
昨季のカープには、日本人よりも日本人らしい助っ人外国人選手たちの姿があった。活躍の陰にはあるドミニカ人通訳が――。(原題:[鼓動 カープと広島の2026年]第2回 異邦人たちの戦い)
プロ野球初の外国人選手とされるビクトル・スタルヒンはかつて、草創期の読売巨人軍メンバーとしてアメリカへ遠征試合に行ったとき、現地の白人たちを眺めて、年長のチームメイトに言ったという。
――外国人というのは本当に、まったく日本語を喋らないんですね。
帝政ロシアからの亡命者だったスタルヒンは北海道旭川の旧制小中学校で育ったため、青みがかった眼と白い肌を除けば、言語や習慣はほとんど日本人化しており、それが戦時下の迫害などを乗り越えて、外国人選手歴代最多の303勝を挙げることができた要因とされている。
スタルヒン以降、1500人あまりの外国人選手がこの国にやってきたが、人々の記憶に刻まれている選手はほんの一握りだ。彼らはビザの発給を受けると、まず愛好家やメディアやチーム関係者から、さて今年は当たりなのか、外れなのかと値踏みされる。そして多くの選手が数カ月後には人知れず日本を後にする。どこの国のどんな町に生まれ、どんな希望を抱いて海を渡ってきたのか、ほとんど知られることのないまま去っていく。
フェリシアーノが手にした人生を変える切符
アメリカ大統領選挙でジョージ・ブッシュが再選される2004年のことだった。初夏のある日、ファン・フェリシアーノは広島駅から東京行きの山陽新幹線に乗り込んだ。慣れないグリーン車の静けさの中で、心拍数の上昇を感じていた。広島東洋カープのドミニカアカデミーから練習生として来日して2年目、このシーズンから選手契約を結んだフェリシアーノは今、人生を変えることのできる切符を手にしていた。
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