藤村富美男監督退陣要求書
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 「ミスター・タイガース」阪神・藤村富美男監督に対し、中心選手が解任を求めた1956(昭和31)年の「藤村監督排斥事件」で、選手側が球団・電鉄本社に提出した連判状「退陣要求書」が見つかった。球団内に長く保管されていた。阪神は4日から一般公開する。お家騒動の内紛劇だが、当時の関係者が全員他界し、球団創設90周年の歴史的教訓として公表に踏み切った。連判状の文言や日付など内容が公になるのは初めてで資料価値は高い。 (編集委員・内田 雅也)

 連判状は縦21センチ×横51センチの和紙に筆で書かれ、冒頭に「藤村富美男監督退陣要求書」とあった。折り目の跡が残っている。
 1956(昭和31)年11~12月、阪神で起きた内紛「藤村排斥事件」で選手側が球団に提出した事実は伝わっていた。実物が甲子園の球団事務所社長室に保管されていた。

 発見したのは1990―98年と球団社長(本社専務)を務めた三好一彦(95)だった。「事件」当時オーナー(本社社長)だった野田誠三が78年3月28日、83歳で他界した。当時秘書部長だった三好は課長を伴い、本社相談役室の遺品整理を行った。日誌は本社社史編さん室に託した。野田が青年技師だった1924(大正13)年に手書きで図面を引いた甲子園球場設計図もあった。元監督・松木謙治郎や野球評論家・三宅大輔からの書簡などにまじり、連判状があった。

 「ひと目見た時、赤い母印が血判状のように見えた」と驚いた。「タイガースの歴史の一幕を示す大事な物だと認識しました。しかし多くの関係者が健在でオープンにするわけにはいかないと思いました」。門外不出として個人で保管し、球団社長在任中は社長室に移した。退任後は後任の南信男(70)ら歴代の球団社長が引き継ぎ、今は粟井一夫(61)が管理する。

 三好は「いつまでも隠しておくものではない。歴史的資料としていずれは公開すべき」と考えていた。その姿勢も引き継がれた。

 吉田義男が今年2月に、小山正明が4月に他界し、連判状に名を連ねた全員が鬼籍に入った。これを機に球団、本社は連判状の一般公開を決め、4日から甲子園歴史館で展示する。

 連判状の内容は藤村が監督(選手兼任)に就任した前年5月末から「優勝目的に」「寝食を共にし努力まい進」してきたが「人間性を細部にわたり検討したる結果」「指揮下に入り、行動することはできません」と痛烈な文言で監督忌避を宣言。「藤村監督の退陣を要求します」

 書き手は主将・金田正泰とみられるがわかっていない。署名は金田を先頭に真田重蔵、田宮謙次郎、小山、吉田ら選手12人が並び、母印が押されている。当時マネジャー兼スカウトで「排斥運動」の「黒幕」とされた青木一三が著書で<絶対にチームがクビにできない13人を集めた>と記した。主力選手に自身を含めた13人である。

 日付も注目したい。「昭和31年11月20日」とある。これまで連判状提出は多くの文献で「11月上旬」と不明確だった。「運動」の発端は11月2日、元監督・松木の来阪だった。大映監督就任を祝う形で先の13人が集まり、藤村への不満から解任要求まで発展していた。青木が一部スポーツ紙にリークし、表面化したのが11日だった。

 20日は秋のオープン戦で山陽、九州遠征に向かう前日。表立った動きはなかったが、青木が大阪・梅田の電鉄本社内にあった球団事務所を訪れ、用意していた連判状を突きつけたとみられる。

 宛名は戸沢一隆球団専務。病床の田中義一に代わり、本社東京出張所長から球団代表に就任したばかりで沈静化に努めていた。連判状は戸沢からオーナーの野田に渡っていた。

 連判状の一般公開を決めた球団の幹部は「当時の関係者全員が亡くなられ、球団は90周年を迎えました。あしき事件ですが、時代背景から、やまれぬ事情があったと推察されます。事実を事実としてとらえ、歴史に学ぶ意味もあります」と話している。 =敬称略=

≪連判状 原文≫
 藤村富美男監督退陣要求書

 我々拾弐名は過去一ヶ年半優勝
 目的に藤村富美男監督のもと寝
 食を共にし、努力邁進して來ました
 しかしその人間性を細部にわたり
 検討したる結果、來年度公式
 戦に藤村富美男監督の指揮
 下に入り、行動する事は出來ません
 依て藤村監督の退陣を要求
 します

 昭和参拾壱年拾壱月廿日
          金田正泰  印
          真田重蔵  印
          白坂長栄  印
          田宮謙次郎 印
          石垣一夫  印
          大崎三男  印
          渡辺省三  印
          小山正明  印
          西尾慈高  印
          三宅秀史  印
          徳網 茂  印
          吉田義男  印

 株式會社大阪野球倶楽部
  専務取締役 戸澤一隆殿

 ≪藤村排斥事件≫ 1956(昭和31)年11月から12月、阪神の中心選手が監督(選手兼任)・藤村富美男の解任を求め、球団・電鉄本社と対立した事件。選手側はマネジャー兼スカウトの青木一三のもと、主将・金田正泰や真田重蔵ら12人で、連判状「藤村監督退陣要求書」を球団に提出し、契約更改に応じないなど「排斥運動」を展開した。藤村のマイペースな言動を批判し、待遇改善など明朗化を求めた。野田誠三オーナー(本社社長)のもと、球団代表が田中義一から戸沢一隆に交代。青木を解任、金田、真田を解雇した。交渉の末、金田再契約、藤村留任で要求を撤回、年末12月30日に和解した。抗争は約50日間に及んだ。

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