スタメンか。代打の切り札か。そうそうたるメジャーリーガーが集う大舞台で、阪神主砲コンビの立場は絶対的とは言えない。それでも2人はなぜ意気揚々と日の丸に忠誠を誓うのか――。
 発売中のNumber1139号に掲載の[連続インタビュー(1)]佐藤輝明&森下翔太「虎視眈々と」より内容を一部抜粋してお届けします。

佐藤輝明の基準“カッコいいか、楽しいか”

 佐藤輝明は中学卒業時、野球からサッカーに鞍替えする可能性があった。

「いや~普通に全然あったんじゃないですか。中学校のときは野球熱がなかった。サッカー熱の方がありましたから」

 阪神タイガースジュニアに選出された小学6年時、右肘を痛めた。進学先は地元の兵庫県西宮市にある公立中学校。一応は軟式野球部に所属したものの、ノースロー期間は幽霊部員にも近い存在だった。

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「投げられないから1年間休みますと言って、1年生のときはほぼほぼ休んでいました。そこらへんの時期からサッカーの方が面白くなって、放課後は近くの公園でずっとサッカーをやっていましたね」

 小学6年生だった2010年6~7月、南アフリカでサッカーW杯が開催された。日本代表は下馬評を覆してベスト16に進出。流行りに敏感な子供がボールを蹴りたくなるのはある意味、自然な流れでもあった。

「本田圭佑選手に香川真司選手、長友佑都選手……。個人的には結構、遠藤保仁選手とか『ボランチの選手すげえ』って感じていました。当時は遊びでやっていただけなので、得点決めるのが楽しかったな」

 楽しいか、楽しくないか。

 カッコいいか、カッコ悪いか。

 この二択は長らく佐藤輝にとって重要な判断基準であり続けた。

再燃した野球への情熱

 自宅からほど近い仁川学院高に進学すると、友人の説得にもほだされ、硬式野球を始めた。筋トレに目覚め、白球を空に打ち上げる喜びを取り戻し、未来の大砲はスタート地点にUターンした。

 プロに入りたい。そして、いつかは……。野球に懸ける情熱を再燃させたあと、脳裏に蘇ってきたのは幼少期、テレビ画面に釘付けになっていた記憶だった。

「WBCは小さい頃から見ていたので、チャンスがあったら出てみたいとはすごく思っていました。よく覚えているのは2009年の第2回ですね。当時は小学4年生。イチローさんの優勝を決めるタイムリーとか、単純にカッコいいなって思っていました。それが大学に進んでプロに入って、徐々に目標に変わっていった感じです」

 イチローの打撃フォームを真似ていた原風景が、かつて部活選びに悩んでいた中学生を世界の舞台まで引き上げてくれたのである。

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