昨季まで巨人の三軍投手チーフコーチを務め、今季から国際部長に就任した三澤興一さん。現役時代は異例の“出戻りトレード”を含め巨人、近鉄、ヤクルト、中日と渡り歩き、アメリカの独立リーグにも挑戦した。異色の経歴を誇った右腕が、自身の歩みと数奇な運命を振り返った。〈Number Webインタビュー全3回の3回目/第1回、第2回も公開中です〉
2007年秋、NPBで4球団目となる中日から戦力外通告を受けた三澤さんはある決心を固める。それは、長年憧れていたメジャーリーグを目指し、アメリカに渡るという新たな挑戦だった。
当時はイチロー外野手、松井秀喜外野手といった日本人メジャーリーガーの全盛期。2007年に松坂大輔投手も大型契約で海を渡り、斎藤隆、岡島秀樹といったベテラン投手もメジャー行きの夢を叶えていた。とはいえ、事前にMLB球団から契約の打診もなく単身で移籍先を探すという挑戦は当時としては異例だった。
「高校時代にジャパンに選ばれた時にロサンゼルスやハワイでホームステイをして球場の雰囲気を味わったことがすごく印象的でした。当時から、アメリカで野球をやりたいというのは大きな夢だったんです」
妻子を日本に残し、最初は代理人もつけずにその身ひとつでの挑戦が始まった。手始めにシカゴ・ホワイトソックスのマイナーキャンプに参加したがキャンプ後半でリリースされた。その後は、現地で情報を調べ、ホテルを転々としながらトライアウトを受けた。
「各球団のキャンプ地をまわったり、トライアウトみたいな場所に自分で行って受けて、ダメならまた別のところ、という感じ。フロリダに1週間いて、話がつかなければ今度はロサンゼルス、とかまさに“飛び込み”という感じですね」

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