85年阪神V吉田義男監督 長打だけでなく意外な数字もリーグトップ/物語のあるデータ

1985年のシーズンが思い浮かびました。元阪神監督で日刊スポーツ客員評論家だった吉田義男氏死去の報に接したあとです。

監督復帰1年目に初の日本一。小さな体が、西武球場の空に舞いました。吉田監督は優勝の2文字を一切口にせず「土台作り」「挑戦」「チーム一丸」を繰り返しました。8月、中埜肇球団社長が日航機の墜落事故で急死します。動揺を隠せない戦いが続く中、それでも「一丸となって」ゴールになだれ込みました。



プロ野球2025.02.28 06:00

































































































20年ぶりV前夜も「優勝」口にせず

85年10月15日付日刊スポーツ

85年10月15日付日刊スポーツ

もう40年も前になる。85年10月14日、阪神は広島を7―3で下し、王手をかけた。チーム124試合目のマジック1。それでも吉田監督は優勝を口にしなかった。

「ウチは挑戦者、次は東京でヤクルトに挑戦ですわ」

取り囲んだ報道陣が2文字を言わせようとするが、決めるとも、決めたいとも言わなかった。

阪神は64年を最後に20年間、優勝から見放されていた。自らの第1期監督時代(75年からの3年間)が3位、2位、4位。安藤統男監督が率いた前年84年は4位。監督に復帰するや「慎重居士」を貫いた。


本文残り75% (1827文字/2438文字)










徳島・吉野川市出身。1974年入社。
プロ野球、アマチュア野球と幅広く取材を続けてきた。シーズンオフには、だじゃれを駆使しながら意外なデータやエピソードを紹介する連載「ヨネちゃんのおシャレ野球学」を執筆。
春夏甲子園ではコラム「ヨネタニーズ・ファイル」を担当した。


NPBHUB.COM | The Fanbase of Nippon Baseball & Nippon Professional Baseball