球団史上初の3年連続最下位……苦しんだ立浪ドラゴンズ。その再建を託された、井上一樹・新監督(53歳)とは何者なのか。現役時代20年間を中日一筋で過ごした男。NumberWeb編集部が現地名古屋で取材したダイジェスト版をお届けする。
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落合博満から戦力外通告「コーチをやれ」
〈プロには、そんなモチベーションの低い選手がいるのかと思うかもしれませんが、プロだからこそいる〉
井上は自伝『嗚呼、野球人生紙一重』(ぴあ、2019年)でこう書いている。苦労人と呼ばれる井上ならではの言葉だろう。
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井上は1989年ドラフト2位で鹿児島商業から投手として中日に入団した。同期に社会人で8球団競合の野茂英雄を筆頭に古田敦也、大卒で佐々木主浩、高卒で新庄剛志、前田智徳らがいる。のちにスター選手が続出する“豊作の年”だった。そこにあって井上は遅咲きだった。打者転向を経て一軍と二軍を行き来する時期が8年つづいた。
星野仙一時代の1999年にブレイクし、7番ライトとして優勝に貢献する。チャンスに強く、ピンクのリストバンドが井上のトレードマークになった。とはいえ規定打席到達はキャリアでこの一度のみ。中日一筋20年プレーした選手ではあったが、本人が認めるように超一流ではなかった。
井上の指導者としての資質に目をつけたのは落合だった。2009年、シーズン初ヒットを放った9月頃だったと井上は記憶している。試合後に監督室に呼ばれた。「来年の戦力に入ってない」。続けて3つの選択肢を提示される。コーチ、トレード、解説者。決めかねる井上の携帯が鳴ったのは、クライマックスシリーズに敗退した10月24日の夜、慰労会の最中のことだった。落合のマネージャーが言った。「監督が一軍のコーチをやれと言っている」。背番号は99。こうして一軍打撃コーチに就任する。以降、二軍監督や解説者、阪神一軍ヘッドコーチを務めた。
星野に愛され、落合に認められ、2歳上の立浪から信頼された。中日の中心人物、それも曲者たちの近くに、井上がいた。それでいて闘将にも名将にもカリスマにもなかった、独自色。選手が萎縮しないようにプレーさせる。モチベーションを徹底的に引き出す。そこに監督1年目の井上は賭けているのだ。
<続く>
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「なんか急に…今年からです(笑)」中日・井上一樹監督から突然“ユウキ”と呼ばれた岡林勇希…ドラゴンズ若手に聞く、“井上新監督ってどんな人?”
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