ヤクルトで長年にわたってプレーし、引退後は敏腕スコアラーに。侍ジャパンの一員としてWBCも経験した志田宗大氏に現役時代の思い出と「データ実践、現場のリアル」を聞いた〈全2回〉
2025年の年末、ジャイアンツタウンスタジアムで行われたライブリッツ株式会社主催の「デジタル野球教室」については、すでにNumberWeb上で紹介した。桑田真澄氏も参加したイベントは、ユニークで非常に意義深いものだったが、野球教室は、プレー、実技だけでなく「座学」も行われた。この「座学」で、野球少年たちに「データの見方」をわかりやすく、丁寧にレクチャーしていたのが志田宗大氏だ。
志田氏と言えば東京ヤクルトスワローズ時代は「外野の守備職人」として、しばしば好プレーを見せてきた。また引退後はスコアラーとしてヤクルト、巨人、さらには2017年のWBCなど侍ジャパンで活躍してきた。志田氏のこれまでのキャリアと今後について、話を聞いた。
青学時代の石川投手をトラッキングしたら面白かったはず
――志田さんの出身校は仙台育英高校ですが、当時のポジションは?
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「仙台育英に入った頃は、キャッチャーでした。当時の監督が『キャッチャーならすぐに使う』と言ったので。でも中学時代はキャッチャーの経験はなかったんです。入って1日目の試合で使われて、すぐに内野手になりました。以後ショート、サード、セカンドを守りました」
――1年生から3年連続で甲子園に出場しています。
「宮城県では強いチームでしたが、甲子園では勝ち進むことはできなかった。須江監督になってから、甲子園でも勝ち進むような強いチームになりましたが、当時の仙台育英はそれほどでもありませんでした」
――ここから青山学院大学に入学します。
「青山学院には推薦入学の規定があって、全国大会出場、学校の成績とかも考慮されるのですが、監督さんの推薦もあって、青山学院に進むことができました」
――大学に入ってから外野手に転向しました。
「当時の青山学院は、内野手にすごく上手な人がたくさんいて、内野では試合に出ることができなかったんです。バッティングはちょっと自信があったのですが、内野守備はあまりよくなかったので、外野手をやってみないかと言われて。なんとか外野なら対応できたので、2年生からは試合に出場することができました」
――現役最多勝投手のヤクルト、石川雅規投手と同級生ですね?

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