【元アスリート、今メシ屋】第2回 『創作ダイニング HA-LY爬竜船/ハーリー』(東京・門前中町)
元・千葉ロッテマリーンズ、大嶺祐太さんが語る現役時代とセカンドキャリア。
https://sportiva.shueisha.co.jp/clm/baseball/npb/2024/02/02/post_25/

●大嶺祐太(おおみね・ゆうた)
1988年6月16日生まれ。沖縄県石垣市出身。地元・石垣島の八重山商工高時代には、エースとして2006年の春・夏の甲子園に連続出場を果たす。同年のドラフト会議で千葉ロッテマリーンズ・ソフトバンクホークスに1位指名され、千葉ロッテに入団。2015年には8勝をあげるも、その後は怪我にも苦しみ、2度の戦力外通告(1度目は育成選手として再契約)を経て、2021年オフに中日ドラゴンズと育成選手契約。翌2022年シーズン終了後に現役引退。プロ野球通算129試合に登板(85先発)、29勝35敗、防御率4・72。

●店舗情報:創作ダイニング HA-LY爬竜船/ハーリー
東京都江東区牡丹3-12-8 小瀧ビル1F
TEL:03-3820-2654
https://oh-inc-oeichi.com/ha-ly/
店内はスポーツ観戦も可能。石垣牛を使った料理や名古屋名物の手羽先が人気。

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[音楽] [音楽] 方 [音楽] この私立とかに比べると学校授業は全部出 ないといけないん で大体4時半5時ぐらいからまあ9時10 時ぐらいまでは結構やってましたあの バッティングのチームだったんでもう マシンが何台かあって来たらもうまあの 当時アップとかもなかったんでもう来て スパイク履き替えてバティすぐ バッティングっていう形だったんでで 終わったらピッチャーはとりあえずなんか 走っとけみたいな感じだったんでうんうん そのまポールポール走ったりとかま50m とか30mのそのダシュをやってたような 記他のポジションも駆け落ちしてたんで 人数が少なかったんではいうんちょっと あのなめてたというかうん小学校もあの 結構強いチームだったんで石垣から初めて 全国大会出ましたしで中学校もえ世界サイ にもなってますし全国制覇もしてるんで こう なんかよく勝ち癖とか負け癖て言うじゃ ないですかでももう勝ってるチームにいた んでどうせ出れるだろうみたいな感じで 入学してやっぱりそこでのギャップという かいやこれはちょっと無理だなで初めて こう思いました甲試は多分いけないなって いうの思いですよまレベルもやっぱ違い ますま1年生と3年生っていうあの違いも あるかもしれないですけどでもこれは多分 無理だなっていうのは正直思い ます沖縄で九州大会があるっていうことが 決まっ て4チーム本当だったら2チームしか出 ない優勝準優勝しか出れないところを4 チーム出れるからまずはベスト4を目指し ていこうでベスト4を目指してででか21 世紀枠で多分の確率で選ばれると思う からっていうので最初はそこを目指して いったんですけどま九州大会出たら徳島 って同じような島が出てるからこれ多分ま 出れないぞってなってあっちそうです あっちの方がちょっと優勝してたんですか ねうんあの鹿児島かどっかで優勝してたん であこれ先生期的に間違上だから多分出れ ないですうんであっちが負けるまで自分 たちも負けないように頑張らないといけ ないっていう風にこうみんなで服が行った ことに対してみんながその多分1つにこう なってってその九州大会はなんか1試合1 試合なんか強くなってったようなすごい 印象がありますやって

てなんかその前の試合よりかなんか強く なってるなっていうのをはちょっと感じ ましたあの1試合だけがこう入ってこな いっていうかこの雑音が入ってこなかった んで今までにその感覚1回もなくてあの 試合だけはこう動いてはいるんですけど 本当に音が一切入ってこなかった記憶とか イメージがなんかうっすらぼんやりです けどありましたその試合だけだったと思い ます1試合1回戦は うんそうですねはい欲もなかったというか うん本当にどれだけ通用するのかな自分の 力がどれだけ通用するのかなっていうこう 楽しみもありましたんでもしかしたらそう いうなんかこう勝ちたいとか三振取りたい とか抑えたいって欲がなかったかもしれ ないですその時はもう本当に ただ投げて楽しみながら投げてるっていう 感じだったのかな思い ますいや全然そういうあれはなくて やっぱり石垣は離れてるじゃないですか 周りの人たちも別にそんなになんかほど はい甲子園に出たぐらいで自分が本当にさ れるまでは本当にかかるのかなっていう 不安でしかなかったんでそこは全然なんか 何とも思ってなかったていうか1番最初に 怪我して病院の先生からえ今日キャッチ ボールしていいよっていう許可が降りた時 に20mの距離で20球確か20球か15 球ぐらいだった思んですけどそれを わざわざ見に来てくれたんですよでこの 怪し期間も半年ぐらいもう完にノスにして くれって言われてたんでノスロにしてそれ プラスあの肩を上に上げる動作もしないで くれって言われてたんでその期間中ももう 1ヶ月に多かった4回週に1回はちゃんと 練習してるかっていうのをこう見にという か来てくださったんでやっぱりそういうの を自分も間近で見てるとあのところに行き たいなっていうかそういう風な気持ちに なってったんでうんまそれがたまたま ホークスだったんでそれがもうもし別の 球団だったら別の球団だっとなろうしでま ただそれだけでしたねはい うんま最初2軍の方で投げてたんですけど あ結構行けるな行けるなって言ったら おかしいですけどうんこう自分のまっすぐ でも通用するのかなっていうこうぼんやり とした感じでこう一軍に発そばで上がった 時に あのカブレラにはい完全にあのファーム だったら打ち取ってただけをホームラン ライトスタンれてこれは ちょっともうまずいなじゃないですけど今 まであそこまでまっすぐをこう押して

ホームランとかって経験なかったんであれ これはちょっととんでもないところにうん 来たなていうのはすごい印象があってそこ で多分初めてそのプロのその怖さというか うん 知ってあコントロールとか変化球を ちゃんと覚えないといけないなっていうの はうん思った記憶がありますで最初の方は やっぱりそれでやってってやっていって みたいな感じですねうん荷物とかも最初1 軍に上がり立ての時は全部出さないです いつまた2軍に行けって言われるか分から ないんでとりあえずはその3試合ぐらいは 先発だったら3試合ぐらいはうんしっかり 投げれて初めてあのちょっとずつ荷物を こう出してってまたちょっと撃たれ出し たらまたちょっとずつこう自分で付け出し てもうずっとプロ入ってからもそうです けどもうずっとどっかしら肩か肘はずっと 痛かったんでどちらかというと20代前半 までは肩が思に肘はあんまり痛くなった ことなくてで20その手術する何年か前 ぐらいからちょっと肘が痛くなってきたり もう両方痛くなったりとかは結構あったん で入った時は大丈夫でしたけどでも やっぱり1年間野球するってことは基本的 にはなかったんでまこう夏場以降になると どっかしら痛くなってましたね病院に言わ れうんで診察でトミジじゃないっていう風 に言われて自分は痛いってずっと言い続け て別のところで見たら最終的に手術って いう話だったんでそれがもっと早くわか 勝ってればなっていうのはありましたけど 今は全く後悔全く ないあの手術する前がすごいどん底だった んで手術決定してからはなんてかわかん ないですけどもうこれよりか下はないなっ ていうのが分かったんでうんうんで治っ たら絶対投げれるっていなんか自信も変な 自信もあったんでそっからちょっと表情的 表情っていうかこの式にもうん楽になっ てってうんまそのリハビリ担当の トレーナーの先生にはすごい こう気持ちの上下というか今日いいのに次 の日になったらまた逆戻りっていうのも 結構波があったんでそういうのでは ちょっとこう当たったりとかはありました けどまあもうやってからは基本的には なんかそんなにうんあどうしてこれやって も意味ないでしょうみたいな感じのうん こと思えるようになったというかまま準備 はもそれ前までにしっかりしてればいいか なっていう感じで思うようになりました うん国会っていうのは全くなくてこ球団も あの手術させていただきましたしうんで

しっかり猶予ももらいましたしうんうん そこに関してのその後悔っていうのは全く ないです うんああでもそういうのは言われたら言わ れたんでなんかあですかす言ってました けどまあでも自分の中でそこまでできると 思ってなかったんで小事なところはいで 自分でもなぜそんなに16年もできたのか なっていうのすごい不思議でま自分の場合 は本当にいろんな人に出会っていろんな人 に助けてもらっていろんなタイミングが 重なって本当に16年見てきたん でえ 2030手前ぐらいからずっと思ってまし たうんそっからまあ10年はできてない ですけどま半分ぐらいはうんうん6年7年 ぐらいはうんあれまだ首になってない みたいな感じのことはうんあまだまた来年 もできるんだみたいな感じののはずっと ありました うんえっと結構前からその引退し野球 終わった時のあれはちょっと野球会に残る んだけはちょっとやめよって自分の中で すごい決めててそれはなんかあの自分が このコチとかを批判してるわけではない ですけど今まで出会ったコーチの人で もちろん素晴らしいコーチもいました けどこう本当に自分がもしそういう仕事に つけた場合にこの人たちのなんかこの責任 を自分自身が取れるのかな選手にねはい うんで思ったんでうんでま結局言うだけ 言ってでダメなだたらはいわかりません みたいあなたができませんでしたていうの をこう周りですごいたくさん見てきたんで こういう世界に自分がいるとうん自分野球 好きで始めたのにうん自分の息子が野球し たいって言った時に本当にやっていいよて 言えるのかなって自分にちょっとその時は また子供いなかったんですけど結婚もし なかったんでうんそれはなんかずっと思っ てたんでこのままだったらちょっと野球が 嫌いになりそうだあの野球会にはちょっと 入らないかもしお店やりたいなもう居酒屋 じゃないですけど元々あの実家があの漁師 やってたんでうんこう何かあるとみんなで 集まってワイワイ騒いてる家だったんで うんだからそういう雰囲気が別に嫌いじゃ なくてそれなんかぼんやりとお店やってみ たいなっていうのはなんかぼんやりと思っ てたんで うんいやまもちろん自分たちのスキルも 授業員とかそのあバイとスキルももちろん 全然まだまだだと思うんですけどでもこう 最初できなかったことがみんなで少しずつ 本当にちょっとずつですけどできるように

なってきてるなっていうのは正直なとこ ありますし今までだったらちょっとこの 提供時間も時間かかってたのをこう本当に 短縮できてるというかそういうのは ちょっと成長っていうかそれはちょっと 感じられるんで質とかあとはこの準備 いうのさしっかりしてれば今の感じだと どうにかなりそうかなっていうのはあり ますね当たり前のこと当たり前にやって いきたいんでこうちゃんとしたものを ちゃん提供してればうんなんかその人たち が喜んでいただければまた来てくれるん じゃないかなっていう風に思ってるんで うんうんそれぐらいですかねなんか もえま本当正直なと言うとあの名古屋の1 年間っていうのは野球との区切りをつけに 行ったつもりでもうそこでダメだったら もう野球会から離れよう去ろうっていう ぐらいの気持ちで行ったんですけどま引退 やめるってなってあこれでもう野球と 関わらなくていいやって自分の中でほっと してる部分も正直うんあってでしきの後輩 があの野球部の後輩が引退ジを企画して くれてで結局なんかこの動いてくれたのが 野球部だったんですよね石垣で動いてくれ たのが1番最初にうんまこれはもう切ろう としても切れないなっていう風に自分自身 思ったんでじゃあ自分がその小学校の時に 何を食べていいのかも分からなかったし 沖縄の子ってすごい身体能力がたくさん うん多い子がたくさんいるんでその子たち にもう食事の重要性を自分はちょっとうん 教えていただいたんでそれを自分なりに 噛み砕いてその沖縄に還元できればこう たださでの身体能力の高い子たちのその 怪我をしにくい体とかそれをちっちゃい時 からやっていけばもっとこう野球だけじゃ なくていろんな分野でのそのプロの一流の アスリートが出てくるんじゃないかなって 勝手に思ったんではいやっぱりそういう 子供たちからそういう食の重要性っていう かその食事の取り方を教えていくことが こうなんか沖縄県のそのそういううつ病と かそういう肥満とかそういうのにも全部 繋がっていくんじゃないかなっていうのを うんそのお世話になってたその先生に言わ れてそれだったらやる価値はあるんじゃ ないかなっていうのは先生でも言われまし たし自分自身も思ったんでまなんかこの 野球関連では沖縄になんか還元したいなっ ていうのは正直ある沖縄の子供たちですね うん石垣に限っては本当にロッテが キャンプしてくれる来てくれるおかげで 自分たちが小学校の時ってプラ野球選手に なりたいと思っても間近に選手もいない

ですし樹脂取りで来てるわけでもなかった んでこの目指す位置というか自分がどれ くらいまで目指せばこの慣れるんだって 目標がなかったんですけど今こうキャンプ で来てま練習見ればなんて言うんですかね そのここまで行けばある程度行けばのが 多分目標にはなってると思うんですよね それはすごいなんかこの子供たちにとって は良かったんじゃないかなっていうのは すごい感じます ね野球だけっていうのが嫌だったんで どうせ野球しかないでしょうて思われるの も嫌だったそれはちょっとままだまだそれ を言われるかもしれないですけどまこの 野球会に残らなかったのも5年後10年後 にあのやっぱり残らなくて正解だったって 思えるぐらい そのなんて言うんですかねその地位を確立 したかったんで生活する面で含めても年を 取っていけば次のステージにこう チャレンジすることってなかなか難しく なっていくと思うんでま自分の場合はもう 35でで嫁さん家族もやっていいよって いう風に戦押してくれたんでじゃあ5年年 後はやっぱり入らなくてよかったねて思う ぐらい ちょっとなれるように頑張り [音楽] [音楽] ます名前の由来がハリって石垣でこう漕ぐ やつがあるんですけどはい このこれに乗ってるのが本当の絵なんです よこのあこっち側のやつはいはいはい えでこっち物件決まったのが6月でええで ハーリーの時期で石垣からもずくとか なんか仕入れたくてあ実家に電話してた時 に今ハリーだから無理ハリーだから無理 っていうのをずっと言われててうんうんあ そういう由来だったんだそうですあもう 名前決まってないからハリーでいじゃ ない [音楽] あ最初オープしてた時はドラゴンズの試合 流しててあそうなんですかそしたら あのドラゴンズの試合が見やってたが入っ てきたて入ってきてくれたお客さんが来 まし [音楽] た [音楽] どうぞ中日に自分の何個したですかね1つ か2つしただと思うんですけど伊藤じき君 のお父さんのところで3日間ほどあの修行 してきましたもうそこのお店鳥日って言う んですけどそこの手羽と全く一緒です同じ

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