今季138試合に出場し、名実ともに「球界の顔」のひとりとなりつつある北海道日本ハムファイターズの清宮幸太郎。その活躍のウラで今季、22歳になった弟・福太郎がひっそりと現役生活の幕を閉じた。リトルリーグでは世界大会にも出場し、兄の背中を追い続けてきた弟は、なぜ大学で野球をやめる決断をしたのか。その理由と、支えてくれた家族への想いを聞いた。《NumberWebインタビュー全3回の2回目/つづきを読む》
幸太郎と福太郎。
十数年前、「清宮」の名字がメディアに現れたとき、真っ先に話題になったのはその独特な名前だった。
「2人で“幸福”ですからね、よくできた名前だなと。親に感謝しています。そもそも福太郎って、なかなか同じ名前の方がいないので覚えられやすいんです(笑)」
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大学生活最後の試合を2日後に控えた10月30日のこと。取材に応じた清宮福太郎は、そんな風に笑っていた。
そしてもうひとつ、両親の思いを教えてくれた。
「自分以外の家族が父(克幸)、兄(幸太郎)、母と3人とも名前に『幸』の字が使われているんです。自分は3人の幸を背負った『福』なんだと」
末っ子は、3人分の幸を授けられたというわけだ。
父・克幸はラグビー界のレジェンド
父は清宮克幸氏。早大ラグビー部で主将を務め、選手として社会人のサントリーで活躍。早大、サントリー、ヤマハジュビロの監督を歴任し、現在は日本ラグビー協会副会長の任にある。
自宅にはラグビーボールも野球のボールもあった。物心ついたとき最初に手に取ったのはラグビーボールだった。
「距離感が近かったのは圧倒的にラグビーで、幼稚園の年中ぐらいからやっていました。父の試合は家族みんなで見に行きましたし、監督でしたが父を格好いいと思いましたね」
野球を始めたのは小学1年生のときだった。だが、その後すぐに一度やめているのだという。
「いやぁ、なんでしょう……飽きちゃったんですよ。ラグビーは学年ごとに分かれてやるので全員が同級生で競争も激しくなく、試合も出られた。野球は2、3学年で一緒にやるので年上が優先されて下の者は出られない。今から思えばあまり、面白くなかったのかなぁ」

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