巨人からポスティングシステムでMLB移籍を目指していた岡本和真が、ブルージェイズと4年総額94億円で合意したと報じられた。WBCでも活躍した「日本の主砲」の原点は奈良・智弁学園時代にある。岡本が師事した名伯楽が語った指導論とはどんなものだったのだろうか。《NumberWebインタビュー全2回の2回目/最初から読む》
お前にはまだ早い。
認めたくはないが、認めざるを得ない。智辯学園の小坂将商は、悔しさと潔さを混在させたようなトーンで「ってことです」と、あの夏を短く振り返った。
「最強チーム」でも届かなかった日本一
2021年。小坂が率いた智辯学園には、西村王雅に小畠一心とエース格の左右両輪がおり、前川右京を軸とした打線も強力だった。センバツは初戦で大阪桐蔭を撃破するなどベスト8で、夏の甲子園でも優勝候補の一角に挙げられるほどの大型チームだった。
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その智辯学園でも、優勝には届かなかった。
まだ早かった壁。小坂にとって、それはふたつあった。ひとつは未到達の夏の日本一。もうひとつが「和歌山超え」である。智辯学園が敗れた相手は兄弟校の智辯和歌山だった。甲子園では02年の夏に初対決が実現したが敗北を喫しており、この年はそのリベンジの場でもあった。しかも、頂上決戦ともなればなおさらである。だからこそ勝ちたかったし、敗れてなお渇望する自分にも気づけた。
小坂の野球人生において、智辯和歌山という存在は満たすべき渇きの対象でもある。
和歌山出身の小坂は、高校進学の第1志望が智辯和歌山だった。しかし、望みは叶わず奈良の智辯学園に進んだ経緯があった。
「和歌山を落ちて奈良に拾ってもらったんで、『奈良を強くしたい』ってハングリー精神でやってきて、今もそれを曲げることなく。和歌山よりも上に行くことは難しいですけど、『超えたい』という想いはずっとあります」
小坂は智辯学園でキャプテンとなり4番バッターも務めた。3年生の1995年には、夏は初となるベスト4進出を果たしている。
高校時代の経歴からも見えるように、小坂はいわゆる野球エリートだ。法政大でもキャプテンを務め、社会人では強豪と呼ばれていたパナソニックでプレーした。

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