのかっていうので もがっくりしたのは覚えてますけど近藤 さんは僕がジャインの時に藤田さん監督に なった時にヘッドコーチで 教えてくうんロテで連してるのをこう見 てるじゃないこっちでああ今度さ頑張れ 頑張れとか思いながら見てた記憶がどっか にあるんだけどはいバッティングですごく こう自分の中で大事にしてたもっていうの ありますかとにかく余計な動きをしないっ ていうのは1番思ったですねシンプルに はいあだからいろんなタイミングの取り方 とかそういうのはあるんですけども とにかく動きをもう無駄なことしないって いうのは一番心がけてですねまシンプル ですベストなんですけどはいあのそれって やっぱりこの前愛子さんともおちさんの バッティングについてちょっと話をしたん だけどおちさんのバッティングが1番 シンプルだっていうわけですねま分かるん だけどはい体に力がないから俺たちはうん ハンドをつけたりとか余計なねじりを入れ たりして力を出そうとするじゃんうん シンプルに打つっていうのはやっぱ本当に 体感とか肉体がないとできないよねやっぱ 力がないとっていうのはあるとは思います できないはいだからひねる動作はままあっ てもいいとは思うんですけどもでもそれも 中西さんに教わったのはひねったらあの バッと下に落とせっていう風に言われまし たバッと下はいひねったらうん変えるじゃ ないですかひねった分だけひねったらその まま下にバッと落とせば開かないからです ね下に落とすはいバットを下にストンて 落とすよう感ストンと落とせばこのこう ひねってこういくわけだはいもう下に 落としに行ったらこうひねってこういっ たら開くんはいこひね落とせば開かない はいひねってもいいからていうああそう いうのをわっそれ分かりました分かりまし たはいああやっぱりよくお前開いてる 自分がこうやってかないに入てった余計に 開ま最終的には開かなきゃ開くっていうか めくれなきゃ回転するわけだからねうん はいだからそれを言われてその時の話でい 入れるんだったらそのまま下に落とせば 開かないじゃんてっていう単純に言われた ですすげえなんかはいわか分かるような気 がしますはいそれをひねった分だけ振ろう とするから余計にああていうのはありまし たうんシンプルね余計なことをしないはい でも本当余計なことしないといわゆる反動 をつけないと力を出せないんですよ本当に 力がない人力がないっていうかプロレベル の中で強靭な肉体を持ってないとそれって なかなかできないことだと思うんだよねで も自分も岡崎さんのバテ4見ててやっぱ足 上げるじゃないですかだからあの打ち方 って自分やりたいなって取り入れたことは やっぱあります本当にはい自分も足上げる 方だったので結構でもま右と左の違いは あるんですけどもあの足を上げてからこの 一直線出てくるあの感覚っていうのは すごい左って足上げてそれこそねじって 開かなくてもパンって打てる右ってやっぱ 即あるある程度こうめくれていかないと 打てないとこあるじゃんその難しさはある よ右の方は絶対難しいバッティングはまで も右はこっちに走っていかないのでうん あのそこまでこうこういう感じでいける じゃないですかでも左の方はどうしても こっちに走り行くのででもまその部分を 差し引いたとしてもあのトップから入って いくあの形が僕好きでもっと言っ て初めて褒められたな何こ俺のこと褒めて くんなかったないやあれはシンプルだなっ ていうのはシンプルではないと思うけど俺 は結構足上げてねじりと力が出出せなかっ たからうんその本当になんてプロレベルの 人の肉体の強さとか瞬発力は多分なかった んだから早めにタイミング取って早め たくさんねじらないと力を出せなかった からだから村が多かったいい時と悪い時の はいうんちょっと疲れてくるとやっぱり ちょっとこうな反応が遅くなると間に合わ なかったりとかしてはいはい春先はいいん ですよで夏ぐらいまでなんとかいいんです よで今年3割打てるなって思ったら9月に バタンって毎年うん9月になんか疲れが出 ちゃうんですよねま当たり前なんだけど 暑い時は大丈夫なのでちょっと涼しくなる となんかすげえ腕がすげえ重くなっちゃう ああそうですね疲れがどっとこう出る感覚 はあるはいあると思いますでま日本 シリーズとかのこう短期決戦になるとまた 頑張れるんだけどはいなんかだからプロ 野球プロの世界で成績を出すためには やっぱ審議体の体っていうのがやっぱ大事 なんだなってすごく思ったやっぱり体力が ないとっていうとことまそういう部分を 本当有藤さんから金田さんからやはりあ あの練習量の多さっていうところでは最後 まで生きたのかなっていうのはで思ってば 東芝府中の時代の貯金がねはいあったと 思いますうんプロ入り最終年に優勝する じゃないですそん時はどんな感じ自自身は あんまりもう試合に出れてなかったはい もうほとんど代打です はい誰がサドに入ったのあの今楽天の監督 の今監督です今江さんかはい今監督があま 今そうですけどちょうどその一軍に入って きてえ2005年の優勝の時がえ高卒の3 年目の時なんですね3年目はいでもその前 にまドラフトで入ってきて もうまちょ今監督っていうのもなんか変な んですけどま当時は今えってまゴリって 言ってたのでそのゴリが入ってきた時にあ この子がレギュラーでやっていくんだなっ てもう見た時に思いましたあそうなのはい やっぱ入ってきた時すごかったあもう全然 あ俺の日じゃないなっていうのはまそれ 自分もちょっとこう燃料化さんて力が落ち てるからそう思うままその部分ではもう 下面でこうすぐしち出るとかっていうよう な状況ではなかったですけどもだから最後 の年はもうほとんど え裏方というか選手館の中の裏方みたいな うん感じでもう選手をコブするとか うんうんそういうものを中心にまベテラン のねはい最後ベテランの仕事ですよそれね うんだからそういう状況でもその年は1 試合もあの2軍の方には行ってないので全 試合1軍にうんあの態度をさしてくれ たっていうのはとてもありありがたかった ですうんでも分かるよねプロの選手ってあ こいつに抜かれるんだろうなとかあこれは レギュラーになるなってプロの人がプロの 選手を見る目って間違いないよねあこれは まだまだ相手になんねえなって思う人も いるしそれはあるよね俺やっぱ西が入って きた時に同じセカンドとかポジションにっ ててはいああかわねえなこのスピード感と 思ったうん元には思わなかったんだ西は やっぱスピードがあったねはいアスリート 的な能力がねだから自分たってあのドラフ トってどういう選手取るんだろうって気に ならないですか あのあんまりでも俺たちの時はFAとかも なかったしトレードもそんなになかったし まドラフトぐらいですよねまどうしても ピッチャーは多くなりますけど同じ ポジションを指名したとかま内野は特に そうなんですけどうんえいるのにって やっぱ思うじゃないですかうんうんうんだ から結局そういうとでは客がどんどん入っ てきますよね入それはだってしょうがね 毎年そいろんな人がそうだからまそれを やっぱりこうけちらしていかなきゃいけ ないのでうんまそれをでも自分が レギュラーでがっちりやってる時だか そんなこと気にならないじゃんはい誰が 入ってきてもそんなにねまそこは初アチ でしょみたいな感じじゃていう感じで やっぱやってましたけどもうんうんうんで もそれが対外国人になると分からないよ しょうがないじゃんでもあのセリーグはD がないじゃないですかだから打つ人を取っ てきたら守らすことになるじゃないですか パリーがもう打つ人持ってきたらDHでっ ていうとこでポジションはあんまり変わら ないっていうのはあるんですけどそういう 点大変だなと思っては見てましたけどセリ もでもDになるよそのうちなりますかい いやたがいいと思うもう時代がやっぱりさ もうやっぱり DHにセリーグもしていかないと追いつか ないと思うやっぱりはいうんうん ピッチャーの座席もう見なくていいじゃん なんとなくなんとなくまそれが野球なんだ よ元々は野人が野球って言うけどうんこう もういいかっていう感じがどう思いますあ でもそういうDH性のて今交流戦があるの であの普通には見れてますけどそのリーグ の戦いってなった時はどうなのかなって いうのは見てみたいですよねうん後流戦だ とパリーグの本拠地であればDHで逆に パリーがそのセリーグの本拠地行ったら あのピッチャーがバタ立つじゃないですか でパリーグは大体もうピッチャーが出き 立つことをもう笑って見てられるんですよ ねうん普段あの見れ見れることがないので でもそうなるとちょっとその部分では勝負 になってないですからだからピッチャーに してもセリグだとそのチャンス後半でいい ピッチングしてたとしても点が入らなけれ ば代打を出さざるを得なくなるじゃない ですかでもパリーグはそれがないので ピッチャーのその調子自体ではずっと投げ られてしまうのでうんだからそういう ところの駆引きっていうのはもうセリ パリーグ違うんですけどもうんなから やっぱそこの部分ではセリーグのDHもま 見てみたいなっていうのは今オール フロンティアの監督を社会人の監督を俺が 最初に知ってたのは様くの時にね多分なん か俺2軍の高知かなんかしてる時 に1回練習時したありますでカサマジック にいるんだと思ったらその後スカウトに なった時にはセサ今テはどうですか社会人 チームの監督っていうのはまそのチーム チームではやはり特徴もありますしどうし てもその企業の形態っていうところでも うん全然違うので今のオールフロンティア はもう環境もなかなかないですし その練習時間っていうところでももう普通 に企業としてやってるところとはもう全然 うんもう違うのでだからカタマジックで やってる時はもう敷地内がもうえ普通に 工場もあってグランドもあってっていう ところでは毎日5連中仕事して5から練習 セサミは会社行かないで1日野球でも今の オールフロンティアは週に3回午前中練習 できればいいなっていうあそうなんだはい やっぱり会社っていうか社会人チームに よって環境が違うんだあ全然違うと思い ますはいカウサマジックってあれでしょ 元々新日鉄機密だよね名門だよねはいあの 松中とかいたとこでしょはいあと下柳あ 下柳ねはいあーカウサマジックって最終え てえカウサマジックって何って思ったんだ けど俺の中ではやっぱ真理鉄機密っていう イメージがすごくあって心理鉄系って 多かったじゃないですかで社会人はい チームも前線に比べて今も13ぐらいに 減ってるって聞いてま当時は300以上 ありましたけど今80ちょ90ないぐらい のチーム数ですねはいまそれ経済的なこと もあるんだろうけれどもはいやっぱりその プロ目指すていうだけじゃなくてねやっぱ 野球会って考えた時にもうこれ以上減って もらいたくないもむしろ増えてほしいって いう風に僕らはちょっと思ってるので今後 はどうですか今後の俺はやっぱりミスター ロッテだからま社会人の監督ももちろん 大事なんだろうけれどもはいミスター ロッテだからロッテの監督をしてもらい たいなって里崎よりもはいあれは1mmも 考えてないですねはいここはもう自分とし てはもうロッテだけでもうずっとあのやら させていただいたところもあるしそういう え恩返しできる機会があればうんそういう 部分でではえ戻りたいなというのはあり ますただ1度もユニフォームを着たことが ないのであ引退してね引退してからはい はいですからそういうところではま機会が そういうものがあればというのは思って ますああ良かったですあの全く思ってませ んって言わたらどうしようと思ったいい いやいやでも正直にそうやってあのフルス の帰ってやりたいっていうのってすごく 大事なことだと思うしねはいその日が来る ことをうん 楽しみにしてますはいこれからも頑張って くださいありがとうございましたはい ありがとうございました [音楽]
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もしかしたら、見逃してしまっていた神回が見つかるかも!?
◆初芝清さんプロフィール
選手歴
二松學舍大学附属高等学校
東芝府中
ロッテオリオンズ
千葉ロッテマリーンズ 1989 – 2005
監督・コーチ歴
かずさマジック
セガサミー
オールフロンティア
◆アスアカ総集編★一気見SP
【アスアカ総集編 一気見SP vol.1】満塁男の超野球技術論 駒田徳広
【アスアカ総集編 一気見SP vol.2】饒舌無双のモンスター デーブ大久保
【アスアカ総集編 一気見SP vol.3】ミスターパーフェクト 槙原寛己
【アスアカ総集編 一気見SP vol.4】天下御免の若大将 原辰徳 -1-
【アスアカ総集編 一気見SP vol.5】天下御免の若大将 原辰徳 -2-
【アスアカ総集編 一気見SP vol.6】孤高の天才野手 篠塚和典
【アスアカ総集編 一気見SP vol.7】伝説のクローザー 角盈男
【アスアカ総集編 一気見SP vol.8】スコアラー列伝 三井康浩
【アスアカ総集編 一気見SP vol.9】ミスターレオの軌跡 石毛宏典
【アスアカ総集編 一気見SP vol.10】しなやかに唸る美しき黄金の左腕 阿波野秀幸
【アスアカ総集編 一気見SP vol.11】炎上必至の毒舌エモやん劇場 江本孟紀
【アスアカ総集編 一気見SP vol.12】走塁を哲学する男 鈴木尚広
【アスアカ総集編 一気見SP vol.13】熱血!ズームイン女子野球 宮本和知
【アスアカ総集編 一気見SP vol.14】天下御免の若大将 原辰徳<3>
【アスアカ総集編 一気見SP vol.15】常勝巨人軍を再建する華麗なる遊撃手のDNA 川相昌弘
【アスアカ総集編 一気見SP vol.16】明治大学OB 鉄板ネタの吟遊詩人 広澤克実
【アスアカ総集編 一気見SP vol.17】昭和怪物伝説の真相 江川卓
【アスアカ総集編 一気見SP vol.18】駆け巡る赤き疾風の追憶 高橋慶彦
【アスアカ総集編 一気見SP vol.19】岡崎チルドレン代表 原監督公認スーパーサブ 寺内崇幸
【アスアカ総集編 一気見SP vol.20】僕らのミスタータイガース 掛布雅之
【アスアカ総集編 一気見SP vol.21】愛されメジャーリーガー 川﨑宗則
【アスアカ総集編 一気見SP vol.22】赤き猛練習の鬼 正田耕三
【アスアカ総集編 一気見SP vol.23】紅蓮の長距離砲 小早川毅彦
【アスアカ総集編 一気見SP vol.24】 メジャーを制したOki-Doke 岡島秀樹
【アスアカ総集編 一気見SP vol.25】大分を舞う熱き父子鷹 内川聖一
【アスアカ総集編 一気見SP vol.26】プロ野球からクリケットへ 木村昇吾
【アスアカ総集編 一気見SP vol.27】紺碧の巨人キラー 川崎憲次郎
【アスアカ総集編 一気見SP vol.28】トレンディエース 西崎幸広
【アスアカ総集編 一気見SP vol.29】LAから愛を込めて 高橋尚成
【アスアカ総集編 一気見SP vol.30】ポジティブキング 前田“チョコ”幸長
【アスアカ総集編 一気見SP vol.31】平成のスライディング王 亀山努
【アスアカ総集編 一気見SP vol.32】因縁の国士無双 加藤哲郎
【アスアカ総集編 一気見SP vol.33】天才投手のダンディズム 牛島和彦
【アスアカ総集編 一気見SP vol.34】龍が如き豪速球の咆哮 小松辰雄
【アスアカ総集編 一気見SP vol.35】紅蓮のトリプルスリー 野村謙二郎
【アスアカ総集編 一気見SP vol.36】怪童ギャオス襲来 内藤尚行
【アスアカ総集編 一気見SP vol.37】高速フルスインガー 清水隆行
【アスアカ総集編 一気見SP vol.38】駆け抜ける奇跡の星 緒方耕一
【アスアカ総集編 一気見SP vol.39】ベネズエラ最強遺伝子 アレックス・ラミレス
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