ドラフト1位で入団したからといって長く活躍できる保証はない。ファンの記憶に強く刻まれる輝きは1年だけだったかもしれないが、その後も「細く」長く戦い続けた“1年だけの左腕エース”。そんな男の野球人生を追った。その名は山部「太」——。〈全3回の3回目/はじめから読む〉

 山部太からすればそれほどの落差だったに違いない。先発でチームトップの16勝を挙げてのセ・リーグ優勝と、中継ぎに回って絶体絶命の場面をしのぐなど貢献した日本一を経験し、その翌年の1996年シーズンは左のエースとして期待されていた。

 前半戦は好調を維持して先発ローテを守って勝ち星を積み上げ、2年連続でオールスター出場を果たす。だが後半戦は肩の不調に苦しみ、マウンドを離れることになる。

「(前年の)日本シリーズから、左肩がちょっとおかしかった。当時は今ほどの知識がないから、原因もつかめない。不安を残したままシーズンに入って、前半戦は何とかやれましたけど、自分の思うような球が投げられなくなってきて……。

 後で分かることになるんですが、要は肩甲骨の動きが悪かったんです。肩甲骨と分かってケアをやっていれば違っていたかもしれませんが」

 1997年は中継ぎ、抑えでも試されて14試合に登板し0勝2敗2S、98年は29試合に登板して3勝8敗、99年は先発機会を増やしつつも6勝7敗にとどまる。左肩の調子が戻らないなか、それでもごまかしごまかしで最低限の責任を果たしていた。ケアについては自分でも勉強し、オフにアメリカに渡って治療を受けたこともあった。自分なりに手を尽くしてみたが、劇的に回復することはなかった。

 ついに山部は新フォームに着手するという一大決心を下す。

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